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 館脇(たてわき)冬生(ふゆき)家の運転手を務め始めたのは二十九の春だった。当時地元で叔父が経営する工場に勤めていたがその叔父が倒れ、元々悪かった腰のことも考えて工場を閉めた年、兼ねてから叔父と交流のあった冬生憲三(ふゆきけいぞう)の父からの誘いもあって職務に就いた。  工場勤務ということもあり機械をいじることも勿論、運転にも自信があった為苦になるようなこともなかった。なにより叔父と交流があっただけ館脇(たてわき)自身にも当たりが良い。冬生憲三(ふゆきけいぞう)の父、冬生壽秀(ふゆきとしひで)はとても人好きな、立場にのぼせ上がることもなく気さくな人柄だった。  既に家族ぐるみで良くしてもらっていた。しかし、そんな冬生壽秀(ふゆきとしひで)が人が変わったように落ち込んだ年があった。  それは彼の妻が初めての出産を迎え、生まれた我が子が若くして死んだ年だった。その子が生きたのはほんの十五年、初めての子供で、娘だった。  お腹を痛めて産んだ妻に比べたら、そう言って冬生壽秀(ふゆきとしひで)は妻の前では必死で前向きに振る舞った。けれどその実、彼は館脇(たてわき)が運転する車の中だけで泣いた。時にはそれだけの為に車を走らせ、館脇(たてわき)もその時間に付き合った。そうしてその車中では、更に心を打ち砕くような事実さえも知った。  冬生壽秀(ふゆきとしひで)が子供を失ったのはこれが二度目のことだった。一人目は館脇(たてわき)が務めるずっと前、その子は十一歳でこの世を去った。その子もまた、娘だった。  そして彼は嗚咽に咽びながらも震える声で言った、「これはこの家の呪いなんだ」と。  この時、館脇(たてわき)は三十八で、自身にも二人の子供がいた。どちらも息子ではあるが、彼の告白は身につまされるようだった。  随分と長い時間車を走らせたが堪らず車を止め、館脇(たてわき)も泣いた。あの家では娘が死ぬ、大昔からずっと、必ず。 「そんなことがあってたまるかって話なんだがね、私が勤めていた頃にもお嬢さんは実際に亡くなってしまって、それが二人目だっていうのに、憲三(けいぞう)君にも続いて秋知(あきち)ちゃんともなったら……なんだって老いぼれじゃあなく、そんな娘さんばっかりを狙うのかね……」 「冬生壽秀(ふゆきとしひで)さんは今」 「いやもう、ずっと前に亡くなっているんだ。私より一回り年上でね。ずっと付き合いもあったから、時々思い出しては泣いていたよ」 「(つき)さんが呪いの件を知っているということは、館脇(たてわき)さんが(つき)さんに?」 「私もはなしたが、憲三(けいぞう)君からも聞いたんだろう?」 「ええ、勿論」 「壽秀(としひで)さんの娘さんと憲三(けいぞう)さんの娘さん、どちらも同じ状況でしたか?」 「そうだねえ……私は秋知(あきち)ちゃんとは五歳までしか一緒ではなかったから、最近のことはよくは知らないけれど。壽秀(としひで)さんのお嬢さんは、もう、どんどん大人しくなっていってしまってね。元々は御転婆な性格だったんだけれど、思い通りに動けなくなっていった体に引っ張られて、心まで萎れちゃって。お嬢さんとは九年間過ごしたことになるけど……秋知(あきち)ちゃんも随分病院で検査もしただろうけれど、壽秀(としひで)さんの娘さんも随分色んなことをしたよ。それでよく、泣いていたっけなあ」  重苦しい館脇(たてわき)のため息にその場の全員が黙して俯いた。マチは視線だけをテーブルに、なにかを考えて睨みつけていた。  冬生(ふゆき)家に来て状況を把握してからも、ヒムラには未だ少々解せない部分もあって呪いを信じ切れていなかったのかもしれない。それは目に見えない所為も、〝尻尾〟を出さない所為もあったのかもしれない。現に秋知もものの数秒で消え入るような灯の印象もなかった。けれど、この館脇(たてわき)の話を聞いて、最早なにを疑えるのだろう。  彼の目で見て既に二人が短い命と散ってしまった。その上、今、秋知(あきち)という存在が、残っている。 「しかし、奇妙な呪いだよ。それに、なにもそんな楽しい時期に呪い殺さなくてもいいじゃないか。まるで恋姫(こいひめ)さんみたいな呪いだよ」 「恋姫(こいひめ)ですか?」  館脇(たてわき)の言葉に反応したのは(つき)のみで、その様子からその、「恋姫。こいひめ」というものがこの土地ならではのものであることが想像できた。 「詳しくお伺いしてもよろしいですか」 「ああ、そうか。君達はここらの人ではないんだね。恋姫(こいひめ)さんっていうのはね、ここらに伝わる昔話みたいなものなんだよ」  大昔、この土地には愛し合う男女がいた。二人は共にまだ若く、けれど互いに将来を誓い合って、いつしか夫婦になれる日を願って暮らしていた。  しかし運命と上手く進むものがそうそう多くあるわけもなく、彼等もまた、その仲を別たれてしまうこととなった。  女が病に倒れ、互いに誓い合ったその気持ちも、各々の家族に咎められることとなった。特段、女の両親は男に娘を諦めるように諭された。まだまだ若い、病床の娘に付き合ってその人生を終えさせるわけにもいかない。きちんと自身の人生を歩むよう、そうして時折娘を思い出してやるだけで良い、娘のことはどうか、忘れて欲しいと。  だが男の気持ちが離れるわけもなかった。それだけで、誓い合った心が断ち切れるわけもない。男は寄り添った。寝込み、次第に窶れていく女と多くの時間を過ごし、ほんの一秒先をも、微笑んでいて欲しいと。  そうして数か月が経った。やせ細った女は見る影もなくなったが、それでも「美しい」と言い張る男にどちらの両親も咎めることはなくなった。  そうしてその時が来た。女が息を引き取るその間際にも、男は寄り添い、愛する女に愛を誓った。 「けど、酷い話で女は男を呪ったんだ。まだまだ若い男が自分が死んだ後、他の女に目移りされたくない。ずっと永遠に自分だけを好きでいて欲しいって。そうして男も一緒に連れていってしまったんだ」 「呪いという意味でですか?」 「いや。恋姫(こいひめ)さんはね、丁度恋をする年頃に死んだんだ。だから、若くして死んでしまう子や誓い合った仲がうまくいかなかったりすると昔はよく恋姫(こいひめ)さんの呪いだ、なんて言ったりしたこともあるんだよ」 「……その話は随分と昔からあるものですか?」 「そうだね、私の爺さんも話していたから、もしかしたらとんでもなく古い話しなのかもしれないね。でも、近頃は言うのかね、恋姫(こいひめ)さんは」 「私の年代は知っていると思いますが……今の若い人はどうでしょう」 「どこかに行けばその話を調べられたりしますか」 「いやあ、どうだろう。祀られていたりする類ではないみたいだから。でも云い伝えられている場所はあるよ。恋姫(こいひめ)さんが死ぬ前にその男と一緒に誓い合った場所って言われている所が。本川(ほんかわ)があるだろう? あそこは恋姫(こいひめ)さんがよく通ったって言われてたな。だから恋人同士であそこでデートなんてしちゃあ駄目だって」  館脇(たてわき)の言葉は後半、(つき)に向けられたもので、土地勘のないヒムラには勿論その場所がどこであるのか知れもしないが、(つき)は把握したように頷いていた。 「館脇(たてわき)さんは、秋知(あきち)さんの呪いが冬生(ふゆき)家九代前のものであるとお思いですか?」 「それとも恋姫(こいひめ)さんかってことかい? ……どうだろうなあ。私も別に詳しいわけではないから、その、呪いってもんがどうとかもわからないから。でも、秋知(あきち)ちゃんの状態とこれまでのあの家の娘さんのことを考えたら、素人目ではどっちもそうかと思えちゃうねえ。……いやあ、わからん。でも、今でも秋知(あきち)ちゃんの体調は良くならんのだろう? 病院じゃどうにもならないってんなら、ねえ……」  館脇(たてわき)の言葉に(つき)は唇を結ぶように噛みしめていた。俯く視線は常日頃見ている秋知に《あきち》思うものであろう。  暫しの沈黙が過ぎた後、館脇(たてわき)が「やあやあ」と大きな動作でため息を吐いた。そのまま宙を眺めた後、乾いた音で膝を叩いた。 「すまない(つき)君。長く喋って喉がカラカラだ、なにか飲み物を買って来てくれないか。彼等の分も」  そう言って館脇(たてわき)はテーブルの下で、恐らく現金を手渡そうとしたのであろう。拒む(つき)の仕草でそれとわかってしまったが、そこは館脇(たてわき)の顔を立てようと収まった。「行って参ります」と律儀に挨拶をしてから、(つき)は席を立った。  (つき)がテーブルを離れてから少し、館脇(たてわき)がマチとの距離を詰めるようにテーブルによしかかり、なんとも言えない表情で口を開いた。 「我々の仕事では言えないことがある」 「はい」 「これはきっと(つき)君も、私とは違うものを体験して、見ているんだろう。だから(つき)君には言いたくても言えないことがあるんだ。わかってもらえるかね」 「理解しているつもりです」 「ありがとう」  額を合わさんばかりに身を詰めた館脇(たてわき)に答えるマチの言葉、ヒムラはどちらも理解出来ていなかった。けれど、その館脇(たてわき)の複雑な表情から決意の表情に変わった時、吐き出された言葉にヒムラは合致がいった。ここまで違和感のあったものの意味に。 「あの家では娘は死ぬ。でも、じゃあなんで憲三(けいぞう)君がいるのかと思っただろう? それでなんで、あの家が続くのかって」
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