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二階のトイレ、洗面、浴室は中庭の右手側にあることだけを伝えて鵡川が部屋を去り、漸く三人だけの空間になるとぎこちない動きをしていたカケルが途端に蕩けてベッドに伏せた。体の中から漏れ出す空気が優先された言葉はなにを呟いたのか理解出来ないが、大体予想がつくのでヒムラもマチもそのまま受け取った。
「凄いね、やばいよこの家、映画だよこんなの。逆に落ち着かない」
「僕迷わずにトイレいけるかな……」
「流石に部屋から直線上にあるよ」
「でも中庭って二つもあったでしょ?」
「上下合わせたら中庭で表すのは四つだな、今の所」
「僕トイレ詰んだかもしれない……」
ヒムラにはトイレを我慢して青くなるカケルの未来が見えた気がして、自分が行こうとした時には声をかけてあげなければならないという責任が生まれた。きっとマチは声をかけないし、場合によっては別行動もあり得る。流石に、この家の広さは極度の方向音痴を誇るカケルには酷である。
「とりあえず、ここに来てからなんかわかったりした?」
ヒムラは先に部屋に運び込まれていた荷物を解きながら、未だ大きな窓から庭を眺めるマチに言葉を投げかけた。マチと共に暮らすようになってから増えた遠出で自身の性分がわかったが、どうにも旅先では落ち着く前にある程度荷解きをしなければ落ち着かない。マチもカケルもその部分に似た所はなくのんびりとしがちで、ヒムラは毎度のことながらせっせと充電器や寝間着を各ベッドに置き分けていた。
「呪いであることは間違いない」
「はっきり見えたの?」
「全体が覆われてる、って表現が正しい」
「依頼の通りに、やっぱり呪われてるんだ」
「その通りじゃなかった」
その言葉に、ヒムラは先程のマチの表情を思い出した。怒りの感情が出るとマチは下瞼が痙攣する、やはり、あの時見たものは正しかったようだ。
「だから怒ってたの?」
「聞いてた話とも随分違う状況なのが土地に入った時点でわかった。熱心に供養もしたってんなら、こうはなってねえな」
「……嘘ついてるの?」
自分の子供の命がかかっても尚必要にする嘘とはなんであろう。ヒムラは先程の冬生夫妻の表情や苦し気にしぼんでいった声音を思い出したが、それらが必要に駆られた嘘には思えなかった。本人達が元々持っていたものだとしても多くの財産をかけて医療に頼り、マチにまで頼み込んだその気持ちに嘘はないのではないか。
だが、けれど、もしかしたら。嘘ではないのは〝そこだけ〟なのかもしれない。
マチについてこれまで沢山の依頼と向き合ってきた。死して尚人を憎み、恨み、呪いとなったものには必ず生前自身が受けた現実が元となっている。もしもこの冬生家の人間がきちんと九代前の妻を供養していたのだとしたら、二百年も掠れることなくその状況が続くのは確かにおかしいのかもしれない。
自分でもそれだけの年数がなくても数か月もあれば何に怒りを向けていたのかすら忘れてしまう。気持ちが途絶えない、感情が薄れることもないということはそういうことなのかもしれないとヒムラは気分が落ち込んだ。なにか純粋に娘を思うだけの気持ちではなかったという事実は、なかなかに受け入れがたい。
「そもそもで呪われ続けるだけのことをしたんだ。その上空襲で焼けた後もこうして続いてるってんならやるべきことは幾らでもあんだろ。あのおっさんはやるべきことはやった面してやがる、ああも被害者面してんのも気に食わねえな」
「まあ……なんか、言われてみればそんな感じがしてきた。お金でどうにかなる部分がどうにもならなくなったから、マチ、みたいな……」
わかってしまう自分自身にも嫌気がさしてしまう。ヒムラがげんなりと肩を落として吐いたため息よりもずっと深く、くぐもったため息が重なると、ベッドで溶けている白色の生き物の頭部から「トイレ行きたい」と聞こえた気がした。
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