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※  雨は上がったというのに早朝からずっと薄い霧が漂ったまま、それがほんの数分前には粒の大きなものに変わりスマートフォンの画面を曇らせていくのが鬱陶しかった。  昨日、千葉(ちば)に頼んで届いた画像の数々を冬生(ふゆき)の敷地と照らし合わせて、マチは小雨に変わりつつある中を歩き続けていた。  有り余る立場を利用した千葉(ちば)にとっても数百年前の地図が手に入るわけもなく、目当ての松の木がどこにあったのかはわからなかった。  それでもこの家に建て替わる前の敷地内の変化を追うことで補えばなんとかなるだろうと考えた。手に入った分だけ、〝自分の目に映るもの〟と照らし合わせて〝現在の〟冬生(ふゆき)邸を歩き回った。  松の木を探すにあたって当然屋外、ヒムラが寝込んだ後に出て、探し始めて数時間は経った。  初日、敷地に入った時点で聞いていたものとは随分違った。聞いていた通りなら、こうも〝大きくはない〟。まるで違う、こんなものでも、こんなに不鮮明なものでもないはずだった。  冬生憲三(ふゆきけいぞう)から聞いた話と合わせても、ならばこんな形にはなっていないはずだった。きっと、恐ろしく以前から供養のひとつも行っていない。だから、この家にはなにもない。それを示すひとかけらも。  呪いはとぐろを巻いた蛇が鎮座しているかのようだった。うまく引き剥がさなければ締まり返されるばかりでどうにもならない。――そう、それはわかったのだ。  そうであることはわかっても、呪いのその姿は見えなかった。あまりにも不鮮明に、ここに在ることだけがわかる。それが厄介であることも。  当然、この家では何人もの人間が苦しみ、それは大概が冬生(ふゆき)家の者ではなく、九代前の妻のようにこの家に嫁いだ女性達と、その彼女達から生まれ、無関係にも関わらず奪われ続けた娘達の、見るも無残な感情も渦巻いていた。耳元で低い音が鳴るようだった。遥か上空の強風が、低い轟音で静かな夜空に響くような、不気味さだった。  それだけでも、見えるはずもない。それ以上に、この家にある呪いは一つではなかったからだ。複雑に、幾つかの呪いが融合してしまっている。蛇のとぐろに巻かれて、取り込まれていることにも気が付かない他の呪いが、秋知(あきち)にかかった冬生(ふゆき)家の呪いを不鮮明にしていた。  呪いの本質は人の強い感情で、それは幾ら時代が進んでも変わらない。たった一つの呪いだけでも呪いになり果てるだけ強い感情であるのにも関わらず、幾つかの呪いが混じりあっては、解かない限り一つ一つの姿が確認出来るわけもなかった。そうだと気が付けるのにも時間がかかる程、長い年月をかけて混じっていったもののようだった。  だが、一つ問題があった。冬生(ふゆき)の家の者は、どうやら一つの呪いしか認識していない。彼等に纏わりつく呪いの様も、マチの目には一つだけに見えていた。秋知(あきち)を、除いては。  秋知(あきち)の〝音〟を聞き、〝芯〟を見た。彼女にかかった呪いだけは、一つだけではなかったのだ。  絡みつく幾つかの呪いを解いていくにも、やはりどれか一つを引き当てる必要があった。そしてここには冬生(ふゆき)家の呪いという認識しかなかった。つまり、それを引き出すのが最も手頃なはずなのだ。  数時間、複雑に視界を埋める呪い様と、千葉(ちば)に頼んだ画像の数々とを照らし合わせた。この家になる前の建物の間取り、更に前、前とも。  主に敷地内、建物の外を探したが当てはまりそうな場所も見つからなかった。視点を変えた、きっと、水回りの関係はそう、大きく変化はしないはず。暫く睨み続け、考え至った。変化していない場所を、見るべきなのかもしれないと。  冬生憲三(ふゆきけいぞう)は、自身の息子の存在を隠している。その母親も恐らく二葉(ふたば)ではない。何故ならこの家の子供であることは呪いの影響を受けかねない。そうして何人もの娘を亡くして来たのなら考えつくはずなのだ。この家の子供でなければ良いのだと。  そうして、呪いの外に子供をもうけた。その、母親も。まるでこの家には関係のない人間であると、呪いに判断させようとしたのだろう。そうして、〝子供〟ではなくなったのと同時に、この家に来るのだ。冬生憲三(ふゆきけいぞう)も、そうだったように。  この家には隠すという選択が付きまとった。では、不安の元凶も目の前からなくすというよりも隠してしまうのでは。この家の、何代も変化のない場所は―― 「――……」  気が付いたマチの体は、長時間霧に濡れただけでもなく、末端から沸き立つように震えるようだった。  足早に進むと霧に当てられ続けた髪の先端から、頬に雫が伝っていくのがわかった。嫌味に立派な玄関を潜って、取り繕った生活感のなさばかりの廊下を進んで、マチはこの家に来てまず最初に通された部屋へと向かった。  ひらけた開放的な部屋、両正面には中庭が広がり、その間を遮るような大きな暖炉。  膝をつき、この季節では飾りに置かれた薪を床に除け、中を覗き込んだ。煙突に延びる真っ暗な空洞を見て、言葉を失った。きっと自分の目にしか見えない、今は燃え尽きた札の数々と、未だ新しい札。真っ暗な空洞から真下、炎が燃え滾るはずのその場所、その、真下。探していたものが、見つかった。
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