できそこないの兄

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  「さあ、用意ができましたよ」  メイドのメアリーに声をかけられて、私はハッとして顔を上げた。 「ありがとう」 「ええ。しかし、はやくうちの国も神子様が見つかると良いですねぇ」 「そうね……でも、神子様は生まれてすぐに見つかることがほとんどでしょう?」 「でも、どこかにはいるかもしれませんよ」  笑うメアリーに頷きながら、私は廊下へ向かう。  今日は海神ラーヴェ様の元へ領主が礼拝をおこない、民の安全を祈願する特別な日。  ところが。領地の東部で森林火災が起きたため、両親は急遽、視察へ出かけることになった。代理役になったのは、私。  国を含め、周りの国には『守護神』が一つの国に一柱ずつおられる。  海に守られしこの国は、海神ラーヴェ様。火山に守られる隣国は、炎神のモルスヴェン様。多くは、その土地にかかわりの深い神様が守護神となる。  伝説では、遠いとおい昔、神様も人間も分け隔てなく生きていた頃。守護神と恋仲にあった人間のために、とある神様が守護神となられた。以降、多くの神様がそれに倣い、何時しか守護神のいる地域に人々が集まり、やがて国となったらしい。  神子様は、恋仲に合った人間の生まれ変わりと言われている。  守護神は神子様を迎えるととても喜んで、国へ恵みをもたらしてくれる。  神子様を愛する守護神にとって、神子様をはぐくんだ世界も愛すべきものだから。  この国の守護神である海神ラーヴェ様は、海をつかさどる。命を生み出し、やがて人が生涯の終わりを迎える。そんな海を守る、とても位の高い神様。  そこでスラム街にいても、孤児でも、必ず一度は神殿へ向かう。神子と判れば、海に囲まれたこの国では、海難は減り、漁業は栄え、人々が潤う。  領主の娘として、私もいつか見つかってほしいとは思っていた。  しかしラーヴェ様の神子は、この百年あまり見つからないまま。  せめて私の祈りが少しでも、領民たちのためになればいい。  そう思いながら、メアリーと護衛たちを伴い、私は馬車へ乗るべく廊下を歩いていた。  その時。 「ジェーン、お願いがあるんだ」  本当に小さな声だったけど、突然。それに、私は名前を呼ばれた。隣に立つメアリーも、驚いて目を見開いている。  ぱっと振り返ると……そこには、お兄様が立っていた。 「えっ……?」 「海神ラーヴェの神殿に行きたい。連れてって……お願い」  足が、ガクガクと震えた。ドレスで隠れていなければ、みっともなかっただろう。頭のてっぺんが、かーっと熱くなるのが分かる。  今、初めて私は、お兄様の声を聞いた。  なぜ、どうして?   どうして今、話しかけてこられたの?   それも神殿へ行きたいって、どういうこと?  混乱する私の横から、 「お嬢様は貴方と違って忙しいのですよ」  と、メアリーが厳しい声で言い放った。 「……なら、一人で行く」  孤児院のいじっぱりな男の子みたいに、お兄様は言った。メアリーがサッと顔色を変える。 「ヴァン、様!」  突然。メアリーがそう言った。ヴァン? もしかして、私のお兄様は『ヴァン』というの?  私は初めて。まじまじと、お兄様の顔を見た。やせこけた頬、真っ白な肌。私とは似ていないけれど、目は同じ淡い黄色の混じった緑色だ。  ヴァン。  彼は、ヴァン。私のお兄様の名前……。  急に、私は『お兄様』と呼んでいただけだった彼が、世界の中のなによりもはっきりと見えるようになったような、そんな感覚があった。  お兄様。ヴァンお兄様。 「……メアリー。支度をして差し上げましょう」 「ジェーン様、まさか」  ぎょっとした顔をするメアリーに、できるだけツンと澄ました顔をして答える。 「このまま外に出ていかれたら、ストレーリ子爵家の恥だわ。まずは髪も整えて、体はローブで誤魔化しましょう? 大丈夫よ、私の連れって言えば神官様もそれほど追及しないはず」 「しかし」 「いいわね?」  念を押すと、メアリーはしばらく黙っていたが、やがてその通りに動き出した。連れ去られるようにメイドたちが浴室へ引っ張りこんでいったお兄様は、やがて白いローブを深くかぶったまま戻ってきた。 「では、行きましょう」 「ありがとう。ジェーン」  お兄様の声は小さく、そして、とても震えていた。何故だろう。私の胸は、ギシギシと、うなりをあげる船底のように軋む。  周りに『下手に事を荒立てないように』と言い含め、同じ馬車に乗り込んだ。お兄様は馬車の窓から周囲を見回しては、すごい、と小さく呟いている。  ストレーリ子爵家の領地には、大きな港がある。  様々な国から、多くの積み荷を乗せて、船がひっきりなしに到着する港だ。周囲をぐるっと海に囲まれたこの国では、とても大切な港の一つなのだと、私はいつも誇りに思って育ってきた。  でもお兄様は、そのことを知らなかったのだろう。 「あれが、船……」  かすかに唇が動いたのを見て、顔を伏せそうになった。  この島国の、それも港があるストレーリ領に生まれて……船を知らない?  私の胸の中は、ぐちゃぐちゃになっていた……。
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