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22
冬生の家に勤め始めて鵡川が六年、沢三谷が十一年になった。現在秋知が十六、鵡川が十歳から、沢三谷が五歳から、秋知の成長を共にして来た。
共に、働き始めても暫くの間は冬生夫妻の言うことが信じられなかった。ドラマや映画の題材ではあろうが、現実にそんなものがあるはずもない。信じられるだけの経験も、現実味もなかった。
「本当はね、私、少しだけ疑っていたのよ。そんなはず、あるわけないと思っていたから。だからね、調べたのよ。勿論呪いっていうのが信じられないからってことではなくて、もし秋ちゃんが虐待なんかを受けていてそうなっていたらって思ったのよね。そこには呪いを信じていなかったからそう思ってしまったのもあるんだろうけれど」
冬生の家に勤め始めて数か月頃、夫妻やこの家に妙な所はなかったがどうしても呪いを信じ切れなかった沢三谷は夫妻の秋知への虐待を疑った。この家に居てそんな所は見たことがない。けれど、だからこそ見たことがないのでは。
虐待だけを疑って行動していくわけにもいかず、まず外堀を埋めていく必要があると考えた沢三谷だが、実際にはなにをどうしていいのかわからなかった。冬生の家を疑い始めたその年の夏、沢三谷はあることに気が付き、事実を知れた。
「たまたまなんだけど、義理の姉と一緒にお寺さんに行った時にこの家の名前を見つけたのよ。それこそ憲三さんのお父さんの名前もあって、じゃあ、ここにはあの家で死んだ人の名前があるはずだわって。けして良いことじゃあないんだけど、確認したのよ。まず、本当にこの家では女の子が亡くなっているのかどうか。まずそこが本当なのかどうか、そこから秋ちゃんの身の安全を考えようって」
沢三谷は何度も何度も頭を下げ、秋知の身の安全の為を訴えた。もしも自分が止めるべきことならばと理解してもらえないかと。そうして何度も謝りながら位牌を確認した。震えてしまった手で位牌の行年を確認し、冬生夫妻の言う呪いが本物なのではと、尚更に手が震えた。
「聞いてた通りの年齢で若いお嬢さんがなくなっていたわ。もう血の気が引いて」
「私も雇われた時に憲三さんから聞いてはいたけど、正直、話半分だったの。でも沢三谷さんからこの話を聞いて……秋知さんとも日常的に顔を合わせて、本当に、ついさっきまで笑っていたのに次の瞬間には座ってすらいられなかったり、尋常ではないんだと思ったわ」
「鵡川さんにも言ったのだけれど、私はご夫妻を疑ってもいたの。秋ちゃんへの虐待もだけど、もしかして故意に、なにかを与えているかもしれないって。でも、この家の食事は全て私が作っていて、奥さんや憲三さんはキッチンに立つことも殆どないわ。四六時中とはいかないけれど、私や鵡川さんがいる中で、その目を盗んでなにが出来るのかって。それに、もしそうであったなら、きっとこれまでの検査にも引っ掛かるはずよね? もう、じゃあなんだろうって考えたら、聞いている通りなんだと思ったわ。どうしても、それしか腑に落ちないもの」
柔らかなパーマがかかった髪を沢三谷はかき上げて、その優し気な眉を垂れ下げた。これまでの秋知の様を思い出したのだろう。彼女が深いため息を吐くと鵡川もまた、心痛な表情で俯いた。
皆、秋知の話をするとこの表情になる。本人だけが明るく笑い、彼女と接する人間の顔にはこの表情が浮かんだ。築も、館脇も、冬生夫妻も。どれも同じものに見えたはずが、冬生夫妻だけにはやはり疑心が沸いた。何故、呪いだとこれだけ皆に話しておきながら、何故。
「ひとつ、窺っても良いですか」
マチの掠れた声が、この場の空気を割った。
「お二人は〝恋姫〟というものをご存じですか」
「恋姫さん?」
あまりにも意外な言葉だったのだろう、沢三谷と鵡川は見合った後、互いに頷きあった。
「そりゃあ、知ってるわよ。この地方だけの話みたいだけど、付き合った相手と本川に行くと別れるとか、中学高校で出来た恋人と別れたら恋姫の呪いだーなんて言ってもいたわ。懐かしい」
「鵡川さんの年でも知ってるの? あらやだ、年寄だけの話題かと思ってたわ。年配の人は特にその話をするじゃない? だからもう、若い人には浸透してないものだと思ってた」
「恋をする年齢で死に、恋人を連れて行った。だから若い内に出来た恋人と別れると恋姫の呪いだと言う、本川に由縁がある。これ以外になにか、恋姫に関してご存じありませんか」
「さあねえ……もしかしたら私より年上の人の中には知っている人もいるのかもしれないけど、ちょっとわからないわねえ……」
「もしかして、それもなにか関係があったの?」
「いえ、聞いてみないことにはわからないことでしたので」
マチのどれともつかぬ返答に沢三谷も鵡川も少々困ったように「はあ」とだけ相槌を打った。
秋知の話からあまりにも唐突で、この反応にけして間違いはないだろう。正しい、その上でそれ以上は言ってくれないのだから、余程優しい。ヒムラは引き上げ時を察知して「仕事の邪魔になったら悪いよ」とマチを心の中で引きずって歩いた。
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