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この野郎、とカッとなって伯崇は拳を固めた。身長からすると、その小学生は伯崇より二学年くらい上だった。でもそんなことは関係なかった。こいつは今、翼を侮辱したのだ。それだけで喧嘩の理由には十分だ。
「女だからってなんだ! 翼はお前よりずっとイテキがうまいぞ!」
伯崇が殴りかかろうとすると、翼が真っ赤な顔をして伯崇の手を掴んだ。
「は、伯崇! もういいから……」
イテキってなんだ、射的だろ、とバカにする笑い声がしてますます頭に来たのだが、翼が行こう、と引っ張るので、仕方なく伯崇は歯をむき出しにして威嚇するだけでその場を離れた。
「もう……恥ずかしいな、伯崇は」
「あんなの、ちょっとした言葉のミスだ。俺は全然恥ずかしくねえ!」
伯崇がそう言うと、翼はほんのりとまだ赤い頬をしてくすぐったそうに笑った。落ち込んでいないか心配だったから、伯崇はそれを見てホッとした。
「お前、すごかったな。最後ほんとに惜しかった」
「うん……もうちょっとだけ、続けたかったのにな」
それは、本当はもう少しだけ続けられる自信があったのに、わざと途中で諦めたというふうに伯崇には聞こえた。
「もしかして、あいつらに遠慮してやめちゃったのか?」
翼は暗くうつむきそっと唇を噛んだ。昔から、悔しがる時に翼はこうやって唇を噛む。顎に小さなシワが寄って、頬がぷっくりと膨らんでいるように見える。
伯崇はなんだか無性に翼の頭を撫でたくなった。だがその頭にはいつもはついていないリボンの髪飾りがあり、それが様々な屋台からの光を浴びてキラキラと輝いていた。乱暴な手で触るときっと壊れてしまうと思うと、指が動かせなかった。
もしもあと十年、いや、五年でもいい。時間を進めることができたら。
翼のためにしてあげられることが、今の伯崇には何も浮かばない。翼の悔しさに震える髪飾りを見つめて、翼を笑顔にできる言葉を探して、小さな頭をフル回転させているだけの子供に過ぎない。
それがただ、悔しい。
動けない伯崇の頭上で、突然ドーン、と大きな音がした。
伯崇の葛藤は、振り向いた夜空に散って光の雨となった。
「あっ、もう花火の時間だよ」
そう言って、隣で見上げる翼の瞳にも真っ赤に燃える彼岸花めいた光が乱反射する。
「やべえ、早く場所取りしないと」
伯崇は目が覚めたように翼の手を掴んで、登山道へと駆けた。
「翼、早く!」
「待って、足が……痛い」
振り返ると、翼が辛そうに眉を顰めていた。翼の足をよく見ると、鼻緒の周辺がやけに赤い。靴擦れってやつかもしれないと伯崇は思った。長い間履き慣れていない靴で歩き回るとこうなるのだ。
「ごめんね、伯崇。やっぱりボクは足手まといだから……」
「乗れ!」
伯崇は翼の前に背を向けてしゃがみこんだ。翼が歩けないなら、自分がおんぶすればいい。
「い、いいよ。歩けるから! ちょっと遅いかもしれないけど、後から頑張って伯崇についてくから……先に行ってて」
「いいから、乗れよ。辛いんだろ?」
伯崇はちょっと振り返りながら笑みを浮かべた。
「お前一人くらい軽いもんだ。バスケットマンになるんだからな、俺は」
翼は目を丸くした。スラムダンクの桜木花道の有名なセリフを彼女は知らないし、伯崇のようにスポーツが得意なわけじゃない。それでも伯崇は構わなかった。
「俺から離れんなって、約束しただろ? 一緒に行こう」
伯崇は強い口調で、しゃがんだまま左右に大きく手を広げた。
二人の頭上で熱い夏色の花火が次々と打ち上がる。
やがて、伯崇の背に翼がそっとしがみついてきた。
「……うん」
小さく頷いた翼の髪は、わたあめのようにほんのりと甘い匂いがした。
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