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※  翌朝、ヒムラが目覚めると珍しくまだマチが眠っていた。そして珍しくカケルが既に起きていて、持参したパソコンのキーボードを外した状態で操作していた。目覚めたヒムラに対して言葉ではなく表情で「おはよう」と告げる様子に頷いて返し、一式を持ち洗面所へと向かった。  すっきりして戻った後は昨日のようにカケルと向かい合い、「何をしているのか」とカケルが抱えるパソコンを指さした。それにほんの小さな声で「頼まれ事」と一言返した後、カケルはマチを指さした。「さっき寝たんだ」そう言ってパソコン画面に戻されたカケルの表情は少しばかり微笑ましくなっていた。  真横の大きな窓に打ち付ける雨粒はなく、降り続けていた雨は止んではいるものの細かな霧となって大差はない。部屋の壁に取り付けられた時計を確認すると時刻は六時半。昨夜、冬生二葉(ふゆきふたば)は朝食が七時半と言っていたか。先程眠ったばかりのマチが朝食を食べられるのだろうか、それ以前に起きるのだろうか。ヒムラは未だ自身もぼんやりとする頭で昨夜の席を思い出し、また胃が痛むのを感じた。  ヒムラの心配を他所に、七時十分に目覚めたマチはいつもと変わらず寝起きとは思えない手際の良さで身支度を整えた。けれど深夜か明け方に入った風呂で髪を乾かさなかったのだろう、珍しくうねった寝ぐせが残り、それを洗面所で濡らして来たらしい。火をつけない煙草を咥えながら、部屋の中でドライヤー片手に髪を直した。  起きてからものの数分、いつもの微塵の隙もない日昏(ひなき)マチが出来上がった。 「今日は手分けするぞ」  部屋を出る間際にマチがそう言って、ヒムラはカケルが既に起きていたことを理解した。恐らくカケルはこの部屋に残りなにかを調べて、自分はマチと共にどこかへ出るのだろう。マチは部屋を出た後はそれ以上なにも言わなかった。きっとこの家の人間を誰一人信用していない、ヒムラにはそんな表れのような気がしていた。  昨夜夕食を摂った部屋と同じ部屋に七時二十五分、三人が入った時には既に奈津(なつ)が席についていたが冬生(ふゆき)一家の姿はまだなかった。  こちらを察知した奈津(なつ)が振り向き、あの、仄暗い目とヒムラの目が一瞬かち合ったが、その目はすぐに残り二名のどちらかに向けられた。 「おはようございます」 「おはようございます」  奈津(なつ)とマチのそれ以上は一切なんの感情もないような、似通った声のトーンが見事に重なった。後を追ってカケルが更に挨拶をして、着席と同時にヒムラは会釈をしてから挨拶をした。  ヒムラはひっそりと、奈津(なつ)の視線を観察した。おかしなもので奈津(なつ)の視線はあまりヒムラには向けられない。その代わりカケルにはやたらと向けられ、見比べるようにマチにも視線が向くのだ。一体、なんだと言うのだろう。やはりなにかを確認する作業のようにヒムラには思えた。  それから数分もせずに沢三谷(さわみたに)鵡川(むかわ)が出入りを始め、昨夜と変わらぬ明るく元気の良い声で一気に場が和らいだ。  「よく眠れた?」とか「今日の献立はね」「嫌いなものあったら言ってね」など、面白いものでこちらはヒムラに集中して声をかける。恐らく鵡川(むかわ)にとっては息子と同年代、沢三谷(さわみたに)にとっては孫の範疇かもしれない。  やがて明るい声を割って冬生憲三(ふゆきけいぞう)二葉(ふたば)秋知(あきち)が現れ、昨夜と同じように冬生二葉(ふゆきふたば)の声から食事が始まった。この席には鵡川(むかわ)沢三谷(さわみたに)は参加はしているが食事は並べていなかった。 「今日は冬生(ふゆき)家の過去の部分から調べます」  始まってすぐ、マチが言うと彼等は皆ぽかんとした表情となった。 「過去、私の前の代から、九代前までということですか?」 「はい。なにがあって、なにをして、どうなって、どうなったか。そういったことを調べます」 「はて、具体的には、どういった」 「家系と土地です」  淡々としたマチの声が、静まり返ってしまった食卓に通る。それを打ち返すような冬生憲三(ふゆきけいぞう)の太い声が、上座の向こうからまるで地響きのように響いてくる。 「成程! でしたら私が話とつけておきましょう! こう言っちゃなんですが、これでも仕事柄役所の人間とは仲が良いんです。担当の者を作ってもらいましょう!」 「そうね、米木(よねぎ)さんなんてどうかしら。あの方にお世話になった時はとても印象が良かったもの」 「連絡をつけておきます!」  任せておいて下さい、そんな動作で冬生憲三(ふゆきけいぞう)は大きく頷いてみせ、その横で二葉も小さく何度も頷いて見せた。けれどその状況に納得しているのはどうも夫妻のみのようで、一瞬、鵡川(むかわ)沢三谷(さわみたに)が横目で見合わせていたのを、ヒムラは見逃さなかった。  秋知(あきち)奈津(なつ)はそれぞれなにも言わない。返されたマチは能面が一層白けた表情にはなったもののなにも言わない。すぐに話題は昨夜の夕食のものと代わり、圧されるようにその話題は流れていってしまった。  奇妙な空気になった中、ヒムラは冬生(ふゆき)一家が今日は和装ではないのだなと眺めていた。ベージュのロングスカートとごく普通の白いTシャツ姿の秋知(あきち)はどこにでもいるヒムラと同年代の女の子であった。少し疲れた様子も、単に朝が弱いだけにも見えてしまう。  秋知(あきち)はヒムラの視線に気が付いたのか、目を合わせるとにこやかに微笑んだ。とても華やかで、目映い笑みだった。
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