幸せにあふれて

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幸せにあふれて

『葉山明良。株式会社セレーノ広告デザイン担当。繊細な色づかいのWeb広告が若い女性の間で話題に。プラネタリウムを観るのが趣味のロマンチストな29歳。独身』 ……何がロマンチストだ。これじゃあただのナルシスト野郎だろ、おい。 俺は自分が紹介されている文章を見て、こころのなかでツッコミを入れた。 眺めているのは、三日前に発売されたファッション雑誌だ。 大学時代の友人の頼みで取材を受けた。 30歳前後の会社員の記事を作りたいらしい。一般人の俺の働きぶりが参考になるか疑問に思ったが、『明良にしかできない仕事だ』といわれた。 承諾したらこれだよ。 掲載コーナーは今週号の特集「あなたの近くにいるイイオトコ」 ビジネス関係ないだろ! 六人いる男のなかで俺が一番大きい写真なのはなぜなんだ。見出しの「イイオトコ」の横に配置するなよ。 パソコンを見つめて視線を外している写真だからまだいいけど、もしカメラ目線だったら自惚れた男にしか見えない。 趣味がプラネタリウムになっているのは、「近所にプラネタリウムがあるんだけど、あそこで寝るのは気持ちいいな」と、撮影の合間に友人に言ったからだろう。うまく編集したな。 オーダーしたドリップコーヒーに口をつけて、ページをめくる。 昼休みにこのカフェに来るのが月に一度の楽しみだ。 全国チェーンだからどこに行ったっておんなじ味だけど、通りに面したカウンター席から行き交う人を眺めるているとデザインがひらめく。 風になびくやわらかそうなアッシュブラウンの髪。夏の太陽に反射するスマートフォンや腕時計のきらめき。白という単純な言葉では表現できないビジネスマンやOLのトップスの色。全てがアイデアの源泉となる。 今日もテーブルの上には、スケッチブックと三色ボールペン、数本のマーカーと色鉛筆を置いてある。 「……あの、葉山さんですよね?」 顔を上げると若い女性が数人立っていた。こんなキラキラした女の子たち、会社にいたかな。 「はい。そうですけど」 「やっぱり! 『マガジンフィーユ』読みました。握手してください!」 「あ、ああ……」 いま俺が読んでいる雑誌だ。彼女たちに気づかれないよう、裏表紙にして雑誌を閉じた。自分だけ座っているのは失礼だから席を立つ。 「すごい本物だーっ」 「雑誌で見るよりかっこいい!」 「本当に会社員なんですか。芸能人かと思いました!」 「写メいいですか」 「……すみません、顔写すのは勘弁してください」 俺は右手を差し出したまま、顔をひきつらせながら応対した。しばらくはこんな目に遭うのか……。 「あっちゃん、何しているの?」 「え……?」 振り返ると、彼女がサンドイッチを乗せたトレイを持って立っていた。 「違う、浮気じゃない!」 店内に俺の声が響いた。 「どうして教えてくれなかったの。雑誌に載るなんてすごいことなのに」 ベンチに座りながら、彼女は膝に乗せたファッション雑誌をめくっている。俺は座らずにフェンスに寄りかかっている。 「そんな気取った写真、見せるのは恥ずかしいわ」 「よく撮れているよ、これ。爽やかな感じがあっちゃんらしいよ」 「そうかあ?」 自分の写真を見られるのはなんだか照れくさい。 俺たちは、商業ビルの屋上にあるテラスにいる。ここは無料で解放されている。 花壇や芝生があり見晴らしはいいのだけれど、ワゴンも自動販売機もないからあまり人が来ない。いまもこの場所には俺と彼女しかいない。 彼女は、テレビ番組で紹介された期間限定メニューが食べたくてカフェを訪れたそうだ。 偶然会えたのはラッキーだけど、変なところを見られた。握手を求めてきた女性たちが説明してくれたから助かったけれど。 「思い出すなあ。あっちゃんがミスターコンテストで優勝したときのこと」 「ああ、俺の黒歴史ね」 「そんなこと言わないの。四年連続チャンピオンなんてなかなかないんだから」 俺は大学に通っている間、毎年他薦で学園祭のミスターコンテストに出場して人気投票一位を獲得した。顔がよかったのか、ステージでビビっている姿が面白かったのかわからない。 「全く自分の美貌が恐ろしいわ。なんでみんな、俺のことをそっとしておいてくれないのかね」 ふとひらめき、ベンチに近づく。 「……あのさ、写真載ったごほうびくれないかな。いつものあれだよ、あれ」 背を曲げて彼女にささやいた。ほほを赤く染めながら彼女はうなずく。 やっぱり素直だな。ほんと、かわいい。 仰向けに空を見上げると、青が一層深く見える。少しずつ流れる雲は見ていて飽きない。俺は目を閉じて、七月の空気を胸いっぱいに吸った。 好きな人の膝まくらは癒されるなあ。 「もういい?」 「あと五分……」 髪を撫でられ目を開けると、彼女の左手が視界に入った。俺は起き上がった。 「婚約指輪つけてないのか」 数日前に俺が渡したのに。ふたりでいる間はずっとはめていたけれど……。 「うん。仕事場ではつけないほうがいいかなと思って。ぶつけたら困るし」 「それならあれつけろよ。誕生日にあげたやつ」 彼女の手を取り、そっと唇を落とした。 「女を狙っている男なんて、どこにでもいるんだよ」 こうして撫でていると細い手だと感じる。俺のよりふたまわりも小さい。小指の爪なんか半分の大きさもない。 「結婚するとわかったら、男は口説こうと思わないんだからさ。指輪つけてガードしてくれよ」 手を引くと彼女はうつむいて口を開いた。 「でも……自慢しているみたいに思われたくないから……」 「……そっか、わかった。ごめん、無理なお願いしちゃったな」 ……女は結構めんどくさいんだな。お祝い事にも嫉妬するのか。俺の知らないところで彼女は頑張っている。 「別のお願いしていいか」 顔をあげた彼女に静かにキスをした。驚く彼女の髪を撫でる。 「何かあったら俺に愚痴こぼせよ。つらいこともイヤなことも、ふたりで乗り越えような」 自分でいった言葉がおかしくて、俺は笑った。 「いつも落ち込んでいた俺がいうセリフじゃない……って、うわ」 急に抱きつかれたのでベンチに片手をついた。バランスを整えると両手で彼女を抱きしめる。 彼女は何も言わず俺の胸に顔をうずめている。彼女の背中をやさしく叩いた。 つきあって9年。 俺は女といえば彼女しか知らない。 結婚すると友人たちに伝えたら、「ひとりとしかつきあわないなんてもったいない」と言われた。 彼女はかっこわるいところを見せても、笑わずに飽きれることもなくついてきてくれた。 最高の人と気づいたらアクセル踏むしかないだろ。 夏の日差しが俺たちを照らす。ほほも腕も手の甲も、彼女の背も熱を帯びていく。これから俺たちにはどんなことが起こるのだろう。
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