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「ねぇ、アサト。朝は月が見えるのに、夜は太陽が見えないのって、不公平じゃない?」  まだ眠い目を擦っていたら、僕の姿を見つけるなり、ランドセルをパカパカさせながら駆け寄ってきたヨルが、そんなことを言い出した。 「ほら、見てよ!」  と、鼻に皺を寄せて空を指差す。  そこには、確かに、うっすらとした白い月が、頼りなげに浮かんでいた。  ヨルは、少し、というか、かなり風変わりな子供だった。  意味があるのか、ないのか、計りかねることを真剣に言うので、大人からは煙たがられ、同年代の子供たちには、言葉の通じないおかしな子だと認識されていたように思う。 「でも、その代わり、夜にはたくさん星が見えるじゃん。流れ星だって、見えるかもしれないし。だから、不公平なんかじゃないよ」  同じマンションの同じフロアに住んでいるという、ただそれだけの理由で、半ば強制的に、僕らは仲良くなった。物心つく前から側にいたお陰で、彼女の言動に、とっくの昔に順応していた僕だけは、そうやって言い返すことができたし、そういう僕のことを、彼女は気に入っていたのだと思う。  偉そうに腕を組んで、ヨルがニヤッと笑う。 「ふーん。なるほど、アサトはいいこと言うねっ! さすが、私の見込んだオトコだ」  異様にかくれんぼが上手いところも、ヨルのちょっと変わった特徴だった。実際のところ、あれを「かくれんぼ」と呼んで良いのかどうかは分からない。ヨルは、突然消えるのだ。  例えば、ついさっきまで隣のブランコに座っていたのに、ふと横を見ると、もうそこには影も形もない。ゆらゆら揺れているブランコを見て、仰天し、慌てて名前を呼びながら捜し回り、いよいよ途方にくれたところで、けろっとした顔の彼女に肩を叩かれる。 「えへへ、驚いた?」  僕がどんなに怒っても、叱っても、彼女がその遊びをやめることはなくて、いつしか僕は、彼女のちょっと悪質ないたずらに、驚くことすらなくなっていった。  中学生になっても、彼女のそういう性質は変わらなかった。  クラスは違っても、ヨルが教室で浮いた存在であることは、嫌でも耳に入ってきた。  授業中に突然いなくなり、大騒ぎになったところでふらっと戻ってくるので、教師たちも手を焼いていること。ズケズケした物言いが、周囲の反感を買っていること。そのせいか、友達と呼べる相手が、どうやらひとりもいないこと。  思春期真っ盛りの中学生たちの輪の中で、異性と親しげに言葉を交わすという行為は、真っ先にからかいの対象になる。ましてや、幼馴染みだなんてことがバレたら、どんな噂が立つか分からない。  僕は、平和な学校生活を望んでいた。悪目立ちして、トラブルに巻き込まれることだけは避けたかった。  だから、僕はヨルと距離を置くことにした。彼女に「おはよう」と言われても、名前を呼ばれても、ひたすら無視した。後ろめたさもあったけれど、僕は自分の世界を守るために必死だった。そうしているうちに、ヨルは僕に話し掛けることを諦めたようだった。  そのことに、寂しさを感じている自分を、ずるい人間だと思った。  ヨルが消えたのは、夏休みが始まる前日、終業式の日のことだった。  ヨルちゃんが帰ってこないんだって。アサト、何か知らない?  スマホを耳に押しあてながら、母親が、ノックもせずに僕の部屋のドアを開ける。腕時計に目を落とすと、時計の針はちょうど二十二時をさしていた。  ごめんなさい、アサト、何も知らないって。警察に連絡は? 旦那さんが帰ってから。そうですか、寄り道しているだけだと良いけれど。はい、いえ、こちらこそお役に立てず申し訳ありません。  そんなやりとりを聞きながら、それでも、その時の僕は、高をくくっていた。  どうせ、ヨルは帰ってくる。  今までだって、ずっとそうだった。みんなに散々迷惑を掛けて、心配を掛けて、困らせた顔を見て喜んでるんだ。今だってきっと、ひょっこり姿を現すタイミングを、どこかでこっそり伺っているんだ。悪趣味なんだ、あいつは。 「朝に夜は追いつけないし、夜に朝は追いつけないけど、アサトと私はいつも一緒だね」  開け放った窓の向こうから、ちりり、と控えめな風鈴の音がする。サンダルを引っ掛けて、ベランダに出たけれど、四角く切り取られた夜空は、薄い雲に覆われていて、ひとつの星も見えなかった。  朝と夜。  確かに、僕らはふたりでひとつだった。  ヨルは、あれ以来、一度も家に帰ってきていない。
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