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「お話、長くて疲れたでしょう? 折角新幹線も降りたっていうのに、憲三さんはいつも話が長いのよ」
あのまま、三人は黒衣の女性に促されて部屋を出た。そして今日から帰るまでの間寝泊まりする部屋に案内されているのだが、通る廊下も階段も変わりなく広く、部屋などなくても生活が出来てしまう気がして、ヒムラはこれから通される部屋に少なからず期待を抱いてしまっていた。客間というのはそれこそ〝よそ行き〟のもので他とは違うはず。作られた映像の中では大体がそうであったように。
黒衣の女性は鵡川と名乗り、こうした客人の世話やお使いを中心に担っているという。ヒムラを見るなり自身の高校一年生の息子の話題に切り替わり、動きはその職務によく似あうきびきびとしたもので、働くお母さんのイメージにピッタリの女性であった。
この家にはもう一人お手伝いの女性がいて、その女性は沢三谷という女性で彼女は主に食事を中心に担っていると言う。鵡川むかわより十三歳上の彼女は元々地元の定食屋でキッチンを任されており、そこに足繁く通った冬生憲三が彼女をこの家で働いてくれと頼み込んで今に至る。
「私もね、元々は憲三さんの元で働いてたのよ。憲三さんが回してた不動産屋さんの一件ね。そこからこの家に呼ばれたんだけど、ほら、お嬢さんの件があるから、見知った人を置いておきたかったのよね、きっと。私のことも知っているし、沢三谷さんのこともそう。その人の料理に安心出来るっていうのは大きいわよね」
ヒムラにも、それはよくわかる気がした。元からそれ程嫌いなものもないが、自身の育ちからあまり〝人が作ったもの〟を食べては来なかったヒムラにとってマチの手料理程安心出来るものはない。初めて目にする具材も料理も、マチが付ける味をわかっている上でなら疑う余地なく口に出来る。
冬生憲三は自身が安心出来るものを娘に与えることで自分自身の安定をも手にしているのかもしれない。きっと、あの親子の不安は皆同じだけ強いのだから。
鵡川むかわの背中を追い、階段を上り切った正面には一階にもあったあの、暖炉の部屋に通じていた中庭が広がっていた。それを左手に曲がってすぐの部屋に、三人は通された。
「滞在の間はこのお部屋をお使い下さいね。まさか全員違うお部屋というわけもなんだか変だろうって一部屋になりましたけど、正直十分でしょう? それなのに憲三さんったら、三部屋用意しようって、昨日の夜まで聞かないんですよ?」
通された部屋は優に十五畳はあろうか。入口から入って左手にある窓は階段横の小ぶりな中庭に広がり、正面にも大きな窓が待ち構えていた。そうして左手の壁に頭をつける形でベッドが三つ、隙間を空けて並んでいた。この部屋だけで壁がない、ひと繋ぎのマチの家のリビングからマチの部屋までが埋まってしまう広さだった。
「……いや、広すぎ……」
つい、ヒムラの口から出てしまった言葉に鵡川が笑う。その横で未だよそ行きのカケルと能面のマチが部屋の奥へと進んで行った。
マチはともかく、カケルはこの期に及んで鵡川むかわに対しても人見知りの緊張を発揮しているように見える。これから数泊はするであろうに、大丈夫なのか。若干カタつくカケルの動きにヒムラは心配になった。
「でしょう? 三人だってあましちゃうわ。このベッドだって、他の客間から持って来たんだけど、折角だから新調しようって言うのよ。そんなことする位ならその分お手当に回しましょうって。本当見栄っ張りなのよ」
「ベッド、わざわざ運んだんですか? なんか、あれもこれもしてもらっちゃって……」
「いいのよ。それにベッド運んだのは私たち女じゃなくて築さんと奈津先生だから気にしないで」
「ナツ先生って、娘さんのお医者さんですか?」
「ああ、違うのよ。ほら、お嬢さんはもう、最近は学校に行くのも少なくなっちゃって。でも、本人も毎日ゆっくりしてるだっけっていうのも嫌らしいの。だから学校に時間はなるべく勉強もしてて、それを教えてるのが奈津なつ先生っていうのよ」
「家には、何人いるんですか」
正面へ開けた大きな窓の外を眺めながら発したマチの声に、鵡川は一瞬カケルの方向に目を向けた。体格的にカケルだと思えるのも無理はない、マチは自身の体格に反した程声が低い。
カケルの反応がないのを見て鵡川はすぐにマチへと向き直った。流石、職業柄なのか場の空気を読む能力が長けていた。
「憲三さんと二葉さん。お嬢さんの秋知さん。私と沢三谷さんは日によって残ることもあるけど大体は八時には帰るわ。後はもう会った運転手の築さん、彼は朝八時に出勤して来るけど、最近は憲三さんが仕事を休んでいるから、築さんのお休みも増えてるわね。最後に奈津先生。奈津先生も日によってずっと家にいることもいないこともあるから、ご家族以外はその日その日ね」
「変動はあってで、七人」
「そうね、それ以外は皆さんがいる間に会うことはないんじゃないかしら」
「日昏です。自分がヒナキで、大きいのがカケル、それがヒムラ」
「今時の可愛い名前なのね」
「それなら言った本人のが一番可愛い名前ですよ。ね、マチ」
言った瞬間に体感温度が冷えた気がした。
どうしてこう、自分は気が付いた時点で既に、時既に遅いのだろうか。ヒムラは一切マチに視線を向けず優しく微笑む鵡川だけを見続けた。
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