「きざし」1

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「きざし」1

「もっかい、もう一回!今のなしー」  ゲーム機のスイッチを押そうとすると葉月の手が遮る。 「そう言ってもう何回目だ」 「だって今のは渉兄が……」  葉月のしゅんとした顔を見ていると何度でもゲームにつき合ってやりたくなる。渉は葉月の頭をポンポンと撫でた。 「はいはい、もう一回だけな」  こんなやり取りを繰り返して、葉月の部屋で一時間に至って「もう一回だけ」の戦闘ゲームを続けている。  進学校に通う高校三年生の渉に比べ、小学六年生の葉月は圧倒的に長い時間をゲームに費やしている。だから毎回勝っても良さそうなものだが葉月は攻撃にばかり集中するため防御が甘く、あれっというところであっさり負けてしまう。もう夕食の時間も近いし、面倒な宿題も出ている渉はあまり露骨な負け方をして更なるもう一回攻撃を受けたくはない。渉の優勢でゲームを進め、絶妙なところで負けてやる。 「やりー!俺の勝ちー!」  葉月がガッツポーズをして喜ぶ。 「あー。俺の方が勝ってたのにー」  渉が大袈裟に悔しがると、葉月も満足したようだ。「もうおしまいな」と告げてゲーム機の電源を落とす。コントローラーを片づけていると、葉月が何か言いたげに横に来て、膝を抱えて座る。 「ん?何?」 「……日曜に、元基とゲーム屋行った」 「そっか。何かいいのあったか?」 「ううん……」  葉月が下を向いてかぶりを振る。どうやら話したいのはゲームのことではないらしい。 「駅前の美術館のとこで渉兄と一緒に歩いてた女の子って、えっと……彼女?」 (それが聞きたかったのか?)  確かに先週の日曜、渉はクラスの女の子と出掛けている。好きな画家の個展が開かれるから一緒にどうかと誘われたのだ。 「ああ、うん。それで?」 「ううん。ちょっと聞いただけ。別に何でもない」  渉に背を向けて片づけを始めた。 「そ……か……」 (ちょっと聞いただけ……か)  渉は自分が六つも年下の葉月に特別な想いを抱いていることにずっと悩んでいた。  渉に告白してくる女の子もいたし、映画や遊園地に誘われることもあった。これまでは断っていたが、今回はたまたま一度は原画で見たいと思っていた作品があり、駅で待ち合わせて二人で見て回った。  だが彼女にしても絵画など一緒に出掛ける言い訳のようなものだ、別れ際に渉への気持ちを打ち明けた。  一瞬、自分を好きだと言ってくれる人とつき合えば葉月のことで思い悩むこともなくなるのかもしれないと思ったが、そんな不誠実なことは出来ない。「受験を控えている今、誰ともつき合う気はない」と断ったのだった。  だから本当は「彼女」ではない。ただ、自分に「彼女」ができたと知ったら葉月はどんな反応をするのだろうかと頷いてみた。それが返ってきたのは「ちょっと聞いただけ」「別になんでもない」だ。嘘をついて傷ついたのは渉の方だった。 「じゃあ、またゲームやろうな」  落胆を気取られぬよう笑顔を作る。 「うん」 「今度は時間決めて、『もう一回』もなしだからな」 「へへへ」  どうせ勝っても負けても葉月が飽きるまでゲームにつき合うんだろうなと、苦笑いしながら渉は部屋から階下に降りた。台所の葉月の母にあいさつをして八城家を後にする。  渉を見送った葉月が台所に行くと、夕食の支度をしていた母の陽子が喜々として話し掛けてきた。 「本当に良い子よね、渉くん。小学生相手にゲームして遊んでくれるなんて。イケメンで優しいし、学校でも女の子にモテモテでしょうね」  そんな母の言葉に、ヤキモチという感情を自覚していない葉月はもやもやした気持ちでいっぱいになった。 「でもこれからはあんまりゲームとか誘っちゃダメよ。渉くん大学受験があるから勉強の邪魔になっちゃうでしょ」 「えっ……、ああ、うん」  女の子とデートするのはいいのに?と、さらにイライラを抱えながら葉月は食卓についた。  食事を終えた葉月は自室に上がり向かいの渉の部屋を見ていた。程なくして明かりが灯り、窓にかかったカーテンのシルエットで渉が勉強机に向かったことがわかる。  宿題か、それとも小学生の自分には想像もつかない難しい勉強をしているのだろうか。葉月は長い時間ゲームにつき合わせてしまったことを申し訳なく思った。  五月に入って普段より下校が遅くなった葉月は学校帰りの渉と出くわした。通学の自転車から降り、穏やかに笑うブレザーの制服姿の渉は私服の時より大人びて見える。少し汗ばんでネクタイを緩めた渉に葉月は小走りで近づく。 「今帰りか?」 「うん。渉兄も」 「今日は塾休みなんだ。葉月は遅いな、宿題忘れて居残りさせられたか?」  からかうように笑う渉に葉月は少しムッとする。 「そんなことしないしっ。運動会の練習!クラス対抗リレーの選手だから、バトンの受け渡しの特訓してた」 「そっかぁ、葉月は走るの速いもんな」  自分のことのように喜び、目を細める渉を見て葉月は呟く。 「渉兄も」 「ん?」  葉月が出来るようになったスポーツは全て渉が教えてくれたといっても良い。身体能力は葉月の方が高いのだろうが、運動神経が良いのは渉も同じだ。そして渉の方は走り方一つとっても綺麗なのだ。葉月は「綺麗」だとか「格好良い」と直接的に言うのは恥ずかしくて口をつぐんでしまう。 「俺も運動は好きだけど、葉月の方が運動神経良いし格好いいよな」  さらりと渉がくれた言葉を嬉しく思うと同時に、自分もそう思っていたのに先に言えばよかったなと小さく息をつく。 「運動会、楽しみだなぁ」 「えっ、今年も来るの?」 「もちろん」  嫌そうに言う葉月に、当然だと返す。 「えー、いいよ」 「何で?葉月が活躍してるとこ見たいし、おばさんのちらし寿司も楽しみにしてるのに」  格好良いと言われ喜んだ矢先、渉の目的は母の料理なのかと葉月は大げさにがっくりと肩を落とす。  八城家と仲村家。二つの家族は、お互いの子供の運動会に毎年応援に行っていた。それは葉月が生まれる前からだ。葉月の両親にしてみれば、いずれ我が子が通う学校を見ておきたいという気持ちもあった。だがそれぞれが自分の子供のように思い、純粋に成長を見届けたいというのが一番の理由だ。  渉が高校に進学してからは、体育祭は校内行事で一般公開していないこともあって、春に行われる葉月の運動会だけが両家が応援で盛り上がれる行事になっている。 「来年は見られないかもしれないしさ」 「えっ?」 「もし県外の大学に行ったら、あんまり帰れないと思うし」  母から渉が受験する話は聞いていたが、県内か電車で通える範囲のところだと勝手に想像していた。会いたい時には会えると思っていたし、それがこの先も続くと漠然と思っていた葉月はショックで言葉が出ない。 (何も言ってくれないんだな。『寂しい』とか『行かないで』とか……)  この間の「彼女」の時といい、最近こうして葉月を試すようなことばかりしている。それほど渉は追い詰められていた。このまま葉月の成長を近くで見ていたい気持ちと、距離を置いて想いを断ち切るべきではないかという気持ちがせめぎ合っていた。  葉月の黙っている理由も知らない渉は、自分がいなくなっても寂しくはないのかと悲しくなる。 「そうだ、帰ったらまたゲームするか?この間の続き」  一瞬うん、と頷いてしまいそうになったが、母から渉の受験勉強の邪魔をしないようにと言われていることを思い出し首を振る。 「……ううん。今日は練習で疲れたから、ゲームはまた友達とやる」 「そっか……」  いつもなら葉月から言ってくるゲームの誘いを断られるとは思っていなかったので、自転車のハンドルを握ったまま立ち止ちつくしてしまう。 「友達とやる方が楽しいよな」 「えっ」  渉の言葉に、自分は母の言葉に従っただけなのにとランドセルの持ち手をぐっと握った。何かを強く握り俯くのは、言いたいことを我慢する時の葉月のくせだ。  無言のまま歩き、二人は明かりのついたそれぞれの家の前で別れる。 「またな、葉月」 「……うん」  一人になった葉月はポツリと呟く。 「渉兄は遠くに行って俺と会えなくなっても、つまんなくないのかな……」  玄関に入り、靴を脱ごうとせずに立ったままの葉月に気づいた母が声を掛ける。 「おかえりなさい。どうかしたの?」 「ううん、何でもない。ただいま」    渉の方も自分の部屋に入りぼんやりとしていた。 (お兄ちゃんの役目は、もう終わりかな……)
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