「めばえ」1

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「めばえ」1

「お寺はこのまま真っすぐです。どうぞお気をつけて」  中学三年生の仲村渉がお遍路さんの案内を終え家へ帰っていると、道の向こうから隣の家の小学三年生になる八城葉月の声が聞こえてきた。 「あー!僕が案内するんだったのに、渉兄ずるい!」  ランドセルを背負って走ってきた葉月は息を荒くしながら渉に詰め寄る。制服のシャツから伸びた白い腕の渉とは違って、葉月は先日の運動会で顔も手足も真っ黒に日焼けしている。 「ごめんごめん、葉月いなかったし」  拝むようにして謝るが、両頬を思い切り膨らませた葉月はまだ気が納まらないのか地団太を踏んで悔しがっている。 「学校で習ったから僕だってお遍路さん案内できるのに。あのね、お遍路さんは一人でも一人じゃないんだって。同……えーっと」 「『同行二人』だよな。空海さんも一緒に歩いてるって」  フォローを入れた渉だが、葉月はぷうと口を尖らせて不服そうだ。 「何でも知ってるからって。僕……俺だっていつか渉兄より大きくなって格好良くなるもん!」 「うん、そうだな。葉月はきっと大きくなって格好良くなるよ」  葉月の言葉をそのまま返して、自分に向けられた黒くて強い光を持つその瞳を見た。県内の造船会社に勤める葉月の父親は体格が良い人だ。おそらく葉月もあと数年もすれば華奢な渉より大きくなるだろう。 (でも今は可愛いもんな。最近は『俺』とか言って格好つけたい年頃なのかもしれないけど)  渉が幼稚園の年長の夏、隣の家に葉月が生まれた。初めて見た時の感動は今でも忘れられない。この間まで母親の大きなお腹の中にいた赤ん坊がこんなに小さいなんて。見たこともないほど可愛くて愛しいなんて。 『渉くん。葉月と仲良くしてね』 『可愛がってあげるのよ、渉』 『うん』  二人の母に頼まれた渉は有頂天だった。一人っ子の渉にとって、守るべき宝物ができた瞬間だろう。少し経つと渉を見て笑ってくれる。やがて歩けるようになって、よちよちと後をついてくる。渉は雛鳥を見守る親鳥のような気持ちで見ていた。 『葉月くんは本当に渉のことが好きね』  母によくそう言われた。 『うん、すき。わたるにいちゃんだいすき』 『僕も葉月のこと大好きだよ』  渉もそう返していたが、ふと自分と葉月の「好き」が違うのではと思うようになった。葉月は兄のような自分が好きなのだろう。だが渉の想いはまるで恋人に寄せるようなものだ。愛しくて、恋しいと葉月を想う気持ちが増していく。 (こんな俺はおかしい。普通じゃない……)  中学生の自分が隣の弟のような存在の小学生をそれ以上に思っていることを親達に知られてしまえば、もう今までのように会わせてもらえないかもしれない。まだ小さい葉月だって、この先そんな自分を嫌悪するかもしれない……。 「ちょっと道を伺っても?」  心を飛ばしていた渉は声に反応するのが遅れ、待っていましたとばかりに葉月が答える。 「ハイッ!お遍路さんですね。道案内します!」  渉が声を掛けてきた人の方に向くと、白衣に背中まで伸びた髪を後ろで束ねた細面の男性が立っていた。年齢は五十代後半だろうか。  二人を見た男性は菅笠を少し上げてにっこりと笑うと、葉月の目線に合わせて小さく屈む。 「僕、可愛いね。でも案内してもらうならそっちのお兄さんの方が良いな」 「え、あの……」  その言葉に戸惑っていると、横にいた葉月は怒り出す。 「また、渉兄ばっかり!」  先程のことが尾を引いていた葉月はわざとダンダンと靴音を立てて、ランドセルを揺らしながら家に入って行った。渉はすぐ後を追い、まだ玄関にいるはずの葉月に声を掛ける。 「葉月。一緒に案内したらいいだろ」  そのまま家の奥に入ったのか返事はない。 「ごめんなさい。弟さん怒らせちゃったかな」  謝っているわりにはむしろ微笑みさえ浮かべるその人に渉は小さくかぶりを振った。 「いえ、弟じゃないんです。隣の家の子で……」 「仲良しなんだ」 「はい……。あ、ご案内します、こちらの道です。一本手前の道に入ると迷っちゃうんですよね」  葉月のことは気になったが、何とか笑顔を作って渉は道案内を始めた。
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