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 単調な仕事の日々が続く中、毎日決まって昼の2時ごろにおはようと恭二からメッセージが届くようになった。  仕事終わりに店に遊びに来て欲しいと何度も誘われているが、生活のリズムが崩れるのが嫌で断り続け、土日に誘われたデートも、休めるなら寝てと淡白に誘いを断った。  翌週の月曜日、いつものように昼の2時ごろに恭二からメッセージが届く。短くおはようと返して、めぐみは仕事に集中した。  定時を迎えるころ、見覚えのある姿が入り口からエントラスを抜けて受付にやってきた。 「こんばんは。本日はどのようなご用件でしょうか」 「ある方を迎えに来たんです」 「アポイントは取られていますか」 「忙しいらしくてアポは取れてないんです」 「アポイントのない方はお取り次ぎ出来かねます」 「では、今からその方にこれを届けて貰えますか?婚約者からのささやかな届け物です」 「婚約なんかしてないでしょ」  目の前の恭二に笑って返すと、恭二も笑って花束を揺らし、これは受け取ってねと何時に上がるのか尋ねてくる。  その様子を一部始終見ていた後輩の山中が、頬を赤らめながら、めぐみにあとは私一人で大丈夫ですと、先に上がるように気遣って声を掛ける。  時間を確認するともう定時だ。めぐみは山中にも上がるように声を掛けると、恭二にエントラス脇のスペースで座って待つように伝えて、ロッカーに引き上げる。 「あれ彼氏さんですか?めちゃくちゃイケメンですね」 「見合い相手よ」 「え!先輩お見合いしたんですか?」 「まあね」  ロッカーで着替えながら山中の質問に淡泊に応えると、サッと化粧直しをしてロッカーを出る。  花束を抱えて長い脚を組む恭二は目立つ。  久々に本人に会って、改めてめぐみは悔しいと思う。やはり自分は恭二が好きだと思い知らされる。 「お待たせしました」  めぐみが声を掛けると、恭二は嬉しそうな笑顔で立ち上がり、しばらくめぐみを観察する。 「早かったね。今日は一つ結びでまとめてるんだね。可愛いなあ。俺の好きなうなじがチラッと見えてる」 「で?会わない間に何人に跨がられたの?」 「マーキングされるような橋は渡らないことにしたんだ」  恭二が腕を差し出すので、めぐみは素直に腕を組むと、会社の前の大通りでタクシーに乗り込む。 「綺麗な花だね」 「気に入った?」 「こんな素敵な花束、悪いけどうちには花瓶ないよ?切ったペットボトルに突っ込まれちゃう」 「なら店にあるやつ持って帰りなよ」  恭二はめぐみの肩を抱き寄せると、めぐみの匂いがすると言って髪に口付ける。 「恭二さんはタバコの匂いしないよね」 「あー。やめようと思ってるからあんまり吸ってない」 「なんで?やめるの?恭二さんから仄かに香るタバコの匂い、結構好きなのに」  めぐみが何気なく言うと、恭二は少し驚いた顔をしながら笑う。 「俺もいい歳だし、健康な子供が産まれるように?」 「誰に産んでもらうんだかね」 「めぐみ以外誰がいるの」  恭二は困ったように笑うと、めぐみに好きな花を尋ねてくる。めぐみは花に詳しくないので好きな色を答えた。 「じゃあ次はその色で見繕って花束を用意しようかな」 「すぐ枯らすからもったいないよ?」 「あはは!めぐみらしいね」  そんなくだらない話をしているうちに、目的地に着いたらしい。恭二は多くのテナントが入った商業ビルの前でタクシーを停める。  支払いを済ませると先に降りた恭二がめぐみに手を差し伸べる。素直にその手を取ると、引き寄せられて腰を抱かれる。 「お姉ちゃん不足だからなの?随分とボディタッチが激しいね」 「惚れた子には尽くしたいタイプみたい」  適当なことを言って恭二はめぐみをエスコートすると、ビルの3階にエレベーターで上がり『ジュール』と書かれた看板のある店の扉を開ける。 「いらっしゃいま……あ?オーナー」  顔を出したスタッフはめぐみと同い年くらいだろうか。恭二に伴われためぐみに気が付くと、ようこそおいでくださいましたと笑顔を作り、恭二と二、三やり取りを交わすと店の一番奥の個室に通される。 「今日は俺もお客さん。めぐみがなかなか来てくれないから迎えに行ったんだよ。俺健気過ぎない?」 「健気な人は自分を健気とは言わないよ」  会話の最中、扉がノックされてスタッフがおしぼりとメニューを持ってきた。  めぐみは営業スマイルでしとやかに微笑むと、おしぼりを受け取って手を拭く。  その間に恭二はワインと適当にメニューを頼んでいる。勝手知ったる自分の店だ。変な注文はしないだろう。  程なくしてワインが運ばれて来た。 「あ、これあのワイナリーの?」 「そうだよ。めぐみはもう飲んだ?やっぱり凄く飲みやすくて、お客さんからの評判もよくてね。本格的に卸してもらえるように提携の交渉中」 「へえ。実はバタバタしてて飲んでないの。早く飲まないともったいないね」  めぐみの返事を聞きながら恭二がグラスにワインを注ぐ。仕事とはいえ手慣れた手つきに思わず見入ってしまう。 「なに?惚れた?」 「ちょっとね」 「なにそれ!可愛い。もう一回言って!」 「その一言がなければ持続したのに。残念でした」 「ははは。手厳しいなあ」  恭二とグラスを合わせて乾杯すると、香りを楽しんでからワインを口に含む。爽やかだが程よい渋みがアクセントになっていて飲みやすい。 「おいしー」 「だよね」  扉がノックされて、今度は料理が運ばれてきた。男性スタッフはめぐみに微笑むと、ごゆっくりおくつろぎくださいと部屋を後にした。  サラダや肉料理、アスパラとブロッコリーが入ったアヒージョなどが並ぶ。 「口に合うと良いんだけど」  恭二は料理を取り分けながらめぐみの前に小皿を並べる。 「ありがと。いただきます」  サラダを食べて、カットステーキにフォークを伸ばす。お酒が進む程よい濃い目の味付けが食欲をそそる。 「恭二さんは今日お休みなの?」 「なに?やっと俺に興味持ってくれた?」  恭二は笑うと、平然とした顔で基本的に休みはないと答える。 「どうやって休んでるの?」 「こんなふうに気まぐれに」  ステーキを頬張りながら、また曖昧に答える。その顔をよく見ると、温泉の時よりも疲れているように見えた。 「もしかして、あんまり眠れない?」 「どうして?」 「寝てない顔してる」 「めぐみのせいで最近ずっとお姉ちゃんと遊んでないからじゃない?めぐみがあのギャップのあるおっぱい見せてくれたらすぐ治るよ」 「……それだけ軽口たたければ心配要らないね。馬鹿らしい」 「冗談抜きで圧倒的にめぐみ不足だよ」 「お姉ちゃんに跨って喘いで貰えばいいじゃない」 「めぐみの肌を知ってそんな遊びで満足できるわけないじゃん」 「語弊のある言い方しないでよ」  扉がノックされてスタッフがまた料理を運んできた。魚介のパエリアだ。  恭二は甲斐甲斐しくそれをよそってめぐみの前に置くと、これも美味いよと食べるように勧める。  プリプリの海老の皮を外して口に含む。これも味付けがしっかりしていてワインが進む。 「もう一杯いかがですか?お嬢さん」 「いただくわ」  傾けたグラスに恭二がワインを注ぐ。  意外にも知らなかった親の仕事のことや、お互いの今日までの仕事での出来事、休日はなにをして過ごしていたかなど、他愛もない話に花を咲かせる。  恭二は本来なら金曜の晩から一昨日昨日と、めぐみを九州に連れて行くつもりだったらしい。それはもったいないことをした。 「ねえめぐみ」 「なに?」 「手を貸して」  そう言って恭二はめぐみの左手を取る。また薬指に噛み跡のような花弁を残されるのだろうか。そう思いながらも、めぐみはさして気にも留めずに料理とお酒を楽しむ。  不意に指に拘束感と重みを感じて目を向けると、左手の薬指にはダイアモンドリングがハマっていた。 「俺が幸せだから傍にいて」 「……私の幸せはどうなるの」 「俺のを分けてあげるよ」 「ケチくさいわね」  恭二の本心は未だに分からない。けれどそれでもいいと思った。複雑に理由が絡んでいたとしても恭二はめぐみを選ぶと決めたのだ。ならば逆らう理由もない。 「きょうちゃんは私の旦那になるんだから浮気したら死ぬ時よ?」 「ははは。そのとおりになったね」 「私のどこが良いんだか。変わった人よね」 「言っただろ。一目惚れだよ」 「だからそれが胡散臭いんだってば」  笑いながらワインと食事を楽しむ。あっという間に二時間ほど経っただろうか。 「さて。明日も朝から仕事だし、そろそろお暇しようかな」  ごちそうさまと手を合わせて恭二を見る。 「こんな時でも帰っちゃうんだ」 「一人暮らしの社会人だもん。働かなきゃ家賃も払えなくなるでしょうが」 「なら、せめて家まで送らせて。奥さんの心配くらいしてもいいんじゃない?」 「奥さんじゃないけどね」  左手のリングを外すフリをしてめぐみは笑う。 「今度、結婚指輪見に行こう。次の休みは空けてくれないと、さすがの俺も怒るよ」 「分かった分かった。週末でいいの?なんなら平日に有休取れるけど」 「そっか。有休があるんだよね。また細かいことはメッセージになるけど連絡するよ」 「了解」  恭二は先に立ち上がって扉を開ける。めぐみをエスコートする手には忘れずに花束も持っている。  ちょっと待っててねと、恭二はめぐみに花束を渡すと、花瓶を持ってくると言って店の奥に消えていった。  その時、カウンターのあたりから鋭い眼光で睨みつける女性と目が合った。華やかで色気が漂う大人の女性だ。見た目だけで言えばめぐみとは正反対で清楚さの欠片もない。  恭二の遊び相手だろうか?彼女はめぐみの左手に光るダイアモンドリングに気付くと、更に怒気を孕んだ眼差しでめぐみを睨み付ける。  可哀想に。本気だったのだろうか。恭二の口から聞く限り、彼は相手の名前も知らなければ知ろうともせず、一夜限りの遊びで彼女たちの相手をしていたらしいし、それを思うとなんて酷い男だろうかと頭が痛くなる。  店の奥から恭二が顔を出すと、女性は恭二に鼻にかかった声で話しかけている。恭二はお客様として相手をしつつ、大切な女性を送らないといけないからと断りを入れて会話を切る。 「お待たせ。ちょうど良さそうな花瓶があったよ。ん?なに、どうかした?」 「いや、罪作りな男だなと思ってたとこ」 「え?誰?……俺?」  すっとぼけているのか天然なのか、恭二は惚けた顔でめぐみを見る。  自覚がないからお姉ちゃんが寄ってくるのかもなあ。めぐみは溜め息を吐くのを堪えて、じゃあ帰ろうかと恭二に声を掛ける。  恭二は嬉しそうにめぐみの手を取ると、スタッフに声をかけて店を出た。  店から少し歩いてタクシーを拾うと、めぐみのマンションまで一緒に向かう。  そのうち刺されるよとめぐみが言うと、全部後腐れないから大丈夫だよと恭二が笑う。  いや、あの強烈な眼差しは何か嫌な予感がする。めぐみは勘がいい方だ。なにも起こらなければ良いが、恭二は能天気すぎて困る。  程なくしてめぐみのマンションに到着すると、運転手にここで待ってもらうように伝えて、来た分の支払いを済ませて恭二も一緒にタクシーから降りる。  めぐみのマンションのエレベーターに乗り、部屋まで上がりたそうな恭二に、タクシー待たせたままでしょとハグしてからキスをすると、エレベーターに乗せて恭二と別れる。  マンションのエントランスを抜けて外に出てから上を見上げる恭二に手を振ると、タクシーに乗り込む姿を確認してめぐみは部屋に入った。
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