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 天窓から木漏れ日のような日差しが差し込み、小鳥のさえずりでめぐみは目を覚ます。  時計は無いが、まだ6時か7時ごろだろう。  めぐみを抱く恭二の腕から抜け出すのは容易かった。その疲れ切った寝顔を見て、少なからず忙しい合間を縫って時間を作ってくれたことを察しためぐみは、恭二の頬を優しく撫でる。 「ん……んん」  下手に他の女の名前を呼ばない辺り、遊び慣れているのを裏付けるにはちょうどいい判断材料になった。  めぐみは脱衣場に向かうと、寝崩れて乱れた髪の毛を纏め直して頭頂部にお団子を結い直し、浴衣を脱いで露天風呂に浸かる。  紅葉した山が美しくて、遠くに視線を伸ばす。昨夜はすっかり陽が落ちていたので、こんなにも豊かな自然に囲まれていることにまで注意が及ばなかった。  大きく、けれど静かに深呼吸をしてゆっくりと温泉を楽しむ。せっかく恭二がくれた時間だ。あの疲れ切った寝顔を思い出して、楽しまなければ。とめぐみは湯船の中で大きく伸びをした。  そのあとどれくらいだろうか?のぼせそうになると、縁に腰を掛けて身体の熱を取り、また外気で身体が冷えると湯船に浸かるのを繰り返していた。  カラカラと引き戸が開く音がしてそちらに視線を向けると、目を擦りながら恭二が現れた。もはやタオルは巻かないことにしたらしい。 「おはよ」 「おはようございます。もうそんな時間ですか」 「何時から入ってるの」 「6時か7時から?」 「そんな早起きしたの?起こしてくれたら良かったのに。身体ふやけちゃうよ?」  恭二は寝惚けた顔で笑うと、シャワーで顔を洗い、掛け湯代わりにシャワーを浴びると、湯船に入ってめぐみの隣に座った。 「ワイナリー行くんでしょ?」 「チェックアウト何時ですか」 「好きな時間に出れるよ。ワイナリーはさっき予約したから、それに間に合うならギリギリまでいても良いし、早めに出てどこかで食事しても良いかもね」 「恭二さん本当は疲れてるでしょ?私の運転は怖い?」 「どうしたの急に。めぐみちゃん俺の心配してくれてるの」 「半分は自分の身の心配かな。気分転換に運転したくて。ダメ?」  覗き込むように見つめると、明らかに動揺したように恭二は表情を歪ませる。 「なに……俺、寝言で誰か呼んだ?」 「ははは!寝言だと口は固いみたいだから安心して」  耳の裏に残されたマーキングの紅い痕が消えた恭二を抱き寄せると、今度は頭の回転の良いお姉ちゃんと遊んでねと耳朶をつまんで捻る。 「痛っ。どうしたの?機嫌がいいね」 「マーキングが薄れたご褒美かな」 「え?ああ、さすがに消えるよね。可愛いヤキモチってことで、今から淫らな遊びを楽しもうか」 「しないよ。どうせ夜になればお姉ちゃんが跨って喘いでるのに、私までご奉仕してたら世話ないよ」 「鎖で繋ぐ?俺、御主人には従順だよ」 「鎖がないと聞き分けないなら要らないかな」  めぐみは笑って恭二にキスをすると湯船から出る。  先に風呂場を出て身体を拭くと、真新しい下着をつけて、浴衣を羽織って部屋に向かう。  部屋の隅に畳んで置いていたニットに袖を通し、デニムを履くと、衣装ケースから靴下と小さなエコバッグを見つけ出し、至れり尽くせりだなと感心する。  浴衣を畳むと、脱衣場に戻って使用済みのタオルと一緒に籠の中に入れておく。  カバンからスマホを取り出すと時間は10時20分。たっぷり温泉に浸かったおかげか肌はしっとりとして心地好い。  冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出すと、ペットボトルのまま口を付けてゴクゴク飲む。喉の渇きが癒えて身体が完全に息を吹き返す。  スマホの画面をいじっていると、メッセージが何件か届いている。佳子からだろうか。アプリを開くと道香から明日から出社できると嬉しそうなメッセージが届いていた。  ようやく落ち着いた生活を送れるようになった親友の報告に安堵して、めぐみは見合い相手と温泉旅行とメッセージを返した。 「ご機嫌だね。何か良いことあったのかな」 「ちょっとゴタゴタが解決したの」 「そう?それは俺が聞いても良い話かな」 「私のことじゃないから、また改めて話せる時に話す」 「話してもらえる間柄にならなきゃ聞けないってことか。難題だね」 「私じゃなくて、恭二さんが荒波を乗りこなすことになったの?」  めぐみが笑うと、恭二はそうみたいだよと笑ってキスをする。 「めぐみちゃん。その残りで良いから俺にも水ちょうだい」 「ああ。はいどうぞ」  キャップを開けて恭二にペットボトルを渡す。ゴクゴクと喉を鳴らして水を飲む姿にめぐみは初めてドキドキした。  マーキングが薄れたからって、随分現金だなとめぐみは苦笑いを浮かべる。 「どうかした?」 「べつに。ところで何時に出るつもり?もう少し休むのかもう少ししたら出るのか」 「んー。眠いけど、ちょっとお腹も減ったかな。めぐみちゃんこそ、早起きだからお腹減ってるんじゃないの?」 「朝はあんまり食べないから、そこまでお腹は減ってないかな。でも恭二さんに合わせるよ。好きなようにして」 「だったらセックスし……」 「それ以外でお願いします」  食い気味に制すると、恭二は笑いながらめぐみの頭を撫でる。 「好きなようにって言ったのにな。俺の奥さんは手強いねえ」 「恋人ですらない見合い相手でしょ」 「手厳しいなあ。温泉であんなに蕩けるキスした仲じゃないか」 「えー?夢でも見たんじゃないの」  めぐみは浴衣から大腿を覗かせる恭二に、とりあえず着替えたら?と服を着るように促した。ドキドキするからとは言えないので、せっかく暖まったのに冷えるよと付け加える。  恭二が着替えている間に、めぐみはお手洗いを済ませて洗面所で髪を整える。頭頂部で結えたお団子をほどいて、昨日来た時と同じく左耳の下辺りで髪を纏めてお団子を作り、カチッとならないように柔らかくほぐす。  何気なく鏡を見ると、恭二が残した紅い花弁が首筋に散っていることに気付く。  あのタヌキめ!甘い痺れは感じていたが、まさかマーキングされているとは。少しでも恭二にドキドキした自分に腹が立つが、とりあえず今は髪型を変えなければいけない。  お団子をほどいて代わり結びのハーフアップにして首筋を覆い隠す。  部屋に戻ると残念そうに恭二が隠れちゃったと言うので、確信犯な辺り計算高くて嫌になる。 「まったくもう。そんな簡単に所有物扱いしないでよ」 「だって可愛いんだもん。大人しく寝ただけでも褒めて欲しいよ。俺がめぐみちゃんを抱きしめながらどれだけ昨日の晩を耐えたか。涙なしには語れない切ない俺の話聞きたい?」 「こんな痕をつけなければ身体だって許したかもね」 「ありゃ、それは取り返しのつかない残念なことをしたね」  ガックリと項垂れて途方に暮れるフリをする。ほだされちゃいけない。恭二はエロダヌキだ。  スマホを見るともう11時だ。 「ところで愛しの恭二さん?時間も時間だしもうそろそろお暇しますか?」  俺の扱いが上手いねと恭二は甘い笑顔を浮かべると、めぐみの腰を抱き寄せて額にキスをする。 「道の混み具合も分からないし、確かにそろそろ出たほうが良さそうだね」  ワイナリーの隣がレストランだと聞いて、ならばそこでランチを取ろうと、めぐみは恭二にレストランの手配を任せる。  忘れ物がないか見て回り、恭二が見事に忘れていた下着を回収すると、めぐみは改めて恭二に忘れ物がないか確認する。 「貴重品はあるから大丈夫だよ。めぐみちゃんて母性が強いよね」 「ああ。母親気質ってよく言われる」 「朝から晩まで甘やかされて面倒見られたいなあ。その分夜は俺が甘やかしてあ……」 「あげなくていいから」 「そんな食い気味に否定しなくても良いのに。俺多分惚れた女には優しいよ?」  恭二はめぐみを抱き寄せて唇を啄む。 「それは今夜のお姉ちゃんに言ってあげて」  めぐみは動じずに真顔で恭二を見つめると、行きは持ってなかったエコバッグで恭二を叩いて腕をほどかせる。  部屋から出てチェックアウトを済ませると、恭二から鍵を受け取り、今度はめぐみが運転する。  ナビにワイナリーの住所を転送すると、確かに帰り道の道なりにあるらしい。  めぐみは隣であくびを噛み殺す恭二に寝てて良いよと声を掛けると、小さな音でカーステレオを流し、ゆっくりと車を出した。
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