約束なんかじゃない

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約束なんかじゃない

 英人は五歳下の俺の弟。  気が付いたら家にいた小さな生き物。俺からしたらそんな感じ。生意気でちっとも可愛くない。俺のおもちゃは壊すし、喧嘩して母に怒られるのはいつも兄である俺だった。趣味が合うわけでもないし、俺に懐くわけでもない。容姿はまぁ、その年頃の子供にしては整っていた気がしなくもない。男前な子だねぇと、よく近所のおばさん達におやつを貰ったりしてた。  人見知りでコミュ障な俺とは違って、英は外面が良かった。下の子ならではの要領の良さがあった。  俺の兄弟なのに、俺とは全然違う。不思議だった。  転機は小学六年生の時。  隣の席のクラスメイトに告白された。冗談まじりに言われた「好き」って言葉は、友達とも呼べない程度の付き合いの男子生徒からのものだった。嫌悪感はなかった。でも、同じ好きを返せるほど、そいつに興味もなかったから、ごめんと、そう一言だけ告げた。  好き、俺の好きなやつ。  そんな存在はそれまで考えたこともなかった。気が付いたら、初恋もまだなまま十二年を生きていた。  周りを見回して、その時、俺の一番興味を惹かれる存在が弟の英だったことに、俺は愕然とした。  まだ幼い俺の弟。  特別仲が良いわけでもなく、可愛いと思ったこともない。  でも、俺の内側に存在したのは、そんな弟だけだった。  自分と他人と、ただそれだけの世界の中で、弟だけが特別な場所にいた。  俺が好きか?  英にそう聞いたのは確かめたかったのかも知れない。俺にとって、英は特別だったが、英にとって、俺はただの兄でしかないと。 「俺は英が好きだよ」  目を丸くした英人を、初めて可愛いと思った。 「覚えておいて。俺は英が好きだよ。誰よりも英が好き。これからもずっと好きだよ」 「ありがとう」とはにかんだ英の表情を、俺は今でも忘れていない。  本当は、好きなんて言葉で表していい感情かどうか、自分でもよくわからなかった。ただ、英だけが特別。英だけは、俺の内側で、俺の一部みたいな、俺を形作るのに欠かせない存在だった。  ずっと好きだよ、なんて言ったのは、だから、約束なんかじゃなかった。  俺にとって特別な弟、なのに、ただの兄でしかないなんて、許せなかった。英に俺という存在を刻み付ける呪縛。俺のエゴ丸出しの言葉だったんだ。  英が俺を意識してる。中学生の俺は、ただそれだけで嬉しかった。英以上の存在なんて、俺にはいなかった。  親という他人。友達という他人。彼女という他人。  英だけが、他人じゃなくて、自分の一部だった。  高校に上がって三年。  十八歳の夏、彼は俺の家庭教師だった。  授業の合間に、熱心に口説いてくるので、俺は絆された。男と付き合ったことはなかったが、気持ちの良いことは好きだ。彼とのキスは悪くなかった。  授業の終わりにキスをして、言葉を欲しがる彼に、愛してるなんて、戯れに囁いた。  英が聞いてるとも知らずに。  その日、家庭教師の彼が来る少し前に、英が部屋に入ってきた。日焼けした顔は緊張感を漂わせていて、俺は少しドキドキした。  英は十三歳、五歳も下の弟なのに体格差はほとんどなかった。 「座って」  ベッドを指差した英の指示に従う。声変わり途中のややかすれ気味の低い声は、見知らぬ男のもののようだ。両手を縛られても、俺は英がやろうとしてることに気づいていなかった。 「何をする気だ?」  俺の質問には答えず、英は俺の体をうつ伏せに倒した。スウェットのズボンを下着ごと下ろして、俺の尻に冷たい液体をかけた。 「ひっ」  その感触に思わず小さな声が漏れる。  ピンポーン、間抜けなインターホンの音がした。  英の舌打ちが聞こえた。 「数兄、あんたは僕のだろ?」  その言葉と共に俺の尻の奥に硬い熱の塊りが捻じ込まれた。解されてもいないそこは硬く、引き攣れる痛みで悲鳴が漏れた。  バタバタと足音がした。 「おい、何してる!?」  家庭教師の彼の焦った声、英の舌打ちと荒い吐息。  尻に熱い液体がかかる。 「数兄はあんたのじゃない」  彼を睨み付ける英人の言葉に、俺の両眼から溢れた涙は、悲しみのせいじゃなくて、だから、俺は、 「ごめん、…ごめんなさい…」  謝ることしか出来なかった。  泣き続ける俺に、英は傷ついた顔をして部屋から出て行った。彼は、どうしていいか分からないと言いたげに、溜息をついた。 「別れて下さい」  ポツリと溢れた呟きに、はぁーっと思い切り息を吐き出してから、彼は「分かったよ」と、寂しそうに笑った。    俺はどうしようもなく歪んでる。  傷ついた英の表情に、俺は心の底から湧き上がる喜びを感じたんだ。  英は俺のだ。  やっと俺のものになった。  その日以来、俺を避け始めた英のことを、俺はわざと放置した。  塾に行き始めて、受験勉強に本腰を入れて取り組むので、英のことを考える余裕もなかった。  志望大学に無事に受かって、俺は家を出た。県外の大学。学生向けアパートに一人暮らし。実家からは電車を乗り継いで一時間半。  英の机の抽斗に隠した予備の鍵に気づいて、英がこの部屋へやって来たのは、ちょうどバイトが休みの金曜の夜だった。  英人は俺の大事な弟で、俺の最愛の恋人だ。
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