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気の迷いとか違うとか
日本酒をたらふく呑んでツマミでお腹を満たすと、既婚者の二人に気を遣って、一軒目で早々と解散し、萌華は会社からほど近い1LDKの自宅マンションに帰宅した。
「ただいま」
当然のことながら誰からの返事もない。
浮腫んだ足から引き剥がすようにハイヒールを掴んで脱ぐと、リビングの電気をつけて、ポストから引き抜いてきた郵便物をテーブルに放り投げ、カバンをその場に落とすように置き、隣の寝室のベッドに倒れ込む。
「恋ってどうやるんだよぉ」
吐き出すと虚しくなった。
更年期のババア。佐知子から聞かされた浅沼の言葉に、そうか、もうそんなふうに言われる歳になったのかと独りごちる。
浅沼は確か二十四歳だったか。一回り以上歳の離れた部下は、この前は、貰ってもらえない腐ったアバズレと萌華を罵っていたそうだ。
「はっ。なれるもんならなりたいわ!」
鼻を鳴らすとベッドから起き上がり、シワになる前に服を脱ぐと、適当なTシャツと短パンを履いて冷蔵庫からビールを取り出す。
萌華はテーブルに広がった郵便物を掻き集めると、一つ一つ内容を確認していく。その中にふと人影が写ったハガキが混ざっていることに気が付き、内容を見て絶望する。
「うそ……先輩、いよいよ結婚したの」
金子真。大学時代の先輩だ。その隣には愛らしい幼妻が笑顔で写っていた。
別に好意を抱いていた訳ではないが、唯一身近で未婚だった金子のこのハガキにトドメを刺された。
「誰のためとも無く一生操を守って死ぬのは切なすぎる。ああ!もうどうでも良いから処女捨てたい!」
せめてオンナになって死にたいと、萌華は水滴が浮き始めた缶ビールのプルトップを指先に引っ掛けて蓋を開けると、喉を鳴らして一気にビールを流し込む。
ノートパソコンを立ち上げると、酔いも手伝ってネットで色々と検索し始める。
この歳で処女なのだから、恋だのなんだのはややこし過ぎる。それに相手もまさか萌華を見て処女だとは信じてくれないだろう。
手軽に処女を卒業出来る方法が無いか、色んな検索ワードで情報を探るが、なかなかどうしてエロサイトにしか繋がらない。
「あー。やっぱりそんなふしだらな女性はいないって事か」
男性向けの風俗店の広告やホームページを見て、いっそ男に生まれていればと嘆く。
「ん?」
そんな中に、とある風俗店のホームページに【女性向けマッサージ】のリンクを見つける。
「女性向けマッサージ?」
リンクをクリックすると、エステサロンのようなホームページに飛んだ。そこには【甘美なマッサージで貴女の疲れを癒します】と書かれている。
時間ごとにコース料金が設定された、一見するとただのマッサージ店である。
「なんで風俗店のホムペから飛んだんだろ」
施術スタッフは指名制のようで、スタッフ紹介のページを開いた萌華は、思わず声に出してつっこんだ。
「いや、ホストクラブかよ!」
爽やかなメンズたちの、絶妙に顔が隠れた宣材写真が並び、源氏名の他に年齢や身長、性格のタイプなど事細かなプロフィールが載せられている。
寂しいひとり酒のつまみにはちょうどいいのかも知れない。
キラキラした自分より歳下の男の子たちを見て、多分マッサージの資格も何も無いんだろうなと呟きながら画面をスクロールする。
「おや?」
顔を隠す長い指が印象的な、ピントが手に当たったボヤけた写真の男性がふと目に留まる。
タロと書かれたプロフィール欄には35歳、186センチ、癒し系と書かれている。
圧倒的に20代が多い中、35歳で、こんな怪しげなサイトに載っている彼がどうしても気になる。
「よほどエロい事が好きなのかな」
興味を引かれ詳細をクリックすると、今度は引きで全身が写った写真が表示される。
顔はやはり隠れているのでよく分からないが、少しパーマが掛かった短く整えられた明るめの髪に、すらりと細身で長く伸びる手と脚が印象的だ。
「マッサージか……」
処女を捨てられなくても、マッサージなら気持ちも良いだろうし、男性に身体を触れられる体験が出来る。
普通のマッサージとは何かが違うのだろうが、萌華には分からない。料金表を見るに金額設定は少々お高めだ。
「モノは試しって言うし?」
ビールを飲みながら、ポチポチとクリックして進んでいくと、予約表にジャンプする。
タロのスケジュールが表示されると、35歳は人気が無いのか、空欄でいつでも予約が取れる状況だ。
確認のため他のスタッフの予約表を見てみると、予約枠の空きが少なく指名が多く入っているらしいsoldの文字が枠を占めている。そうなるとスケジュールが空欄のタロに同情を抱く。
「35歳なら副業かも知れないけど、人気なさ過ぎて可哀想だな」
なんとなく自分と重なって見えて、萌華は思い切ってタロを指名して予約を取ることにする。注意書きにはキャンセル時も施術料は徴収致しますと書かれている。
登録用にメールアドレスが必要とあるので、後腐れの無いように捨てアカウントを作ると、クレジットカードで事前決済をしてタロを指名する。すぐにそのアドレス宛に予約確認のメールが届いた。
【6月8日、午後10時から120分コース、指名スタッフ:タロ】
こういうのは勢いが大事だ。明日の夜で予約を取った。予約枠が夜遅いのはなんとなく悪いことをするようなやましい気持ちがあるからだ。
「いやいや、ただの目の保養を兼ねたマッサージってこと……だよね?」
風俗店のホームページからリンクが貼られた、女性向けと銘打ったサービスで、スタッフの顔もボカシが入っている。
既に予約は済ませたが、なんだか怪しい店にクレジットカードを使ってしまったことを後悔する。
しかし、どの道金を取られるのだ。行かねば損だろう。
医者以外で男性に身体を触れられた事はない。だからといって医者の診察で性的に興奮する事は無い。当たり前だ。
女性向けマッサージという単語に淡い期待を寄せつつ、自分みたいにババアと罵られる処女を拗らせた女に予約を取られたタロに同情が募る。
なんとなく店舗のホームページをブックマークすると、スタッフ紹介のタロの写真を眺めて、そのしなやかな指先に想いを募らせた。
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