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※  早朝、早々に眠ってしまったヒムラが目覚めると、何故かカケルは自身のパソコンを外敵から死守するかのように抱いて眠っていた。マチはまたも明け方に眠ったのか、風呂から上がったまま乾かさないでいたのであろう髪は半分濡れて暗い色味のままだった。  自分が眠った後も二人は作業を続けていたのかと思うと少々心苦しくなったが、起きていたとしてもカケルの作業を手伝えるわけも、あの難しい文書を理解することも難しい。流石にやることもなく仕方なし、と珍しく諦めがついた。  本日も朝食時間の三十分前に起きたマチはものの数分で完全体の日昏(ひなき)マチを作り上げた。毎日大体黒い服もよく見ればどれも違う。今朝は黒地のTシャツに質感の違うマットな生地で某スポーツメーカーのロゴが入ったものを着ていたが、誰が違いを理解するのだろうか。  対して反色のようなカケルもいつも通り、同じような誤差の範囲で違った服だった。誰が違いを見るのだろうか。カケルの場合はもっと違った意味でも、彼の顔以外を誰が見て確認するのかとも思えた。  今日も気が重いばかりの朝食時間、ヒムラはずっしりと肩が重くなるのを感じたが、それはあの部屋の席についてものの数秒で全身へと及んだ。昨日よりは早めに顔を出した冬生二葉(ふゆきふたば)が、「ごめんなさいね、今朝は娘は自室で失礼します」と頭を下げ、すぐに部屋を後にしたのだ。  この部屋にも来られない程、秋知(あきち)の体調が悪い。察すると胃の中に泥でも溜まったかのような気分だった。  声に出してしまいたい感情も、行動に表したい感情も、飲み込まなければならないこの状況は堪えがたい。ヒムラはまだ、声には出していなかった。けれど無意識に向けていたマチへの視線が合うと、まるで〝目元で頷いた〟。数十分後、秋知(あきち)冬生二葉(ふゆきふたば)不在のまま始まった朝食を、マチはほんの数分で退出したのだ。「時間が惜しいので」というマチの言葉を、冬生憲三(ふゆきけいぞう)も咎めはしなかった。  勿論、マチと共にヒムラとカケルも部屋を後にした。部屋に戻るなりヒムラはベッドに横たわり、カケルはパソコンで作業に戻った。いつの間にか部屋にいなかったらしいマチが部屋の外から戻ると小皿に乗せられた錠剤と蓋付きのステンレスのコップを持ってヒムラが横たわるベッドの横、床に膝をついてヒムラを起こした。 「胃薬」  それだけ言って、ヒムラもそれに従って小皿に乗せられた錠剤を摘まんだ。六粒あるが、律義に三つずつ揃えて皿の左右に分かれている為一回三錠であることがわかった。きっとキッチンで鵡川(むかわ)沢三谷(さわみたに)に貰って来たのだろう。流石のマチでも酔い止め以外は持ち歩かないし、まして皿の上をここまで丁寧にはしない。けれどコップの蓋は開けて渡してくれて、ヒムラは飲み下すなりまた、ベッドに沈んだ。 「収まってからでいい。誰も秋知(あきち)につかなくなったのを見計らって話を聞いて来い」  離れ際にそう言って、マチはまた部屋の外へと出て行った。  ヒムラが休んでから二時間程経って漸く薬の効果だけではなく調子が安定した。泥の溜まったような胃の不快感も痛みもいつの間にか和らぎ、体の調子に引っ張られて落ち込んだ気持ちも持ち上がった。きっと、なによりマチに指示されたことが大きい。やらなければならないことを与えられると不思議と活力が沸いて出た。  起き上がるとすぐにカケルのぬるま湯のような声が「大丈夫そう?」と問いかけ、ヒムラは軽やかに起き上がり頷いた。 「ごめんね、もう大丈夫だからマチに言われたのやってくる」 「うん。十二分前にマチ君から秋知(あきち)さんの部屋に誰もいなくなったって連絡があったから丁度良かったのかもしれない」 「マチはなにしてるの?」 「まずはこの家にかかった呪いの元凶を探すらしいよ」 「……まずって言うからには、まだあるってことだよね」 「呪いの姿がなんかおかしいって言ってたから、その元凶になにか別なものが混じっているのかもしれないね。だから、はっきり見えないんじゃないかな」  なるほど、確かにそうなのであろう。本川(ほんかわ)でもマチはなにかを見ていた。けしてマチのそういった部分が弱まったからとかそういうわけではないのだとしたら、見ようとしているものがなにか別のものに隠されていたら、確かによくわからないとしか言いようがないのかもしれない。  なにかひとつだけでも解決を早めるものを得られたら。ヒムラは部屋を出る前カケルにトイレの有無だけは確認し秋知(あきち)の部屋へと急いだ。  秋知(あきち)の部屋までの道はやけに静まり返っていたように感じた。冬生二葉(ふゆきふたば)にも、鵡川(むかわ)沢三谷(さわみたに)とも会わなかった所為かもしれないが居心地が悪い程に冷ややかな静けさだった。  これからまるで悪いことでもしなければならないかのように、ヒムラの心は落ち着かなかった。  静まり返った秋知(あきち)の部屋、扉をノックするとあまりにも控えた所為で音が鳴りすらもしなかった。改めてもう一度、指の関節を立てて、はっきりとした音でノックした。 「……どうぞ」  気だるげな秋知(あきち)の声にはあの華やかさも感じられなかった。
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