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 女の逆恨みは悪質だ。帰宅してシャワーを浴びながら、めぐみはほとほと疲れ果てて溜め息を吐く。  シャンプーで綺麗に髪を洗い、洗顔料で入念に顔を洗う。ヘアゴムで髪をお団子にまとめると、身体を丁寧に洗って泡を洗い流す。  浴室から出て身体を拭き、楽な格好に着替えて冷蔵庫からワインを取り出して、コルクスクリューを手に取る。  棚からポテトチップスを取り出すと、部屋に入ってテーブルにポテトチップスを置き、ワインの栓を抜いてグラスにも注がずにラッパ飲みしながら床に置いたクッションに座る。 「これはアレかな。私もヤキモチ拗らせたかな」  恭二へのサマーソルトとドロップキックを思い出してめぐみは苦笑いする。  女は警察署に着くなり泣きじゃくった。  担当刑事から取り調べの一部を聞かされたが、恭二に特定の相手、婚約者のめぐみが居たことが気に入らず、昨日の帰り道二人の後をつけ、めぐみの部屋を特定したそうだ。  めぐみの大人しそうな外見にすっかり騙されて、写真を見れば身を引くだろうと、出来心で犯行に及んだらしかった。  改めて平手打ちへの被害届を出すと、ようやくタクシーで家まで帰宅したのである。  ワインとポテトチップスで、夕飯代わりの晩酌を終えると、ピコンとスマホが鳴った。  話がしたい。短いメッセージは恭二からだ。  めぐみはスマホを数回タップすると恭二に電話を掛ける。 「なに?」 『もしもし』 「話ってなに」 『警察行ってきた』  あの女に盗撮されていた件だろうか。恭二に確認すると、そうだと短い返事があった。 「で?」 『不快にさせてごめん』 「コレってよくあることなの?」 『いや、こんなことは一度も』 「だろうね。所詮は全部遊びなんだから」  思わず嘲笑するような発言をしてしまう。 『……めぐみ』  恭二は辛そうな声でめぐみを呼ぶ。何に対しての罪悪感なんだろうか。 「なに?」 『酷い傷付け方をしてごめん』 「自分の生き方がどれだけの人を傷付ける生き方か、ちょっとは目が覚めたの?」 『……ごめん、めぐみ』 「アンタごめんしか言えないの?……で?今更なんの用事」 『都合が良いのは分かってる。だけど俺はめぐみと結婚したい』 「本当に自分の都合ばっかりね」  呆れて溜め息を吐き出す。恭二に聞こえるようにだ。 『めぐみ……綺麗に清算するから』 「恭二。アンタさぁ、それ今になってすること?もっと先にし終わってて然るべきじゃないの?私のことナメんのも大概にしなさいよ」 『それはマジでごめん』 「清算?最後の記念に抱いてくれって泣いて縋られたら抱くわけ?」 『んなことしないよ!』 「しない。ほう?逆上して刺されたら?」 『それは無い、と思う』 「自分の人生の反省しな!」 『本当にごめん。めぐみを傷付けたかったわけじゃないんだ。それに本当に見合い受けてからは遊んでない』 「確認する方法がない」 『…………』 「前に言ってたよね?噛むなり食いちぎるなり、所有の証を残せって」 『言ったね』 「内臓引き摺り出されたいの?アンタ」 『ごめん』 「行きずりの名前も何も分からないお姉ちゃんとの関係をどうやって清算すんの」 『いやそれはガチで行きずりのお姉ちゃんだから』 「そのアバズレが店に来てたじゃねえか!お前本当にロクでもねえな。死んで赤ん坊からやり直せ!」 『たかが一晩遊ぶ相手に、俺いちいち自分のことも店のことも話してないよ』 「実際来てただろうが!」  めぐみは地鳴りのような声ですごむ。 『まさかストーカーになって店に来てるなんて思わなかったんだよ。俺いちいち覚えてないし気付かなかったんだよ』 「まだ懲りずに保身の言い訳しますかね」  めぐみは呆れて盛大な溜め息を吐き出す。 『本当に悪いと思ってる』 「マーキングされて見合いに来て、最初っからマイナスだからね。分かってんの?やっとゼロでフラットになったのに、またマイナスだから元の木阿弥だよ!」 『それは……』 「で?ここまで言われてまで、なんで私に拘るの」  めぐみが一番気にしていることだ。恭二が自分に執着する理由が分からない。 『俺ちゃんと言ったでしょ?一目惚れだよ』 「は?」  また濁しやがった。めぐみは小さく舌打ちをする。 『とにかく、今から家行って良い?』 「はぁ?なんで」 『直接話したいから』 「それはもう完全に清算したってことだと思って良いんだよね?」 『もう既に、嫁にボコられたって噂出回って騒ぎになってるから充分だと思う』 「は?なにそれ」  噂?騒ぎになってる?一体どういう意味だろうか。 『俺の奥さん、めちゃくちゃ可憐な大和撫子だけどキレると怖いって。俺死んじゃうかもって、めぐみの噂』 「まだ嫁じゃないけど随分と的確な噂ね」 『エリアは広いけど狭い業界だからね。そのコネクションで、更に噂流してもらってる』 「恭二に手を出したら鬼嫁が出るって?」 『それに近いかな』  困った声で申し訳なさそうに恭二が言う。  なぜ遊んだ本人でなくめぐみが叩かれる状況になってしまったのか。恭二が女癖悪いのは事実だが、めぐみは鬼ではない。そう。怒らせなければ鬼にはならない。 「人を悪者にして。アンタがあっちこっちで遊んだ代償をなんで私が請け負うのよ」 『俺の奥さんだからでしょ』 「アンタ分かって言ってんの?」 『俺はめぐみしか要らない』 「そうやってお姉ちゃんたぶらかしてきたんでしょ?歩くチンコがよく言うわ」 『歩くチンコって……』 「だから今回みたいなことが起こるんでしょうが!反省しなさい!このクソチンコ!」 『ごめんって。お願いだから名前で呼んで』 「本当に反省してんの?」 『本当にめぐみとの見合いが決まってからは何もしてないよ』 「前日にしっぽり楽しんどいてよく言うわ」 『もういい加減それもちゃんと説明するから、とりあえず家行って良い?』 「は?言い訳しにくるの?」 『……会いたい』  切ない声でただ一言。  恭二はずるい。めぐみが恭二を好きでいることを分かってる。分かっててこんなことを言う。酷くずるい男だ。 「じゃあ納得のいく説明して貰おうか」 『いいの?』 「納得させる自信があるんでしょ」 『俺この前のパーキングに居る』 「は?」  めぐみはベランダを開けてパーキングに視線を向ける。辺りは暗いが、ちょうど街頭に照らされているスカイブルーのステーションワゴンが見える。 「馬鹿じゃないの。本当にもう」 『あ?見えた?』 「もっと早く言いなさいよ。電話代請求するからね」 『良いよ。今から行って良いの?』 「ダメならもうとっくに電話切ってるよ」 『ありがとう。じゃあ行くね』  やっと電話が切れる。  めぐみは脱力してスマホを握ったまま腕を下ろす。  そう。ダメなら電話で口論なんかしない。する価値がない。ダメじゃないからしんどい。どうにかしたいから怒る。 「なんであんなのが良いんだろ私」  ベランダの手すりに肘をついて、コインパーキングから歩いてくる人影を見下ろす。横断歩道まで歩くのがもどかしいのか、二車線の道路で渡るタイミングを見計らってる。  めぐみは慌てて電話を掛ける。 『はーい?』 「恭二!来る前に轢かれて死にたいの?ちゃんと横断歩道使いなさい!」 『え!見てるの?』 「それはどうでも良いから。もう少し進めばボタン式の横断歩道あるでしょ。ちゃんとそこ渡って」  めぐみが言うと、恭二はキョロキョロ上を見ながらも横断歩道の方へ進む。 『めぐみんち、何階だっけ?』 「なんで?」 『ここからめぐみが見えないから』 「見えない方が防犯面で安心でしょうが」 『そりゃそうだけどさ』  このボタン押したら信号変わるの?と会話とリンクして押しボタンを押す様子が見える。 「そこ渡ったら、そのまま左手から回り込んだ方が早いから」  青に変わった信号を足早に渡る姿が見て取れる。 『俺ああ見えて凄い緊張してたみたいで、昨日のことなのにめぐみの部屋が何階のどの部屋だったか本当に覚えてないんだよ』  マンション裏の歩道を歩いてエントランス側に回り込む恭二を確認する。 「私だって恭二の部屋とか覚えてないわよ。8階、806号室。エレベーター出てすぐ左の部屋」 『8階?今エレベーター乗った』 「エレベーター出たら左手。表札は出してないけど部屋番号は書いてある」 『めぐみ、まだ怒ってるよね』 「怒ってたら部屋に呼ばない」 『そうなの?』 「私が怒ったの目の前で見たでしょ。まさか喉仏踏まれたの忘れたわけ?」 『そうだったね……』  あ、8階着いたと恭二が呟く。左?ここかな?806?恭二が呟くのと同時にインターホンが鳴る。  モニターを覗くと恭二が映っている。めぐみは電話を切って玄関のドアを開けて恭二を中に入れた。
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