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「一つ……伝えたいことがあるんだ」
『伝えたいこと?』
どく、どく、と心臓の鼓動が彼女の耳に届きそうなほど強く鳴っていた。 菊乃や北莉と過ごした日常の中でも、こんなに緊張したことはない。
僕は歩みを止めて菊乃の正面へ回り、膝を屈めて視線を合わせた。
「前々から、考えていたことで」
太陽の光で白く照らされる彼女の表情には、未だ戸惑いが残っていた。
僕は、心臓が口から飛び出そうになるのを抑え込んで言葉を続けた。
「菊乃とはこれからも楽しいことや嬉しいことを共有したいし、いつかまた思い出を振り返って、幸せに満ち溢れた時間を過ごしたいんだ。 ただ、恋人同士のままじゃあ天井があるような気がしてならない。 だからさ、その」
そっと菊乃の手を取り、それでいて彼女の双眸をしかと見つめ、忠誠を誓う騎士のように告げた。
「──僕と、結婚してくれませんか」
瞬間、僕たちの頬を麦の秋風が撫でた。 さわさわと木の葉が気持ち良さそうな音を立て、どこからか漂ってきた青い香りが鼻先を掠めた。
菊乃は、僕のつまらなかった人生に手を差し伸べてくれた。
彼女に返すべき物がどれだけあるかは分からないが、だからこそ、僕は心に強く誓ったのだ。
あの夏失った君と、もう一度新たな日々を綴っていくと。
そして本当の最後には、最大級の幸せで菊乃を満たしてやるのだと──。
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