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「きざし」4
新歓コンパの日、高山との待ち合わせ場所へ向かおうと渉が玄関の鍵を掛けていたら隣から葉月の声が聞こえた。友達でも来ているのだろうかと門に手を掛けて八城家を伺うと、同じ中学のセーラー服を着た少女が立っている。
利発そうな面差しと肩口で切り揃えられたストレートの髪。知りもしないのに、真っすぐな彼女の性格を表しているような気がして渉は立ちすくんだ。
「私……小学校の時から八城くんのことずっと特別に思ってた」
(葉月に……告白?)
渉は心臓を鷲掴みにされたような痛みが走った。聞きたくない、聞いてはいけないと思いながらも足が動かない。
「中学でクラスが別れたから会う機会が減って、それで自分の気持ちがはっきり分かったの」
特別だ、と自分の気持ちを伝えられる彼女が渉には羨ましい。
いっそ女性に生まれたら良かった。そうすれば自分だって葉月に好きだと言えたのに……。だが、今度は六歳年上と言うことに悩むのだろう。結ばれない理由ばかりが浮かんで、自分の悩みは底なしに救いがないように思えた。
「私……」
「俺ずっと前から好きな人いるから、岡野さんの気持ちには答えられない」
言葉を遮るように、葉月は早口で一気に喋った。このまま彼女に自分への想いを語らせた上で断るより、傷が浅くて済むようにという葉月なりの配慮なのだろう。
「…………そうなんだ。学校で仲良くしてる女子見たことないから、八城くんは好きな子いないのかと思ってた……」
岡野さんと呼ばれる少女は葉月の返答にかなり驚いた様子だった。だが、それ以上に動揺したのは渉だ。あまりのことに息が止まりそうになる。
「小学校の委員会でよく一緒だったろ。岡野さんは誰に対しても平等で、表裏がなくてすごいなと思ってた。でもそれと、好きっていうのとは違ってて……」
「ありがとう、そんな風に見てくれてたんだ。でも、やっぱりちゃんと言わせて」
少し俯いていた少女は葉月の目を見てきっぱりと言った。
「私は、八城くんが好き」
「ごめん……」
「やだな、謝ることじゃないよ。でもそういう真面目なところも好きだな。あ、八城くんに好きな人がいること誰にも言わないから。……自分の気持ちは自分で伝えたいよね」
そして小さく微笑んで呟く。
「……八城くんは好きな人と両想いになれるといいね」
「えっ?」
「なんて、今のは強がり」
笑った少女は、言いたかった言葉は全て伝えた、悔いはないとでもいうように口を真一文字に結んだ。
「じゃあ、また学校で。会ったら普通に話してね」
「……うん」
手を振り合い、少女は葉月に笑顔だけ残して去っていく。辛かっただろうに最後まで葉月を思いやる彼女は潔い。それと同時に、同じ年の女の子に生まれてきたというだけで彼女を妬む自分の愚かさを渉は恥じた。
そして彼女を振ってでも好きだと思う相手が葉月にいるという事実に、渉は胸が押しつぶされそうだ。
ギシッと門が金属音を立てた。
渉は自分がそれ程の力を掛けていることに気づく余裕もない。
「……渉兄?」
その音に葉月がこちらを向く。盗み聞きをしてしまった形の渉はバツが悪い。
「あ……いや、見るつもりなかったんだけどコンパがあって……。表に出たら、聞こえちゃって……」
葉月は黙ったまま渉を見ている。その視線に渉の口数は増えていく。
「いい子だな。可愛くて思いやりがあって、……もったいない。つき合っちゃえばいいのに」
思ってもいないことを言ってしまった自覚はある。だが葉月に上目遣いで睨まれ、沈黙にも耐えられそうにない渉は喋り続けるしかなかった。
「あ、でもお前も好きな子とかいるんだな。中学生なら当たり前か。どんな子なんだ?上手くいったら俺にも紹介しろよ」
(そんなこと言って、もし本当に彼女を連れて来たら、俺は正気でいられるだろうか)
黙って渉の言葉を聞いていた葉月だが、その手はぶるぶると拳が握られていた。
「渉兄、ウザイっ!」
爆発するようにそう叫んで、葉月は家の中に入っていった。
「ウザイ……って、反抗期かよ」
渉は項垂れ、力なく呟いた。
コンパの会場は、大学に近いビルの二階にあるイタリアンレストランだった。今日の参加者は三十人程だが、都合のつかなかった学生もいると考えるとそれなりに人気のサークルなのだろう。
「お忙しい中お集まりいただいてありがとうございます。みんなが仲良くなるのが目的なので本日は無礼講です。もちろん未成年は飲酒禁止で、と一応言っときます」
サークル長が軽く笑いを取り、乾杯の音頭と共に宴が始まる。まだ話したことのない学生同士で話したり、初めての一人暮らしに戸惑う一年生は先輩にアドバイスを求めたりと中々に有意義な集まりのようだ。残念ながら映画の話で盛り上がっているのはサークル長と数名の映画好きだけだったが。
学生たちがそれぞれの話題に花を咲かせる中、渉は奥の席で葉月の言葉を反芻していた。
『俺、好きな人いるから』
『渉兄、ウザイっ!』
(葉月に好きな人がいるのか。もう中学生なんだから、いて当たり前だよな。俺だって……)
自分が中学の時に好きだったのは葉月だったと思い、乾いた笑いを漏らす。
盛り上がった学生達のテーブルにはいつの間にかビールや水割りが運ばれていた。渉の席にも頼んでいないカクテルが並んでいる。
(いつか、その子を連れてくるのかな。『渉兄、俺の彼女だよ』って)
学科の違う女子学生が渉目当てに話し掛けてきたが上の空だ。隣に座る高山が彼女達に謝っていた。
喉が渇いた渉は手近なグラスに口をつけ、一気に飲み干した。次第に頭がぼんやりして、葉月のことでいっぱいの渉は他に何も考えられない。
(葉月のあの真っすぐに俺を見ていた瞳が、女の子を見つめるのか。俺はそんなことを見るために、こっちに一人残ったのか……)
後悔はしないと決めたつもりだったが「いつか」が、こんなに早く訪れるとは思いもしなかった。
二時間ほど続いたコンパも解散の流れになった。サークル長が各テーブルを回る。
「忘れ物ないな?電車で帰るやつは乗り過ごすなよ。本数少ないから困るぞー」
渉が赤い顔をしてうつらうつらしているのに気づき、隣にいた高山に声を掛ける。
「彼、大丈夫?酔ってるみたいだけど」
「俺が送っていきます。お酒初めてみたいですね、今まですごく真面目に生きてきたんじゃないかな。誰かのお手本になるような」
出会って日は浅いが、高山はそんな気がした。
「それどういう意味?」
「いえ。お疲れさまでした」
「うんお疲れ、気をつけて」
抱えるようにして渉をタクシーに乗せた高山は、自分も隣に腰を下ろして運転手に行き先を告げた。
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