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1.俺は羊飼いを辞めるぞぉぉぉッ!
男は激怒した。
いや、激怒というと言い過ぎかもしれない。
でも少なくても地面をぶん殴って陥没させるレベルにはキレ散らかしていた。
「あ゙ぁ゙あ゙ァっ、ちくしょぉぉぉッ!」
ドスドスと地団駄を踏むゴリマッチョに、悲鳴を上げて逃げていくのは羊たちである。
男、メロスは羊飼いであった。
※※※
メロスという男は質実剛健で実直を絵に書いたような男だ。
その肉体もまた、羊飼いというより『剣闘士でも目指したら?』と皆に言われるほどの筋骨隆々である。
そんな男の欠点のひとつに【激情にかられやすい】というものがある。
一言でまとめれば、熱い男。
怒る時は火山の噴火のようにキレるし、ひとたび感激や感動、悲しみに取り憑かれると濁流の如く泣きわめく。
つまり、暑苦しくてめんどくさい男なのだ。
「どうでもいいけど。兄さんってば、ちゃんと仕事してんのぉ?」
そんな兄に、妹であるエヴァが顔を顰める。
「羊、どうしたのよ」
「売った」
「ハァァァ!?」
メロスは羊飼いですらなくなった。
つまり彼は家業を捨て、無職になったのだ。
「なんで!?」
「……」
「兄さん?」
ふいに黙り込んだ兄に、エヴァは疑惑の目を向けた。
もしやまた【あの癖】が再発したのではないか、と。
メロスの欠点は前述した通りだが、このことで彼は死にかけたことがある。
王の悪政にブチ切れて、短刀片手に王宮に殴り込みに行ったのだ。
まずその段階で彼女が思ったのは『コイツ……馬鹿だ』である。
闇夜に乗じた暗殺ならまだしも、白昼堂々と殺害しに行ったのだから。ものの数秒で御用なのは、当たり前だ。
奇妙だったのが、そのまま処刑といかず3日間の猶予を与えられたこと。
妹の結婚式に出たいから、ということだったらしい。
(ま、だったらそんな大事な日の3日前に暗殺企てんなって話よね)
つまりそうである。
彼女としても、好きな人との結婚というイベントを控えての兄の処刑。
しかもそれを知らされたのが、全てが終わってからというのだから彼女もその婿も仰天した。
思えば、全てがおかしかったのだ。
結婚式をいきなり明日取り行え、と迫ったり。羊も含めた財産をすべて妹夫婦に託す、も言ったり。
しかし彼女がいくら訊ねても、メロスは事情を説明しようとしなかったのだ。
(昔から、一人で突っ走る人だったけど)
色々あってなんとか処刑は逃れ、再び彼は羊飼いをして暮らしている。
しかし今度はこれだ。
「ねぇ兄さん? 何があったのよ」
確かこの前、再びシラクスの町に足を運んだらしい。
そこで石工をしている親友に会いに行ったのだろう。彼とその石工、セリヌンティウスは竹馬の友。
しかもあの処刑騒ぎの際に、メロスの代わりの人質を買って出たという奇特な男である。
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