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「前任の方と連絡が取れました」と築がヒムラ達の部屋に訪れたのは凡そ十分は前、そこからマチのスマートフォンに連絡を入れて戻って来たのがつい先程。部屋に戻ったマチの雰囲気に異変を感じたが、築のいる前では言葉にするわけにもいかずヒムラは黙ってマチと築のやり取りと見ていた。
昨夜、築が前任の運転手に連絡を取り、今日の午前十一時に会える予定を取り付けたのだと言うが、勝手に時間を決めてしまったこと、連絡先すら聞かずに出勤してからの報告にもなってしまったこと、築はマチが入室するなり〝もう一度〟謝り倒した。十分前、ヒムラとカケルにもしたように。
築の謝罪の猛攻も、マチはいつも以上にすんなりと軽く流しているように見えた。つい先程まで秋知と会っていたことがまるでなにもなかったかのように振る舞うのが、ヒムラにはよくないことのように思えた。きっとなにかあった、マチはなにもないよりあった時の方が、増して静かになる。
築と共に前任者に会いに行くのは当然全員で、と思っていたが、直前「僕は残るね」とカケルが辞退した。同時にヒムラは早朝からカケルが何事かを調べていたのを思い出し、きっと更に作業が増えたのであろうと察した。マチがこの部屋に戻る前に、スマートフォンでカケルに指示を出したのであろう。
マチと二人、築の運転する車に乗り込みものの数秒、ここまで飄々としていた築が興奮冷めやらぬ様子で前任者、館脇という人物について語り出した。
「私もお会いしたいと思っていたんです。なんせとてもお世話になりましたから、七年経って多少は教えて頂いた通りの姿にはなれているのではないかと」
「何年振りに会うんですか?」
「三年前に市内でお会いしたのが最後ですので、それ以来になります。今年七十五になられるはずですが、昨夜お声を聞いてとてもお元気でしたし、楽しみでなりません」
築の言葉はまだまだ続く。乗り物に弱いマチがこれに反応出来るわけもなく、ヒムラは身を挺すような気分で築との会話を続けた。
前任者は昨日一度だけ耳にした館脇という男性で、今しがた聞いたように今年七十を迎える。退職もしているが未だ精力的に時折の仕事だけならずボランティア等にも参加しているようで、常なにかしらへと動いていて築もそうそう顔を合わせることが無くなっていたという。
そんな彼を今回捕まえられたのは「大人の夏休み」と称して夫婦二人、この夏を遊び尽くすと決めたからなのだそうだ。この夏いっぱいはボランティアもなにも入れず、兼ねてから興味のあったキャンプや随分としなくなった花火、川にも遊びに行こうと予定を立てていたもののこの雨続き、次々と頓挫してしまい暇を持て余していた所に築からの連絡、となった。
本日の予定は妻と外食と決めていて、その前時間ならば、ということだった。その間にショッピングを楽しむということで妻からの許可も簡単に降りたのだと言う。
待ち合わせの時間は館脇の予定に沿って市内のショッピングモールの一階、広間に椅子やテーブルが置かれたフリースペースで緑のハンチングをかぶって待っている。
きっちりとスーツを着込んだ築と全身黒いが軽装のマチとどう見ても高校生であろうヒムラ自身と、なんとも他人から見ればおかしな三人組となってしまったが仕方がない。少々人の目が気になるところではあるが、目的の場所まで築を先頭に歩いて向かった。
「築君!」
平日ではあるが時間帯も昼で人が少ないわけではない。けれどヒムラ達が探す暇もなく老人の声は三人を呼び止めた。声の元には丸いテーブルの一角、緑のハンチングに薄い水色のシャツを着た館脇が座ったまま、大きくこちらに腕を振っていた。
「やあ、館脇さん! 本当にお変わりない! お久しぶりです!」
嬉々というよりは感動にも近い築の声に負けぬ館脇の歓迎の声にヒムラは少々驚いた。ともすれば親子程離れた二人が旧友と顔を合わせたように喜び合っている。互いに肩に手を置き、うんうんと頷きながら。
〝大人〟といういものから離れて生きるようになってからも、それ以前からも、ヒムラにはこうしたイメージが〝大人〟にはない。ヒムラにとって最も近い大人のマチとカケルがそうした部分でドライであるわけでもないのだろうが、確かに、見たことはない。もう少し離れた所には千葉と鏡がいるが、この二人については少し、更に違った印象を持っている所為で除外でもある。となればやはり、目の前の様子がとても物珍しく感じた。
「いやあ、随分と様になったね。最初はスーツに着られてる風でもあったのに」
言いながら館脇が椅子に座り直し、その動作でヒムラ達にも座るように促した。こんな時でも築は自身の立場を忘れることなくマチとヒムラにまず着席を勧め、最後に椅子に腰かけた。館脇とマチが向かい合うように、そのマチの左右に築とヒムラが座った。
「日昏です。お待ち頂いている奥様にも申し訳ないので始めても構いませんか」
「やあ、びっくりした。君は男の子かい?」
このやり取りをこの二年間でどれだけの回数目にして来たであろうか。ヒムラは目線だけでマチを覗き見たが、マチが動じるはずもない。ヒムラにとっては〝何度〟であってもマチにとっては〝毎度〟に等しい。マチの容姿に感嘆とした声で言葉を続ける館脇に、築だけが少し困った顔をしていた。
「冬生家の娘さんについてご夫婦から依頼を受けました。私は専門家ですが少々腑に落ちない点もあり、長く冬生の家に関わって来た館脇さんのお話を伺いたいのです」
「ああ、やっぱり、秋知さんは良くはならなかったんだね」
途端に曇った表情に変わった館脇は一度緑のハンチングを脱ぎ額から後頭部までを撫で上げた。深いため息を吐いてハンチングをかぶり直すまで、その視線はどこか遠くへ向けられ続けた。
「私が生きている内に二人も若い娘さんが死ぬことになるのかね、あの家は」
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