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「はぁ……はぁ、はぁっ……く」
ぽたりぽたりと落ちる汗が、石に吸われてすぐ消える。
「……っふ!」
やって来た子供が、もう一段と上げた足を空振かせ、体裁を崩した。しかし、咄嗟に出した両手が、地面への衝撃を緩やかにしてくれた。
「……は」
小さな体がゆっくりと起き上がると、そこは百石階段の頂上。
紅い鳥居を構える小さな神社があらわれた。
埃っぽい石畳の先、陽を透かす緑に包まれた柔らかい影だまりに、小さな手水舎と、これまた小さな社がみえる。
慎ましいそこを、静寂な空気が満たしていた。
「はっ……はぁ」
境内に生い茂る木々で、冷やされた空気が、そより、と頬を撫でてくれる。
子供はこぶしで額の汗をぬぐうと、ぺこりと頭を下げ、紅い鳥居をくぐった。
『いい子だね』
「!」
ぎょっとして思わず立ち止った。慌てて周りを見回すが人影はない。
(いま、声が……)
声の主を探し、ぺたりぺたりと、上って来た石階段を振り返ってみた。
望めるのは、小山の周りを囲む一面の青田。
膝ほどまで育った青稲が、さやさやと音を立てている。
見下ろす眺めは、暑くなった胸が涼しくなるほど爽やかではあるが、やはり、誰もいない。声を聞いた気がするが、耳が稲唄を拾っただけだろうか。
石階段から風が上がって来て、正面から体にぶつかった。境内から吹く風とは違う、ぬるい温度。吐息に吹かれたように、前髪をあげた額が撫でられる。
「……?」
子供はふと、右側から視線を感じて顔をあげた。
「はっ」
思わず声を上げそうになり、慌てて両の手で口を押えた。
おどろき見上げた先には、台座に鎮座する、石像の狛犬があった。
まるで生きているかのような、立派な神獣の像。
構える制動の筋肉が、いまにもこちらへと伸び上がってきそうだ。
その狛犬のむんずと閉じた口が、『しゃべるな』『言うな』、と言っているようで、子供はこくこくと頷き、後ろに下がった。すると、下がる踵に、とんっと、何かがぶつかった。
「……!」
振り返り見上げると、もう一体。
石像の獅子がこちらを覗き込んでいる。
獅子は、あっと大きな口を開け、まるで子供にじゃれつこうかとしている様に、前足を微量に上げ、構えていた。
「……っふ」
またも声をあげそうになったが、寸で飲み込む。
「……っはぁ」
何とか声を上げずに済んだ。
子供は驚き止めていた息を大きく吐いて、少し後ずさると、獅子と狛犬の阿吽の石像を見上げた。
神社を守る、神獣の石像だ。
(大きな石像。こんな大きいのに、下からは見えなかったなぁ)
知らず抱いた畏怖で、おずおずと視線を漂わせる子供。そんな子供を、いまにも動き出しそうな獅子と狛犬が、それぞれ興味深げな石の目で見つめている。
子供と石像の間に、青田風が流れた。
子供は少しだけ息を整えた後に、見上げるほどに高い二対一体にぺこりと頭をさげた。神社の守り像へと挨拶を済ませると、目的を成すべく、さらに境内の奥へと向かった。
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