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安屋(あんや)さん」  背後で扉が開いて閉まる音がして、同時に自分を呼び止める声が聞きなれた秋知(あきち)のものではないことに安屋(あんや)は呼吸が止まるような緊張を覚えた。振り返るとあの、テレビや雑誌の中の生き物のような少年がこちらへ向かって来る。髪の色は今時らしい、そう、そこだけ切って張り付けたように今の若者らしいのだ。漂わせる空気感とは、まるで違った。  冬生憲三(ふゆきけいぞう)からほんの数十分前に連絡が入り、往診を今日にして欲しいと告げられた時にはなにも思いやしなかった。けれど辿り着いていなや聞かされた話しには身構えた。いや、結果的にすることは常々変わらない。前回と同じことを同じようにするだけだった。それでも他人の目があることに変わりもなく、するわけもないのだが失敗を恐れて身構えた。 「なんだろう、どうかしたかな」  椅子を譲られた時にも同じことを思ったが、この少年は同年代の子達よりは随分と小柄で華奢でもあった。あの、秋知(あきち)と殆ど大差ない。性別差で多少骨ばっているのが見た目で違う程度、そう思えば、秋知(あきち)よりも余程健康面に問題があった時期があったのかもしれないと思わせた。  だが、そもそもどの年代なのだろう。髪の色やピアスが自由な層として考えても十代後半から二十代、それにしてはもっと、ずっと歳が下にも見える。確かに、こうして年齢が不詳である人間はいるだろうが、それにしてもどこか、違和感があった。 「お伺いしたいことが、あ」  金と黒が混じる前髪から覗く目は冷静というよりも状態が窺えない。例えば感情や要求といったものや予測が出来ないといったところで、なんだかこの目には覚えがあった。もう一人、こんな目をした人間がいた。 「なんだろう?」 「鞄からなにかはみ出てます」 「え?」  当然、確認しようと俯いた。途端、耳元で高く無機質な音が鳴り、その音は頭部を貫くように響き渡りながら、まるでその瞬間の思考をその波で押し消していくような印象だった。 「なん、……」  音の原因を辿るとそこには真鍮色をした細く短い棒を右手の指で摘まみ、こちらに向けてかざしている少年が、先程よりも更に無となった表情を向けていた。 「普段はこういうことはまずしない。人間相手にそこまでのことをする気にはなれないんだ、流石に。でも〝そっち〟がその気なら、同等のことで返しても正直痛む心もない」  少年のやけに低い声が不協和音に聞こえたのは、恐らくまだあの高く無機質な音が耳に、頭に残っている所為なのかもしれない。あまりに不快で、耳を守るように傾げた首が元に戻らない。 「……なんの話をしているのか」 「今日の朝に冬生憲三(ふゆきけいぞう)に呼ばれたな。俺に医療行為を見せるだけが目的か」 「事実であることを……なんだ……?」  耳に、頭に残る高く無機質な音の所為ではっきりとわからない。今、〝どちら〟が口から出て、〝どちら〟が頭の中で考えた言葉だったのか。 「俺に秋知(あきち)の命が終わることを印象づけてなんの意味になった。呪いが本物であると思わせることともうすぐ死ぬこと、そんなものを俺に与えて何になった」 「違う、これはあんただけにってわけでもない、ずっと……この家が続けて、違う」 「言っていいぞ」 「〝本人〟も……自覚がつくだろう……」  今、自分の口から出たのが〝どちら〟の言葉なのかわからない。けれどきっとそうなのだろう。少年の表情が変わった、先程までのほんの微々たるものでもなく、はっきりとした嫌悪に。 「わざわざ医者を寄越してまで役所から遠ざけたいとは、役所で手に入れられる情報には随分後ろ暗いことがあるわけだな」 「どうせ偽物だろうと余計な……いらんことをしてこの形を崩され、この、良い状態で、進んでる……ああ、くそ、なんだ」 「つまりここまで予定通りで進んでいるというのか。じゃあ、なんで予定外に俺を呼んだ」 「そんな、続いてはならないから、違う、そうじゃない、そうしているのはこの家で私では」 「俺が呪いを解こうが解かまいが、どちらの結果であろうとそれが良い結果というわけか」 「いや」 「あわよくば解ければいい、か」 「頼まれたのは呪いのことだけだろう、この家のことなんて必要は」 「そうだな、俺が頼まれたのは呪いのことだけだ。だから秋知(あきち)の命以外に気を向けてやる気もない」  少年の返答だけで、自分がなにを発してしまったのか理解出来ていた。けれど、より慎重に一つ一つの言葉を丁寧に考えるだけ少年の表情で自分がしようとしたことと真逆の結果になっていることがわかった。耳と頭に残る無機質な高音が未だ消えない。そうだ、自分の声も聞こえない。だから〝どちら〟を口に出しているのかもわからない。いや、では何故“どちら”の言葉も把握して、なにが、なにが―― 「どうなっている……」 「これは俺の目でも見えない、俺の耳でも聞こえないものを見て聞くもの。お前が考えていることなんて、俺には全て聞こえてるんだよ。どっちがどっちなんてもの、考えなくてもな」  そんなことが出来るものか、瞬発的にそう考えたのも束の間、現実に自分の身にこうして不可思議な現象が起きている。自分の身に起きているはずが、説明のしようもない。なにがどうなって、なにが起きているのかすらわからないのだ。  少年が向ける目が痛い、いや、怖い。まるで自分の目もその奥の感情や欲までも貫いて、刺したそれがじりじりと痛めつけているようだ。貫いたものを回して、傷口をねじるような。 「……違う、私がしようと言ったことでもない、絶対にそうなるんだ、この家の娘はこれまでもずっと」 「俺はお前みたいな人間達が嫌いだ。そこにどんな理由やらがあろうと、どうなっても知ったことでもない」  少年は再度真鍮色の棒をこちらへかざした。そうしてとても、とても酷い嫌悪を向け、その低い声で囁いた。 「秋知(あきち)は生きる。俺が生かす」  少年が真鍮色の棒を、人差し指で弾いた。すると先程とは打って変わって鈍い音が鳴り、同時に耳と頭の中の無機質な高音が消えて行った。暫く続いた不快さは少々残った、だが、これ以上少年の前に居続けることの方が余程辛い。安屋(あんや)は急いで踵を返し廊下を進んだ。  足早に進む自身の足音に続くものはない。ほっとはしたが、それだけだった。  長年密にしていたことが全て、出ていってしまった。だが、自分になにをどうしろと言うのだ。冬生(ふゆき)の家の娘は必ず死ぬ。記録もはっきりと残っていた。何年も何年も、あの家では娘が死んだ。  医療に携わる自分の目でも秋知(あきち)の状態に説明がつくものが見当たらなかった。どこが原因でそうなっているのかも、度重なる精密検査でさえ明らかには出来なかった。それを〝諦める〟のがなにが悪い。そうなのだとわかればそれなりに心構えも、残す後悔も少なく済む。なにが悪い、どうにもならないのだ。  冬生(ふゆき)の家は必ず死ぬのだ、娘だけは、絶対に。  そう記録にも残っていた。だから――
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