ステキな道案内

「願い」1

　リーン、チリーン。
　七月の讃岐路に、お遍路さんの鈴の音が響く。

「坂が急ですから、気をつけて」
　八城葉月は中学二年生。寺の近くに住んでいて、日課のようにお遍路さんの道案内をしている。
　今日は期末テストで午前授業だった。親友の元基と下校中、白衣に金剛杖の老人に道を聞かれてそのまま一緒に歩いてきたのだ。
　少しくせのある真っ黒い髪と意志の強そうな瞳。それでいて人懐っこさを感じさせる葉月は、何人で歩いていても真っ先に道を聞かれる。別れ際、元基には「またか」と言われたが、声を掛けられずとも自ら案内役を買って出ただろう。
　お遍路さんに食事や宿を提供することを「お接待」と言うが、子供にとっては道案内も十分「お接待」だ。身近な人と「小さなお接待」をしてきた葉月は、中学生になった今も続けている。
　一人で歩き遍路をしているという老人を、山門が見える場所まで案内した。
「この先がお寺の入り口です」
「どうもありがとう、助かりました」
　老人は礼を告げ何度もお辞儀をして、寺への坂道を登って行った。
　リーン、チリーン。老人が杖をつくたびに響く鈴の音がゆっくりで、その足取りが重そうだ。
（あの年で歩き遍路も大変だな）

　四国八十八ヶ所を巡礼するお遍路はいつの頃からか宗派も様々、その在り方も形を変えてきた。定年後に時間が出来た夫婦が健康祈願をしたり、「区切り打ち」といって休みを利用して少しずつ進める社会人や学生もいる。
　宗教的意味合いとは別に御朱印集めに興じる人々、出会いを通して自分探しをする若者。移動も自転車やバイクも有り。今はそれぞれの巡り方で楽しめる。
　車やバスツアーを利用して比較的手軽に回ることも出来るが、やはり自分の足でという人は少なくない。千四百キロメートルとも言われる長い道のりを、老人も何か思うところがあって一人で歩いているのだろう。
（そうまでして叶えたい願いって）
　たくさんのお遍路さんとの出会いから、願いごとがあってお参りをしているのではない人がいることも知った。だがもし叶えてくれるなら、自分でもお遍路をしたいと思うほどの悩みを抱えている葉月はそう思ってしまった。
（俺の願いは…………）
　老人を案内するのに、実は自宅近くを通り過ぎていた葉月が道を引き返していると、隣の家の前にいる人影が目に入った。離れていても誰なのかはすぐにわかる。それこそが、多感な年頃の少年を悩ませる原因なのだから。
「ただいま、渉兄」
　そう言って隣人の仲村渉の元に駆け寄る。
「おかえり葉月。またお遍路さん案内してたんだろ、看板あるのにお人好しだなぁ」
　 言葉とは裏腹に渉は笑顔で出迎えた。学校とは逆方向から帰ることで、葉月が何をしていたかはお見通しだ。
　地元の学校に通っている渉は六歳年上の大学二年生。葉月を生まれた時から知っているので、中学生になっても子供扱いしてくる。まだ第二次性徴期前の葉月と比べれば頭一つ分高いが、色白で端正な顔立ちの渉が悪戯っぽく笑う姿こそ可愛い。
　いや、綺麗だと葉月は思っている。サラサラの栗色の髪も光の加減で茶色く見える瞳も「綺麗」という言葉がピッタリだ。
　長めの前髪がまばたきする度にまつ毛に当たって鬱陶しそうに揺れている。伸びた襟足から首筋に流れる汗がキラキラと光りながら落ちていく艶かしさに見とれていた葉月は、それと気づかれないようにわざと渉に突っかかる言い方をした。
「案内板があっても迷う人が多いの、渉兄も知ってるだろ！」
　口を尖らせながら抗議してくる葉月に渉は目を細め、髪をポンポンと軽く叩くようにして撫でる。
「うん、お遍路さん迷うと困るからね。葉月は優しいな」
　小さな子供をあやすような言い方に文句を言おうとすると、背後の声に遮られた。
「よっ、渉。わざわざ玄関先までお出迎えご苦労さん」
「そんなんじゃないよ。……早かったな高山」
（……高山？）
　葉月は声の主を振り返り一瞥する。
「一つ早いバスに乗れたから。えーと、彼中学生？お前って弟いたっけ？」
　渉の後ろに回って肩に肘を乗せ、同級生の高山が目の前の葉月を見下ろす。身長差は五センチ程だが、渉が細作りのせいで高山がいくぶん大きい印象を受ける。目尻を下げて初対面の葉月に対しても親しげに笑いかけてきた。
　前髪をワックスで軽いオールバックに整え、派手なアロハシャツに短パンとサンダルスタイルの高山はチャラい遊び人に見える。白いＴシャツにジーンズ姿の渉とは対照的だ。
「隣ん家の葉月だよ、今は中二。まあ、そうだな、弟みたいなもんかな」
　肩に置かれた高山の手を払いのけながら渉は、自分に確認するように呟いた。その言葉に葉月の胸はチクリと痛み、肩に掛けた通学鞄の持ち手をぐっと握りしめる。
（いっちばん言われたくない言葉！）
　葉月は唇を噛んで、言葉を飲み込んだ。
（格好良くて優しい渉兄。俺を生まれた時から知っていて、小さい頃から遊んでくれる隣のお兄さん。そりゃ渉兄から見たら弟なんだろうけど……）
　葉月は違った。異性に恋をするように、渉に対して特別な想いを募らせていた。自分だけを見てほしい、自分だけのものになってほしいと。そしてそれが周りの人とは違っていることも…………。
（でも好きだ。渉兄のことが大好きだ！）
「へーえ、渉の弟分か。じゃあお兄さんとも仲良くしよう」
　そう言って高山が握手しようと手を伸ばした途端、渉が葉月の肩を抱いて自分の胸へと引き寄せた。
「えっ……？」
　予想外の出来事に、葉月の心臓が激しく脈を打つ。
「ダメだ！お前のバイ菌がつく。葉月に触るな」
「ひでーな。いいじゃん、三人で一緒に遊ぼうよ。お兄さんがイイコト教えてあげるから」
　渉の胸の温もりを肩に感じてドキドキしている葉月は返答するどころではない。
「こいつまだ子供だぞ。いい加減にしろ！」
　葉月は「子供」という言葉に反応しムッとした。だがその顔も見ずに、渉は抱き寄せていた腕を放してさっさと家の中に入ってしまった。
「あ、待てよ渉。じゃあまたね、葉月くん」
　高山は大きな手をひらひらと振って後を追ってドアを閉めた。
「子供って……何だよ」
　一人残された葉月はアスファルトに落ちる自分の汗が蒸発するのを見つめていた……。