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prologue
デッキの上でピンヒールのつま先を動かしてみる。生存確認でもするようにコツコツと。
あきらめにも似たため息ひとつで上げた視線の向こうには、揺れる水面と、ときおり聞こえる汽笛の音、波のざわめき、むせるような潮の匂い。
あごを上げればシャトーに切ったレモンのようなパシフィコ横浜が見える。インターコンチネンタルホテルとクイーンズスクエア。左にはランドマークタワー。大観覧車のコスモクロック、手前に低く赤レンガ倉庫。
深い藍色へと移りゆく空を、夕陽が焔となって落ちてゆく。大さん橋の向こうが影絵に変わる。
それは、夏の赤とは違う冬が見せる橙色。
地上のすべてを己が色に染める落陽のさまは、どこか強圧的でさえある。海面に走る眩しいオレンジに目を細くする。
時間の感覚さえ失われた世界でどれほどそうしていたのだろう。見上げた三日月の灯る空は揺れていた。コートの腕で目元を拭い、風に踊る髪をかきあげる。
切ろう。誰かを愛したことも、誰かに愛されたこともないような顔で歩くため。
髪を短く切ったらここを出よう。守れなかったものに詫びるため、陰鬱な序章を閉じるため。
そしてもし、時が慰めをくれる日が来たとしたなら、初めて人を好きになった遠い昔のように真っすぐな出会いを待ってみよう。
ひとつ鼻をすすり、けれど、とも思う。
やっぱり報われたい。与えたものに答えが欲しい。こんなことを考えるわたしはきっと醜い。夕陽のように押しつけがましい。細いため息が風に紛れ唇を噛む。
残照、灯り始める明かり。陽が沈み、やがて闇がこの身を黒く塗りつぶすまで、わたしは立ち続ける。後悔と懺悔と、救いの手をまさぐりながら、夜の底で立ち続ける。
No strings have pearls in a velvet glove
真珠の首飾りもビロードの手袋もいらないわ
The thing I long for is the gift of love
私が心から望んでいるもの それは愛の贈り物だから
The Gift ─Recado Bossa Nova─
まだ見ぬ誰かに向かって口ずさんだ歌は、風にちぎれて飛んだ。
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