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※  インターネット上に密やかに存在するそれは「灰色のページ」と呼ばれていた。  特殊な状況、問題に困った人間が検索を繰り返すとある時たった一ページだけがヒットする。  「灰色の問題でお困りですか?」そのページをクリックすると進むのは真っ白なページに一言。 「誰にも理解されない問題でお困りでしたらその内容をご記入し、送信ください。当方の範疇に当てはまるものである場合、あなたをお助け致します」  そうして状況を送信すると返信が返ってくる。そうして、理解不能な出来事を解決してくれる者が現れると。 ※ 「あの、もし」  唐突に声をかけられたのは三つ目の看板の下を確認しに向かった時だった。正面の「ようこそ」にも、その横のパネルの下にもいなかった。時計回りに土産屋が立ち並ぶ通路の上に設置されていた看板の下、白手を身に着けたスーツの男性が一人、駅構内で荷物も持たずに佇んでいたのだ。恐らく、互いに訝し気にしていた。あちらも随分と待ったのであろう、堪らず声をかけた様子だった。  湿気立ち込めるこの、梅雨の最中。きっちりと押さえつけられた髪はうねる様子もなく、暑さに緩めた様子もなく着こまれたスーツを見て、マチは迷わずその男の元へと歩み寄った。そして―― 「灰色の者です。冬生(ふゆき)さんのお使いですか」  マチの半、自己紹介に男は姿勢よく頭を下げた。その仕草は慣れている、それだけで今回の依頼人に関係しているのであろうことは、ヒムラにもわかった。 「冬生憲三(ふゆきけいぞう)の運転手です、(つき)と申します」  数か月前マチの元に入った依頼は、これまでヒムラが共にしてきたものとは少々違った。現象や、不可解さという意味ではなくその家柄、対峙する相手という部分で。  依頼人は冬生憲三(ふゆきけいぞう)、その、妻の冬生二葉(ふゆきふたば)だった。  一報で入った彼女からの依頼は「冬生(ふゆき)家の娘が代々若くして亡くなる、その連鎖を止めて欲しい」というものであった。冬生二葉(ふゆきふたば)自身娘が生まれ現在十六歳になるというが、その娘は歳を重ねるごとに体が弱り、今では走ることもなく、歩くだけでも息が切れる程であると言う。  冬生二葉(ふゆきふたば)は、結婚し、娘が生まれてからこの家の娘が早くに死ぬということを知った。そして自身の娘も例外なく、徐々に、徐々に、生命の灯を消しかけている。  数回のやり取りの中で知れた情報では、冬生(ふゆき)家は数代に続いて生まれた娘が早くに死亡し、それは大体の境界線として十代後半までに命を落とす。そして彼女達は「どこが悪いわけでもなく」次第に命自体が薄れていくのだと言う。  勿論、代々の冬生(ふゆき)家の人間がただ娘の死を見届けて来たわけでもない。依頼人である現在の冬生(ふゆき)家はその財産から惜しみなく医療に頼り続けたが、この現代の医療をもっても娘の状態は「不明」であると結論が出た。それが数年前、娘が小学生の頃。そして冬生(ふゆき)家は医療に頼ることを止め、あらゆる手を尽くし始めた。そうしてたどり着いたのが「噂」されていた「灰色」、というわけだった。 「旦那様から窺っております。遠い所、ご足労頂きまして。ここからは私めがお連れ致しますので、どうぞ、お荷物を」  連絡の取り合いからカケルが冬生憲三(ふゆきけいぞう)を調べた所、相当の財産を持つ人物であることが分かった。現在は薄れる娘の命にかかり家に付きっ切りのようだが、地元でも有名な地主で、不動産から地酒、その土地に根付いた事業を生業としていた。  そんな人物はそれこそテレビか映画の情報でしかない。本当に居たとしても住む世界が違い過ぎて出会うわけもない、ヒムラにとってはまるで縁のない存在である。そのヒムラの前に現れたのが冬生憲三(ふゆきけいぞう)の〝運転手〟である(つき)という、この男だった。きっちりと着こまれたスーツに汗一つもない。やせ型で、体に対して襟から覗く首が長い。なんだか胡散臭さを感じるがどこか憎めないのは、その風貌にデジャブする人物がいるからだろうか。なんだか胡散臭い、全体が胡散臭い、常にきっちりとスーツを着込み、仕事をしないからこそ成せる技で汗一つかくことのない、あの、刑事に。  手を伸ばされたヒムラは最初こそ戸惑い断ったのだが、「仕事ですので、お気遣いは無用でして」と圧されボストンバッグを手渡した。次いでカケルもスーツケースを求める手を差し伸べられ、けれどヒムラよりは迷ず受け渡した。見る者が違えば輝いてすら見える、雨が晴れて覗いた青空よりもずっと、爽やかな笑みを向けて。 「冬生(ふゆき)の家はここから少々離れた場所になります。十分程でしょうか。お手洗いなどは今の内にどうぞ」  トランクに荷物を詰め込む腕はスーツの所為か枝のように見える。けれどどこから出ている力なのか、なんの苦労もせずこなしてしまった。運転手という職務にはきっと、当然の能力なのだろう。しかしこの、(つき)という男の動作は何故か〝見ていてしまう〟。ヒムラのは(つき)を盗み見る目を止められなかった。  いつも通り、助手席にマチ、後部座席にヒムラとカケルが乗り込み、一行は依頼人の冬生(ふゆき)邸へと向かった。雨降る見知らぬ土地は灰色の濃淡ばかりでどこか〝都会〟らしさを感じる。ヒムラの中にあるイメージがそうであるだけで本当は違うのかもしれないが、目に映るどれもが新鮮でありながらも既に見た既視感がほんの秒差で追いかけて来た。  大きな道路ばかりを過ぎて、車はやがて緑豊かな閑静な住宅街へとたどり着いた。見渡す限りが豪邸に当てはまるような、門構えからして世界が違う、いや、ヒムラには表札からして高そうに見えた。やけに大きなもの、やけに凝ったもの、そんな所に使えるお金まであるのだろうと思うとこれから向かう依頼人の家が少々怖くもなった。好奇心が負けぬよう、あれこれ触らぬよう、今の内から気を張っておくべきかもしれない。きっと、負けてしまうのだが。  車が緩やかに停車し、自動で開いた目の前の門は重厚で、中へと続く道も視界の中では行き止まりが見えていない。そもそも敷地内に〝道〟があるだけで既に別の世界である。きっちりと揃えられた庭の植物達も、敷かれた石も灯篭も、これはもしや池すらあるのかもしれない。ヒムラの心は既に踊り、既に張られた気は夏と湿気で溶け出していた。  もう一度、今度は玄関の前だということがはっきりわかる場所で車が緩やかに止まった。体に加わる圧はひとつもない。よく考えればマチが「あくび」をしてもいない、この築つきという男の仕事ぶりは伊達ではなさそうだ。  広いポーチや玄関庇は角ばった作りで現代風でありながら、庭の様子や奥へ続く建物はどこか古き良き時代の日本家屋をも感じさせる。古いものと現代のものを上手く混じ合わせた和洋折衷やレトロモダンとでも言うべきなのか。今と昔の両時代の良さをふんだんに取り入れた家屋は見るからに高級で、洒落ていすぎてこの家での日常がまるで想像つかない。こんなものはほんの数日の非日常を過ごす場所であろう、いや、今もそうなのか。ヒムラの脳内は混乱していくばかりだった。  雨を受けぬように玄関庇をかぶって停車した車から降りた築が慣れた動作で助手席、後部座席とドアを開け、三人が降りると玄関の前には迎えの人物が二人、既に待ち構えて佇んでいた。両者共に女性、一人は三十代後半頃で、気品のある白と紺の浴衣姿にきっちりと纏められた髪型、もう一人は三十代から四十代頃、黒いシャツに黒のパンツ姿でどちらがなんであるかは見て明らかだった。 「冬生憲三(ふゆきけいぞう)の妻の二葉(ふたば)と申します。この度は遠い所をご足労頂き、有難う御座います」  冬生二葉(ふゆきふたば)が頭を下げると並ぶ黒衣の女性もまた、同じく頭を下げた。あまりに慣れない状況にヒムラは圧倒されるばかりで脳が追いついていない。マチが「日昏(ひなき)です」と軽く頭を下げるのを真似てはみたものの、それが滑稽であるに違いないことには気が付いていた。
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