「きざし」3

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「きざし」3

 春になり渉は希望していた地元の大学に通い始めた。葉月も元基と同じ町内の中学へ進学している。 「おはよう、葉月」 「えっ、渉兄?おはよう。大学ってもっと朝ゆっくりでいいんじゃないの?」  玄関を出た葉月は渉の声に驚いて、急いで門扉を閉める。 「まあね。でも今日はゴミの日だから。ちゃんとしないとおばさんに迷惑かけちゃうだろ」  そう言ってゴミ袋を持ち上げる。 「ふーん。……え、何?」  まじまじと見てくる渉を不審に思い、葉月は何かついているのだろうかと体を見回している。 「葉月の制服姿、初めて見た」 「そうだっけ」  葉月も、そういえば渉が初めて学ランを着ているのを見た時にすごく大人に見えたことを思い出す。ただ学ランよりも高校のブレザーの制服の方が渉らしくて好きだった。 「似合ってるよ」  そう言っていつものように葉月の髪をポンポンと撫でる。 「やめろって」  中学生になっても子供扱いされ、頭に置かれた渉の手を乱暴に振り払い背を向けた。そのまま学校へ向かおうとした葉月に渉は声を掛ける。 「いってらっしゃい」  見送りの言葉が照れ臭く、葉月は振り返らずにボソッと返事をした。 「……いってきます」  四月からは聞けなかったかもしれない渉の声が幸せに思えて、葉月は真新しい通学鞄を振りながら駆けて行った。  葉月を見送った渉は、小さなゴミ袋を収集場所に出して家に戻る。学生の一人暮らしでは、大した量のゴミは出ない。週に一度まとめて出した方が面倒もないのだが……。  そのうち会えると思っていたが、この数日まったく葉月と会えなかった。僅かな生活リズムの差ですれ違いを実感した渉は策を講ずる。ゴミ捨てを口実に葉月が出てくるのを待っていたのだ。  不毛なことをしていると思わないでもなかったが、やはり葉月の制服姿を見たかった。大人びて見えるし想像以上に似合っていた。小学校の運動会での応援団風の学ラン姿も良かったが制服となると一味違う。早起きの甲斐があるというものだ。  朝食を済ませ支度を整えて大学へ向かった。学校まで距離はあるが便数の少ない電車より自転車が便利だ。雨の日は電車を利用するつもりだが、今のところ自転車通学をしている。  駐輪場から教室へと一人向かう。入りたい学部があって選んだ大学だが、いざ入学してみると同じ高校の出身者が少ない。それも顔見知り程度。渉は誰とも適度に仲良くしていたが、親友と呼べる人がいたかどうか。葉月には元基という親友がいるのを羨ましく思う。  そもそも級友からの誘いがあっても、葉月とのゲームや遊びの約束を優先していたのだから友人との関係が希薄なのは仕方がない。  入学して数日、まだ本格的な授業は始まっておらずオリエンテーション期間だ。健康診断も終わり、学生生活についての指導を受け、午後から初年次基礎講習の説明会がある。  今日は初めて学食に来てみたが、それなりに豊富なメニューの中から選んだ和定食は渉の好みの味つけではなかった。 (家にある料理の本見て弁当作った方がいいかな。おばさんのくれたレシピもあるし)  一年生の間はバイトをせず勉強に集中するようにと、渉は十分に生活費を渡されている。だが外食やコンビニ弁当ばかりでは不経済だし、栄養も偏るだろう。まずは今日の夕食から、と意識を改めたところにうどんの丼といなり寿司をトレイに乗せた男子学生が渉に声を掛けてきた。 「ここ、いい?」 「え、ああ……どうぞ」  少し戸惑ったのは、彼の言う「ここ」が向かいの席ではなく渉の隣だったからだ。周りも空いているが断る理由も特になく、渉が頷くと彼はトレイをテーブルに置いた。椅子に浅く腰かけ、真横にいる渉の方へ体を全部向けて嬉しそうに話しかけてくる。 「人文学科の高山です、よろしく。入学式で見かけてから話したいと思ってたんだ。きみ綺麗で目立ってたし」 「はぁ、……仲村です。よろしく」 (男に綺麗って……)  高山は満面の笑顔で大袈裟に握手をしてきた。襟足は短く、長い前髪はウエットにまとめている。色物のシャツに派手なベストを合わせているが、上に羽織っているジャケットはブランドものだ。周りのいかにも大学デビューで服に着られている男子とは違ってこなれた印象を受ける。だが、お洒落というよりはチャラい男だと渉は感じた。  学部は?サークルは?と高山は矢継ぎ早に尋ねてくる。 「地元って言ってたよね?実家暮らし?」 「うん、父が転勤で母もついて行ったから一人だけど」 「へーえ」  口を挟む隙も与えられず、「一緒の授業あるかな?」「恋人はいるの?」と渉を質問責めにしてくる。 「四国ってお遍路さんが有名だから、もっと白い服着た人がたくさんいると思ってた。俺、こっち来てまだ見たことないんだよなー」 「まあ、白衣や道中着を着ないで普通の服で巡る人もいるし、時間帯も関係するかな。お寺が閉める時間もあるから、移動するタイミングで外に出てないと会わないかもね。春はお遍路さん多い季節だからそのうち出会うよ」 「へえ、やっぱり地元の人は詳しいんだな」 「それだって色々だよ。俺はたまたま家が札所に近いから知ってるけど、普通は小学校低学年の調べ学習で軽く教わるくらい。地域で『お接待』の文化は根づいているけどね」 (その『お接待』に使命を感じてる小学生もいるけど。ああ、もう中学生か。中学に入っても葉月は変わらず『お接待』をするんだろうか……) 「でね、この『映画鑑賞サークル』が良いと思うんだ」  思考が葉月のことになり、適当に相槌を打っている間に高山と一緒のサークルに入ることになっていた。 「見たい映画の時だけ顔を出すも良し、あえて苦手ジャンルにトライするも良しってさ。気楽に入れそうだろ。一応、縦のつながりはあった方がいいし」 「へえ、色々考えてるんだ」  渉が感心してそう言うと、高山は「全然」と目尻を下げて笑ってくる。 「誘い断るのに、サークルの用があるからって言えると便利じゃん」 「ああ……」 (人づき合いが面倒なタイプなんだな。……ん?じゃあなんで俺に声掛けてきたんだ?) 「ま、そーいうことで。これからよろしく」 「うん、よろしく」  手を差し出され、改めて握手を交わす。身長はそう変わらないが、手がやけに大きく熱く感じられた。その大きな手をひらひらと顔の近くで振り「また後で」と告げて席を立つ。あれだけ喋っていつ食べたんだろうか、と空になった丼をトレイに乗せて返却カウンターに向かう高山を見て思った。 (映画か……。葉月とアニメはよく観に行ったな)  出てきた怪獣が怖くて泣き出したり、静かに集中して見ているのかと思えば途中で眠っていたとか、可愛い姿を思い出してまた笑みがこぼれる。 (十二年も一緒にいるんだ、無理ないよな)  葉月への想いも、一度は……いや、何度も封印しようとしたのだが出来なかった。 (だから俺は、今ここにいるんだけど)  翌日、高山に誘われるまま映画鑑賞サークルに入部する手続きを済ます。  暫くして、サークルの新入生歓迎コンパの日時を知らせるメールが届き、渉も高山と共に参加することにした。  
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