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きらびやかな灯の下、お兄様がそっと両手を組んだ。
白いローブを深くかぶったお兄様の外見は、外からは全く分からない。なのに、お兄様の眼は周囲を不安そうに見回しているのが分かる。
お兄様はふと視線を私へ向け、私の顔にホッとした様子で目じりを緩めた。
「と、とても、久しぶりに、き、来たよ。えっと。一年ぶりくらい?」
「ええ、そのくらいかもね」
どもりながら言うお兄様に、私は頷く。
お兄様の外出は、私が覚えている限り『初めて』。
でも、私に心配をかけないようにしているのかしら。
白い石で作られた神殿の中には、お香と潮の香りが立ち込めている。青い石からは絶え間なく水があふれ、その流れが海へ向かって続いている。
海神・ラーヴェ様の神殿は、今日も美しく、そしてきらびやかだった。
あちこちをきょろきょろ見回しているお兄様を止めるため、ローブの袖を引く。過剰なほどビクンと反応したお兄様が、こくんと頷いて動きを止めた。ラーヴェ様は、四方を海に囲まれた、我が国の守護神。多くの人が日々礼拝に訪れ、私たちのような貴族も平民も分け隔てなく、順番を守らなくてはならない。
ほどなく、お兄様と私の祈りの番が訪れた。
「海をつかさどり、命を尊ぶ、誉れ高きラーヴェ様。良き風が、良き流れが、我らの周りにありますよう。……我が妹に良き流れが常にあり続けますように」
静かにそう祈りの言葉を告げるお兄様の後ろで、私は何とも言えない気持ちになっていた。
そんな神様に私の幸せを祈るお兄様の顔は、とても真剣だ。やがて祈り終えたお兄様の横で、気もそぞろに手だけ組んだ私をお兄様が振り返る。
「……ありがとう、ジェーン。私を連れてきてくれて、本当にありがとう」
「よして……。ほら、行きましょう」
口元を隠すための扇をそっと広げ、付いてきたメイドのメアリーへ合図を送る。流石にそろそろお兄様は、馬車に戻った方がよさそうだ。
「ありがとう、ジェーン。ごめんね、あのパン、食べられなくて」
「……え?」
お兄様の言葉に振り返った、その時だった。
海の方から、突然風が吹いてきた。お兄様の纏う白いローブが吹き飛ぶほど強い風。でもお兄様は、ローブを吹き飛ばされてもしっかり両足で立っていた。その姿に私は思わず目を丸くし、スカートを抑えるのも忘れてお兄様へ手を伸ばす。
「お兄様!」
思わず私が叫ぶと、周りがどよめいた。『あれがストレーリ領のできそこない?』『ジェーン様のお兄様?』などと、声が聞こえる。
お兄様はゆっくりと、私の方を振り返った。泣きそうな、怒っているような、喜んでいるような顔。眉はハの字なのに、口は笑っている。
「ばいばい、ジェーン。どうか幸せになって」
その瞬間。
お兄様の外見が、大きく変わりだした。黒かった髪は海を思わせるエメラルドグリーンになり、目は深いブルーへ変わる。肌は砂浜みたいな白さへ、爪が金に輝いて、その体が幾重にも重なる薄布で抱き留められた。布は真珠のように煌めいて、紅珊瑚のように上品に赤く染まっている。
とっさに、返事もできなかった。
お兄様の体はふわりと宙に浮き、そして。
巨大な水の球に包まれて、あっ、という間に海の中へと消えてしまったのだった。
そしてそこへ、大慌ての神官様たちが現れた。
「神子様が、選ばれた……」
口々に言いながら、頬へ涙を伝わらせる彼らが、海へ祈る。
神子様に? お兄様が?
私の胸に過ったのは、喜びでも、悲しみでもなかった。
それは……まぎれもなく、恐怖。
私は確かに、天罰を恐れたのだ。
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