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「深月。何をしてる?」
「……あっ! 蒼麻さんっ」
髪の先を濡らした蒼麻さんが、不思議そうな表情を浮かべて俺の前まで来た。
「夕飯の支度を整えてもお前が来ないから、貧血でも起こしたのかと思って様子を見に来た」
「え!? ご、ごめんなさいっ! 俺が支度しなきゃならないのに、蒼麻さんにやらせてしまってっ……」
「そんなことは気にしなくていい。それより、体調が良くないわけではないんだな?」
「うん、それは大丈夫。ただ、少しだけ、ぼんやりしてて……」
「ん?」
蒼麻さんの顔が、目の前まで近付く。
「顔が赤いな。何かあったのか?」
「え? き、気のせいだよっ。別に何でもないからっ!」
「そういえば、紅葉も落ち着かない様子で、手で顔を覆って畳の上を転がっていたが……それも俺の気のせいだと思うか?」
「気のせい、気のせいっ! それより、早く居間に戻って、夕飯にしよっ」
俺は強引に蒼麻さんの背中を押して、居間の方向に足を進めた。鋭いこの人に、何も悟られないように。
だけど、廊下の途中で、蒼麻さんの足が止まる。押しても動かない。
「蒼麻さん?」
「深月。窓の外、見上げてみろ」
「窓の外?」
「ああ。凄く、綺麗なものが見える」
柔らかな声に促され、俺は廊下の窓から夜空を見上げる。
闇を圧倒する満月。その煌々と浮かぶ光の下を、紅い葉が、楽しそうに横切っていく。幾つも、幾つも。
「月と紅葉。この上なく美しい取り合わせだと思わないか?」
「……俺、蒼麻さんには一生敵わない気がする……」
自然の美しさにも、人の心にも、敏感な人。向けてくる流し目は、意地悪で、でもとてつもなく優しい。
永遠に引きずりそうな敗北感と、底の見えない温もりとで、俺の胸はいっぱいになった。
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