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「そらの名前、うみの名前」1
高山にとっては二度目の大学生活だった。
地方の大学ということもあり新生活にそう期待をしていたわけではなかったが、同級生の仲村渉には魅かれるものがあった。端正な顔立ちと真面目な性格が少なからず誰かを思い出したことは間違いないだろう。
初めから渉に好きな人がいることはわかっていた。体の関係だけでいいからとつき合いを迫ったのは高山の方だ。
昨年の夏に初めて渉の隣家の葉月と会った時、渉が好きなのは彼だとすぐに気づいた。大学に近いこともあり高山のマンションで会うことが多かったが、時々渉の家に行くこともあった。
(やけに時間を気にしたり、窓を閉めろとかカーテン引けとかうるさく言ったのはあの中坊のせいだったのか)
そう言われても高山は面倒でカーテンだけ閉めて窓を開けっ放しにしたり、端までカーテンを引かないこともあった。何かの拍子に葉月は二人の関係を察したかもしれない。あの日はたまたま葉月の帰宅と時間が重なったが、それまで隣の家に弟みたいに可愛がっている中学生がいることが話題に出たことはなかった。
(俺が手を出すとか思ってたのかな?ああいう眼力のあるやつタイプじゃない。ま、自分がやってること知られたくないよな……)
葉月の方もまた渉を好きだと直感した。自分には嫉妬の塊のような目を向けられて、渉には熱い真っすぐな視線を送っているのに気づかない方がどうかしている。
ちょっとした悪戯心で葉月に見えるように渉とキスをしたが、それがきっかけになったのかその後、渉から別れを切り出された。
『もうお前とは、セックスしない』
『何でだよ、俺たち上手くいってただろ。体の相性もいいし』
『決めたんだ、好きな人と以外しないって』
決心は固そうだが高山は食い下がる。
『はあ?そんなこと言ってたらこの先、一生ヤレないぞ』
『ふふ、かもな』
(一生誰ともセックスできないかもしれないのに、なんで笑ってんだよ)
『最後に一発ヤらせろって言いたいけど、無理みたいだから一発殴らせろ。お前が自己責任でヤらないのは自由だよ。でも俺は相手見つけるの大変なんだぞ』
そもそも手を出したのは高山の方だ。理不尽なことを言っている自覚はあるが、嬉しそうにしている渉がしゃくに障り高山は拳を握る。渉は戸惑いながらも観念したようだ。
『ああ、いいよ。殴れよ』
目を閉じた睫毛が長くて綺麗で、うっかりキスしそうになったが、逆に殴られそうなのでやめておく。握った拳を開いて渉の左頬を叩くと、力は入れていないがパンと大きな音がして、ちょうどそこに葉月が帰ってきた。
『渉オニイチャンと仲良くな』
すれ違いざま葉月に意味ありげな言葉を残して、その場を立ち去った。
あれから一年、セフレを解消したとはいえ、大学に行けば毎日顔を合わせる。セックスをしない以外は変わらぬ友人関係を続けていた。むしろ二人にとってはお互いが初めての親友かもしれない。
三年の後期の授業が始まって暫く経ったある日。高山は学習心理学の教室で渉の姿を見つけた。
「隣、いい?」
「ああ、おはよう。風邪は治ったのか?」
横に座った高山の顔を覗き込む。
「まあな」
「休んでた間のノートいる?」
「うん。頼む」
風邪で休んだのではなかったが、説明するのがいやだった。鞄から教材とペンだけを取り出した高山とは対照的に、渉の前には筆箱以外にノートパソコン、バインダーに綴じられたルーズリーフが並んでいる。
スマホやタブレットで板書を撮るだけでテスト前に慌てる学生とは違い、渉はどの講義も毎回きちんとノートを取っている。ペンの色を変えたり大事な個所を枠線で囲ったりと見やすく工夫されていて、高山は一緒に授業に出ている時でも渉のノートを借りるくらいだ。
午前の講義が終わり、二人は一緒に食堂で昼食をとることにした。きつねうどんを注文して、出来るのを待っている高山の席は弁当持参の渉が確保してくれている。
「高山またうどん?」
「考えるの面倒だし、讃岐と言えばうどんだろ」
「まあそうだけど」
(あの人が食べたいって言ってたからな)
ちらりと浮かんだ人の顔を頭を振って消した。トレイを机に置き財布をしまっていると、向かいに座った渉のスマホの待ち受け画面が目に入った。葉月と飼い犬のカイが写っている。
「これ隣の奴?ちょっと見ない間にでかくなったなー」
「だろ?まだまだヤンチャで可愛いけど、力も強くなったから首輪もリードもしっかりしたのに変えたんだって」
渉の言葉に、首をすくめて苦笑いを浮かべる。
「んー、天然で言ってんのか冗談なのかわかんないけど。俺が言ってるのはゴールデンの横の『ヤンチャで可愛い』飼い主の方なんだけど?」
「えっ、あっ」
渉が赤くなるのを見て、天然の方だったのかと小さく舌打ちをする。
葉月はここ一年でぐんと身長が伸び、今では背の低い方ではない渉と殆ど変わらない。体格のいい父親に似て大きくなるだろうとの周りの予想通り、体つきもしっかりしてきた。成長期真っ盛りで、これからもっと背も伸びるだろう。
「これだけ大きくなりゃヤれるな。それとももうヤッたのか?」
「ぶっ」
ちりめんじゃこのおにぎりを食べていた渉は気管に入ったのか、ごほごほと咳き込み胸を叩いた。水を飲み、一息ついた渉は赤くなった顔を高山に向ける。
「なっ、何のことだよ。俺と葉月が何やるっていうんだよ」
「動揺しすぎ。わかってるだろ、セッ……」
「わー!言わなくていい、わかったから!してないよ、する訳ないだろ。何であいつとそんなこと……」
「ふーん?俺と別れた理由が隣のボーヤだって見抜けないような間抜けだと思ってんの?」
恥じらう渉に追い打ちをかけるように耳打ちする。
「好きなんだろ、あいつのこと」
「バカ言うな、だって中学生だぞ。あいつまだ子供……」
「またー、そんなこと思ってないくせに。だったらなんでヤレもしないやつの為に操立ててんの?」
「別にいいだろ。そりゃ葉月のことは好きだよ、でも今は近くで見ているだけで良いんだ。それにもしあいつと俺が結ばれる運命なら、いつまでだって待てる……」
勢いで言ったもののさすがに渉も気恥ずかしい。その時、高山がイライラした様子でテーブルに手を突き立ち上がった。
「お前も運命論者ってわけ?ばかばかしい。ああそうだな、お前もあいつもお遍路さんの手伝いしてるから恩恵受けてんだよな!信心深くて結構!」
「高山……?」
友人達と楽しく昼食をとっていた周りの学生もあまりの剣幕にこちらを見てざわついている。
彼がこれほどまでに激高しているのを見たことがない。驚きを隠せずにいる渉を見て、立ち上がった高山は我に返った。
「すまない、言い過ぎた……。やっぱり調子悪いから帰るよ。午後のノートも今度貸して」
「あ……いや、うん。大丈夫なのか?一人で」
心配そうに尋ねる渉に高山は作り笑いで答えた。
「大丈夫だよ。慣れてる」
高山は手つかずの食事を返却口に置き、足早に食堂を出て行った。
渉が悪くないのはわかっている。長い間抱いていた葉月への想いを自分で認めて、高山とのセフレを解消した彼に何の罪もない。
バスに乗りぼんやり窓の外を見る。
友人関係をまだ続けてくれる渉だから、つい余計なことを言ってしまった。恐らくあの後も自分を心配してくれているだろう。だがそれも今の高山には鬱陶しいだけだった。
マンションに帰って鞄を放り投げ、寝室のベッドに突っ伏した。
(慣れてる。一人なんて慣れている)
隣のリビングを見ると、ソファの背もたれに黒い礼服が掛かっているのが目に入った。
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