20 (fin)

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20 (fin)

 一穂とふたりで話した日から、さらに二週間。  僕は大道具の制作に打ち込み続けた。  時々休憩がてら部室の稽古にも足を運んで。  そこで役者たちの芝居を見ながらセットのイメージを調整して。  同じ大道具を担当する後輩たちとも進み具合や出来のチェックをして。  なんとなく僕は、演劇部のみんなと話す機会が増えた。 「やっとできた」  僕は西日を浴びてひとり立っていた。  高校の屋上、西側のフェンスに立てかけられた舞台装置のパーツ。  日が西の地平線に隠れようとしている。  あの日と同じ、マジックアワー。  橙色から始まって、白、薄い水色、それから紺色に彩られた空。  こんなにきれいに色づく時間は、一日の中でごくわずか。  なんだか神秘的な光景だった。  組み立てはこれからだけど、やっと完成した。  いままでにない、舞台の世界観を印象付けるセットが。  額の汗を拭った。  これ見たら、みんなどんな反応するかな?  後輩たちはきっと、感動するにちがいない。  部長は褒めてくれるはず。  ダンディーならどうだろう。ただニヤつきながら眺めてそうだ。  一穂は……喜んでくれたらいいな。  それから、  ゆずき――。  彼女がいなくなってひと月が経つ。  最近は、ゆずきの夢を見なくなった。  その代わり、気づけばぼんやりと、一緒に過ごした日々を、振り返ってたり。  これから先、彼女と歩みたかった未来を想像したりすることも増えた。  この喪失感は、いつか時が消し去ってくれるんだろうか。  明けない夜はない、癒えない傷はないって、失恋ソングの定番みたいなフレーズが頭の中をぐるぐる廻るときもあるけれど。  でもこういう気持ちもゆずきとの記憶も、もし全部リセットされてたら、それはそれですごく寂しいことだと思う。  だから、よかったんだ――、  ゆずきを想い続けることができて。 「あの」  そのとき、背後から声がかかった。  なんとなく聞き覚えのある声。  とてもやわらかくてあたたかな。  いや、まさか……。  空耳だよな。  これはきっと、彼女のことを強く想い過ぎて聞こえた幻聴。  おそるおそる振り返ると――  制服姿のゆずきが立っていた。 「ごめんなさい、驚かせちゃって」  彼女が申し訳なさそうに頭を下げる。  その姿に息を飲む。  頭が混乱した。何が何だかわからない。  純白のシャツに胸の前できちんと結ばれたリボン。  品よく着こなした紺のベスト。スカートから伸びる、白くきれいな足。  さらさらと流れる長い髪に、美しい瞳。 「え、えと……」  あのときと一緒だ。舌がもつれてうまく話せない。 「素敵ですね」  ゆずきはフェンスに立てかけてあるセットを見た。 「舞台ですか」  頬にかかった髪を小指で耳にかけ直しながら聞く。  これは夢か、幻なのか……?  西日を浴びてはにかむ彼女の足元からは、長い影が伸びている。  少なくとも幽霊じゃないようだ。  ゆずきは消えた。ひと月前に。  あの日僕は、それまで書いていた彼女の小説をすべて消した。  以来、続きも、別の物語も書いていない――。  目の前の女の子を凝視した。  心臓が早鐘を打つ。  軽くめまいもした。  ……ゆずき。……ゆずきなのか?  それとも、他人の空似?  あるいは……、  僕はもう、他人の顔さえ彼女に見えてしまう病に侵されているのかも……。 「あの、」  彼女は困惑し、 「もしかして、わたしの顔に何かついてます?」 自分の頬をこすった。 「あ、いや、ごめん」  ずいぶん長く凝視してしまった。 「舞台、のセット。演劇部の」  どんだけキョドってんだよ。 「公演があるんですか」 「来週」 「すぐですね」 「うん」 「演劇かあ。なんかすごく楽しそう」  彼女が目を細めて笑う。  その笑顔に、ますます胸の鼓動が高まった。  ゆずきは笑顔が似合う。 「って、いきなり話しかけちゃってごめんなさい」  僕の緊張はやっとほぐれつつあったのに……。 「わたし、今度この学校に転校してきました――水島(みずしま)といいます」  両手をスカートに当てて丁寧にお辞儀する彼女を見て、再び胸のざわめきを覚えた。  転校――生。 「変なタイミングなんですけど、両親の仕事の都合で。それで今日は、手続きと見学を兼ねて」  両親はご健在なんだ……。  ゆずきと彼女の境遇を比べている自分にはっとする。  目の前のこの子は、ゆずきじゃない?  ゆずきに似た誰か? 「あの……」  口がカラカラに乾いていた。落ち着け。 「藤井コウ」  ぶっきらぼうに名前だけ名乗ってしまった。 「高二で、演劇部」 「えっ、高二? 何組ですか」 「一組」 「ほんとに!」  彼女の顔が、花を咲かせたようにぱっと明るくなった。 「わたしも!」  同級生で、しかも同じクラスになるようだ。  その偶然に興奮したのか、それまでかしこまっていた彼女の言葉がくだけた。 「よかったー、早速知り合いができて」  彼女は胸に手を当て、ほっとした表情を浮かべる。  たぶん、いままでずっと緊張してたんだろうな。 「名前は?」  思わず聞いた。 「え、あの……」  さっき自己紹介したけど、という表情で彼女が口ごもる。 「下の名前」  ずっと気になっていて。 どうしても聞かずにはいられなかった。 「あ、ああ……」  彼女は、そういえば言ってなかったなと気付いたようで、 「ゆずき」  背筋をピンと伸ばした。 「水島――ゆずき」  その名前を耳にした瞬間。  どこからともなく優しいピアノの旋律が流れ始めるように。  軽やかな風が吹き抜けた。 「あ、あの」  言いかけた僕の言葉を待つように、 「ん?」  ゆずきがちょっとだけ首をかしげる。  彼女がよくやる癖だ。 「ここ、いいとこだから」 「え?」 「この学校も、この街も」  そんなことを、なんだか無性に言いたくなった。 「うん! 楽しみ」  ゆずきが大きくうなずく。 「演劇も面白いよ」 「途中からでも入れるかな?」 「もちろん」  僕も大きくうなずき返す。 「そっかあ。だったらやってみたい!」  この点は、目の前の彼女と、過去のゆずきとで違うようだ。 「ずいぶん積極的だね」 「えー、そうかな?」 「そう見える」 「だとしたらたぶん、藤井くんのおかげ」  藤井くん――か。  コウくんじゃなくて。 「この高校、初めてだったから、職員室でもずーっとドキドキしてたんだ」  少しだけ残念に思った僕の心中には、どうやら気づいていないようだ。  ゆずきは興奮気味に続けた。 「それで、ちょっと落ち着きたくて、外の空気を吸いにここへ来たの。そしたら藤井くんがひとり立ってて。正面から夕日が差して影になってる背中がすごく神秘的で。なんかわたし、心の中で『わー!』って叫んだんだよ」  しゃべりながら、コロコロ変わっていく表情。  感情表現が豊かで、見てるこっちが楽しくなる。 「それに、初めてだと思う」  彼女があらたまる。 「初対面の男の子と、こんなに話せたの」 「そうなんだ」  なんかうれしい……。 「藤井くん、話しやすいし頼りになるから」  はにかむゆずきに対して、僕は申し訳なさそうに首を振る。 「僕はまだまだ。全然だよ」  ジコチューだし、嫉妬するし、コンプレックスだらけだし。 「でもね」  僕はゆずきを見つめた。 「いま、いろいろ頑張ってる最中……かな」  舞台を飾る、この大掛かりなセットも。  脚本づくりも。  演劇部のみんなとの関係も。  それに――これからは、ゆずきとのことも。 「そういうの、いいね」  いつだって、彼女の何気ない一言が僕を勇気づけてくれる。  ねえ、ゆずき。  ゆずきが好きなことってなんだろう。  それに、好きな場所は?  好きな食べ物は?  好きな服は?  好きな音楽に、好きな本は?  将来の夢は?  いっぱい、いっぱい、聞きたいことがある。 「これから、よろしく」  僕は彼女にほほ笑みかけた。 「こちらこそ!」  ゆずきも満面の笑みだ。  これから何回笑いあえるだろう。  彼女が恥ずかしそうに手を差し出した。 「よろしく」  いま――  僕にとって本当の恋が始まろうとしていた。 初恋前夜 eve of the first (true) love fin.
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