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永遠の約束がはじまる
空はこんなにも美しかったのか。
白い無垢材の窓枠に手をかけて、俺は青空を眺めた。
一片の雲もない晴れやかな六月の朝。向こうの森では鳥たちがさえずっているだろう。
はじめて着るアスコットタイが窮屈に感じて、指を入れてゆるめた。
両手につけていた白い手袋を外して、フロックコートのポケットに入れる。式がはじまる前に汚れないように。
今日は俺と彼女の結婚式だ。
やっと夫婦になれる。
プロポーズしてから約一年が過ぎた。
彼女のご両親に挨拶したり、指輪を作ったり、ドレスを観に行ったり、新居を探したり。
やることが多すぎてふたりでリビングに転がり『もう結婚式パスしちゃおうか』と笑いあった日もあった。
いまとなっては、みんないい思い出だ。
挙式会場は、それほど広くないゲストハウスを選んだ。
併設されている歴史ある礼拝堂のステンドグラスに魅かれて、『ここしかないね』とふたりで決めた。申し込みをしたあと、彼女はうれしそうに話していた。
『こんな夢みたいなところで結婚式できるんだね。晴れるといいなあ』
俺たちの願いは叶った。
廊下を歩いてると参列する友人たちに出会った。少し話したあと、ひとりで館の奥にある部屋を目指した。ドアをノックする。
「はい。どうぞ」
聞き慣れている声だけど心なしか緊張しているように思えた。ドアを開けると、俺はつとめて明るい声を出した。
「よう、準備できたか」
「あっちゃん! なんで来ちゃったの!? だめだよ、式の前に新郎が花嫁を見ちゃ!」
「まあ、いいだろ。減るものでもないし」
真っ白い部屋のなかで、彼女は鏡の前の椅子に座っていた。ウエディングドレスのシルエットが崩れないようにするためなのか、浅く腰かけている。
窓からやわらかい朝陽が差し込んでいる。
純白のドレスがまぶしくて俺は目を細めた。
ティアラやベールはまだつけていないけれど、プロの手によってメイクされている。まつげがいつもより長くて、瞳が一層大きく見えた。
彼女の姿全体から光を発しているように見える。見惚れてしまうのは着飾っているからではないだろう。
俺は壁際にあった椅子を彼女の横まで運んだ。椅子に座り彼女と視線を合わせた。
「ダイエットの効果あったな。すっごくキレイだよ」
「うん。ありがとう」
彼女は唇をきゅっと結ぶとうつむいた。俺がほめると彼女はいつもこうやって恥じらう。
「あっちゃんもかっこいいよ。王子様みたい!」
「俺は顔がいいから、何を着ても似合うんだよ」
彼女は声をあげて笑った。いつもの笑顔だ。よし、リラックスできたみたいだな。
「よかったな、晴れて」
「うん」
「楽しみだな」
「うん!」
はじめてのデート。ケンカしたあとの仲直り。何度も迎えたお互いの誕生日。そしてプロポーズ。
たくさんの笑顔を見たけれど、いまが一番いい顔をしている。
手を伸ばして髪にふれようとしたがやめた。彼女の髪はきれいにまとめられている。
代わりに彼女の左手を取った。
まだ何もはめられていない薬指を撫でる。
「ちょっと話があるんだ。いいか」
わざとらしく咳払いをすると、椅子から立った。
彼女の前にひざまずき片膝を立てる。
もう一度、彼女の手を取った。
「きみと結婚できてうれしい」
びっくりしたのか彼女は何度も瞬きをしている。
「どう生きるか迷った日もあったけれど、きみのおかげで生きてこられた」
口にするのは恥ずかしい。
でもどうしても言いたかった。
いま話さなければ、忙しさを言い訳にして伝えずに過ごすだろう。
「いつか旅立つ最後の日まで、俺はきみの傍にいる」
彼女の手を自分のほほに押しつけた。
10年間ずっとつないできた、ちいさな手。
「きみを離さない。これからもずっと」
言い終わると息を吐いた。
どういえば自分の気持ちが伝わるか、ここ数カ月考えてきた。
「……俺の柄じゃなかったな。でも、いままで言わないことが多すぎたよ。いつも不安だっただろ、頼りない彼氏でさ。たまにはかっこつけなきゃ……おい、どうした?」
彼女の瞳から涙があふれている。
「うわ、泣くな!」
鏡台の上に置いてあるティシュを取る。彼女の目を何度もこすった。
「大丈夫……大丈夫よ」
そう言いつつも、彼女の涙は止まらず鼻声になっている。
「ほら、鼻かめ。またメイクしてもらえばいいから、な?」
鼻にティシュを持っていくと彼女は思い切り鼻をかんだ。とても大きな音がした。
ちょっと鼻を赤くした彼女は、ようやく笑った。
「ありがとう、あっちゃん」
ティシュをゴミ箱に捨てて彼女に近づいた。
「俺のほうこそ、いままでありがとな」
やさしく彼女を抱きしめた。
「これからは、ありがとうっていっぱいいってもらえる男になるよ」
この腕で、数えきれないほど抱きしめてきた。
その度に華奢な体を感じて俺が守らなければと思っていた。けれど、くじけることが多くて、支えられてこの日を迎えた。
もっと大きな男になりたい。
この思いにゴールはないだろう。
愛しくて彼女の唇に顔を近づけようとしたが、寸前で止めた。
「ああ……いまはやめておくか」
人差し指で、彼女の唇にふれ軽くつついた。
「式まで取っておこう。それじゃあ、またな」
ステンドグラスの光がチャペルの床に影を落とす。牧師とともに祭壇に立って彼女を待った。
家族、親戚、友人、仕事仲間。参列者席を見ると、祝福のために駆けつけてくれた人々と目が合う。
パイプオルガンの演奏がはじまった。
扉が開く。彼女が現れた。
聖歌隊が高らかに「アメイジング・グレイス」を歌いあげる。
父親と腕を組み、下を向いて彼女はバージンロードを歩いてくる。
ゆっくりと、ゆっくりと。長いベールをかぶっているから表情は見えない。
やってきた彼女とふたりで並び、牧師の言葉を聞いた。
牧師に促され彼女と向き合う。
ベールをあげると、彼女は微笑んでいた。ほほを赤く染めている。
ああ、やっぱり綺麗だ。
軽く彼女を引き寄せた。
目を閉じる彼女に顔を近づける。
誓いのキスをしよう。永遠の約束がいま、はじまる。
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