信心の大切さ

1/3
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/3ページ
 ジョルジュ・スーラの点描絵画「グランド・ジャット島の日曜日の午後」にあるように人々が集まって寛ぐことはもう出来ない。  高志が敢えて悲観的になるのは心が捻くれていて意地悪く世の中を見がちだからだ。そんな彼が夏の思い出を作るにはここしかないと選んだ所は霊園だった。何故だかそんな気がして自らに駆り出されて出かけたのだった。このご時世だ。暗い気持ちが皮肉っぽくさせるのも道理で自分の足を運ばせたのだ。  盆の墓参りに来ている人がちらほら見える中で高志はどうしたのかと言うと、「惚れた腫れたは当座の内、あとは所帯染みて老いて死ぬだけさ。こいつもこいつも」と言ったり、「コロナを知らずに死んだだけ良かったね。こいつもこいつも」と言ったり、「あっ、お前はコロナで死んだんだな。お気の毒に」と言ったりしながら墓石の頭を叩いて回ったのだ。彼は人に見られて罰当たりめ!とか言語道断だ!とか思われても何処吹く風とばかりに叩いて回る。  誰に何と思われようが言われようが構わないし気にも留めない。無碍の境地に達したのだと高志は思い上がり、只々やりたいように叩いて回っていると、到頭、男に怒鳴られた。 「おい!お前は病気か!」 「失礼な!あんたこそ病気じゃないの?」 「何言っとるか!何でそんなことが言えるんだ!」 「だって木石を拝んでんだからね。鰯の頭も信心からってか!」 「何だと!このー!」と男が叫んで高志に突っかかろうとすると、逃げ足の速い彼は雲を霞と逃げて行った。 「ハッハッハ!墓場で病気呼ばわりされて怒られた。そんで首尾よく逃げ失せた。奴め、いい気味だ。ハッハッハ!どっちが病気なんだよ!ハッハッハ!」と高志は大笑いした。
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!