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新生活に向けた諸々が落ち着き、新居での生活を始めて三日目。結婚式はいよいよ二日後の週末に迫っていた。
キングサイズのベッドの上で、必要最低限の家具しかないだだっ広い部屋を見渡すと、ぐっすり眠る恭二の頬を撫でる。
時計を見ると10時前。昨日は飲み過ぎたなと、めぐみは大きく伸びをしてベッドから降りるとリビングのカーテンを開け、窓を開けるとひんやりとした風が吹き込んでくる。
めぐみは寝巻きのままその足で洗面所に向かう。
ヘアゴムで髪をまとめて冷たい水で顔を洗いながら、先輩の優しい心遣いを思い出してありがたいなと思う。
「梶原さんもうすぐ結婚式なのに、お引っ越しとかお式の準備でバタバタしてるんじゃ無いの?」
産休に入る先輩の森元智恵子が、そう声を掛けてくれたのは新居が決まったころの二週間前だ。
「今まさに忙殺されてます」
笑うめぐみに森元は、結婚式とか懐かしいわとお腹を摩って朗らかに笑う。
「梶原さん飲み込み早いし、私助かってるのよ。だから私からも部長に伝えとくから、遠慮なく有休使ってね」
お見合いからの電撃婚だなんてロマンティックよねとめぐみをからかう。
「でも先輩もそろそろ産休前の有休取られますよね?引き継いだばかりで私まで休んだら他の方にもご迷惑がかかりますし」
「この時期は私……もう梶原さんの担当だけど、そんなに忙しいわけでもないから。周りの迷惑?そんなことより人生の晴れ舞台よ!バタバタ忙しなく生活感ダダ漏れの花嫁さんなんて、主役がそんなんじゃダメよ」
森元はその足で部長に掛け合うと、胸元でOKサインを作りながらウインクして席に戻って来た。
そうしてめぐみは四日ほど前から余裕を持って三週間も有休を取ることになり、一昨日から新居で恭二との生活を始めることになった。
タオルで顔を拭いて化粧水をはたく。
お手洗いを済ませて、キッチンで改めて手を洗うと、冷蔵庫を覗いて朝食の支度をする。今日は冷えるので野菜をたっぷり入れた煮麺にしようかと材料を取り出す。
ベッドで寝言なのか、めぐみを呼ぶ恭二に自然と表情を綻ばせると、その頬にキスをして恭二を起こす。
「おはよう。朝ご飯煮麺で良いかな?恭二」
「んーおはよ。煮麺?あったかそうだね」
恭二は時計を見ると、もう10時なんだねとベッドから起き上がる。
ベッドルームの遮光カーテンを開け放つと、その大きな窓の前で大きく伸びをする。
恭二が起きたのを確認すると、めぐみは調理に取り掛かる。
鶏モモ肉を一口大に切って、ごま油を回し入れた鍋に放り込むと、軽く塩で下味をつけて炒めて火を通す。
その間に白菜や大根、人参などの野菜を食べ易いサイズに切ると、香ばしく焼き目のついた鶏モモ肉を炒めた鍋に湯を張り、そこに切った野菜を入れると顆粒だしを振り入れて蓋をして煮込む。
「ダイニングテーブルがあった方が便利そうだね」
顔を洗ってきたのか、前髪をポンパドールふうにピンで留めた恭二がめぐみを後ろから抱きしめる。
「そうだね。生活するにはまだまだ殺風景だよね」
めぐみは鍋の蓋を開けてお玉ですくった出し汁を小皿に移し、恭二に味見を頼む。
「確かに家具のバランスが悪くて殺風景だよね」
美味いけどちょっと薄味かな?と恭二は小皿を濯ぐと、お醤油足せば?とめぐみに提案する。
めぐみは醤油を回し入れて味見をすると、棚からそうめんを取り出して、具沢山の鍋の中にそうめんを入れてほぐす。
「恭二、悪いけどお椀出してくれる?」
「朝からめぐみの手料理食べられるとか幸せ過ぎて、俺死んじゃうのかな」
ふざけて笑う恭二からお椀を受け取ると、菜箸とお玉を使って具沢山の煮麺を盛り付ける。
リビングのテーブルに運んでもらうと、玄米茶を入れた急須に電子ポットから湯を注いで、揃いの湯呑みと一緒にトレイに乗せてテーブルに運ぶ。
「いただきまーす」
「いただきます」
気に入ったものが見つからず、この部屋にまだソファーはない。床に置いたクッションに座って熱々の煮麺を食べる。
「ああ。染みる」
「昨日結構飲んだもんね」
「めぐみ本当に酔わないよね」
「酔うほど深酒したことないからなぁ。私酔ったらどうなるんだろう。暴れるか甘えるか試してみる?」
「えー?甘えて欲しいけど、万が一めぐみが暴れたら俺真っ先に倒されちゃうよ」
クスクス笑う恭二にめぐみもつられて笑う。
昨日は新婚旅行用にトランクケースを買いに、車でアウトレットモールに向かい、専門店でトラディショナルなシンプルで使い勝手が良さそうな物を購入した。
そのあとは洋服や雑貨を見て周り、今使っている急須と湯呑みの他にもいくつか調理器具や食器を買い揃えた。
「そういえば、指輪は今日取りに行くんだっけ。何時だった?」
そそくさと煮麺を食べ終えると、お茶を飲みながら恭二を見る。
「昼以降って言ってたかな?」
まだ少し眠たそうに目元を押さえながら恭二が湯呑みを手に取る。
「そっか。じゃあお昼は手抜きで申し訳ないけど、煮麺の残りで済ませようかな」
「充分だよ」
恭二は笑うとめぐみに抱きついて、ごちそうさまでしたと頬にキスをする。
食べ終わったお椀をまとめてトレイに乗せると、恭二は立ち上がってそのまま洗い物を始める。
めぐみはその姿を見ながら、またお茶を飲む。見合いに絡んで一波乱あった訳だが、先日、恭二の悪友であのマーキングをつけた秀彰に会った時には、満面の笑みで正拳突きをお見舞いした。
本当に出来心と悪戯心でやったのだと、平身低頭謝り倒す秀彰に、めぐみはかかと落としの素振りを見せて、更に土下座を誘った。
ストーカーに関しては禁止命令が出されている状態で、警察からは実家に連れ戻されたと聞いている。
「……恭二さん」
「なに!俺なんかめぐみにやっちゃダメなことした?」
「なんでそんなに怯えるの」
「めぐみが急に俺を恭二さんなんて呼ぶからでしょ!」
洗い物を終えてタオルで手を拭くと、キッチンからリビングに戻ってきてめぐみの隣に座る。
「そんなに変?」
「やましいこと何もないけど、なんか怒られる気配でドキドキしちゃうから心臓に悪い」
「ははは!」
めぐみは湯呑みをテーブルに置いて笑うと、隣に座った恭二の手を取る。
「どうしたの?なんか改まって話したいことでもあるの?めぐみ」
顔を覗き込んで恭二が不思議そうな顔をする。めぐみは真剣な表情になって恭二を見つめると、若干頬を赤らめて小声で呟く。
「いつになったら本当のお嫁さんにしてくれるの?」
「婚姻届はもう出したじゃない。結婚式のことなら、もう今週末だよ?」
恭二はこんな時に限ってとんちんかんな返事を返してくる。
めぐみが言いたいのはそういうことではない。新居に越してきたのが一昨日。恭二が言うように婚姻届は引っ越しの手続きと併せて一昨日提出して不備もなく受理された。
一昨日は先の届け出や引っ越しの片付けと家具や家電の搬入でバタバタしてくたびれて眠った。それは仕方ない。
そして昨夜、引っ越し祝いと称して二人でお酒を飲んで良い雰囲気になった……にも拘らず!夜はいつもどおり優しい腕に包まれて眠った。
そう。名実共に恭二の嫁になったのに身体は清いままなのだ。
「それ、わざと言ってる?」
「え?なに?俺変なこと言った?」
「恭二って私が相手だと本当にダメね」
はあ、と呆れて溜め息を吐き出すと、恭二は困惑したようにめぐみの手を引き寄せて抱きしめる。
「なんでダメなの?俺気付かないうちに何かした?」
めぐみは気恥ずかしさから、はっきりとした返事ができない。そんな黙り込むめぐみに、恭二は更に焦ったようにどうしたの?と顔を覗き込んでくる。
「何もしない、からでしょ」
顔を赤く染めながら少しむくれてめぐみが返すと、ようやく悟ったように恭二が可愛いなあと抱きしめる腕に力を込める。
「俺はめぐみが大事だからね。めぐみの気持ちも尊重したいんだよ」
「温泉であんなエロいキスしたくせに」
「だけど本当は、結婚するまでは自分を大切にしたいでしょ」
「もう籍も入れたじゃない」
「結婚式はまだだもん。バージンロードはきれいなままで歩かせてあげたいし、お義父さんへの礼儀だよ」
「チャラいくせに律儀よね」
「なに?そんなに俺が欲しいの?」
ドン!露骨な誘いにめぐみが恭二の背中を容赦なく叩く。痛いよと泣き真似をして恭二はめぐみに甘くて優しいキスをする。
「俺20年以上待ったんだよ?大事にさせてよ」
「分かってるけどさ」
「大切だから大事にしたい。軽々しく触れたら俺歯止め効かないよ?」
恭二は真剣な顔でめぐみを見つめている。めぐみもそれを真摯に受け止める。
「そうだよね。20年以上って凄いよね」
「そう。だからもうちょっとくらい平気」
「あーでも待てないくらい恭二が好きみたい」
唇に噛みつくと、恭二は優しく背中を撫でて、そんなに可愛く強請らないでと困ったように笑う。
「俺もめぐみが大好きだよ。グッと堪えて我慢してるんだから、あんまり可愛いこと言って刺激しないで」
「それが恭二の愛情なら仕方ないね」
あんなにお姉ちゃん遊びしてたのに、そんなに禁欲が続いてチンコ破裂しないの?とめぐみは意地悪く呟く。
「ははは!破裂しちゃったら肝心のめぐみを抱けないじゃない」
恭二はめぐみを抱く腕をほどいで、チンコって言わないの!と言いながらお腹を抱えて爆笑している。
「それは困るね」
「いやまず破裂しないからね?」
肩を揺らしながら笑いすぎて滲む涙を拭うと、恭二はお茶を飲んだ。
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