セミ

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セミ

 その少女は夏休みを利用して、田舎の祖母の家に遊びに来ていた。少女が普段住んでいる街とはちがい、そこは緑が茂る山に囲まれていた。そのなかに祖母の家がぽつんとたたずんでいる。 「ねえねえ、おばあちゃん、知ってる」  セミの大合唱に負けないよう、少女が大きな声を出す。野外のまぶしさに比べて、家のなかは暗く涼しげだった。 「なんだい」 「セミってね、ずっと土のなかにいるんだよ。すごいよね」 「へえ、そうなのかい。それはすごいねえ」  祖母がやさしい声を出す。祖母はこの家にひとりで暮らしている。近くに民家はない。住人が亡くなるか、都会へ移り住むかで、このあたりに住むひとはすくなくなっていた。少女の母親が「お母さんもうちの近くへ来たらいいじゃない。あんな田舎じゃ生活するのも不便でしょ」と誘ったことがあったが、祖母は断った。よっぽどこの土地に執着があるらしい。ひょっとしたら母親と祖母に血のつながりがないのが影響しているのかもしれない。祖父の最初の妻の子が、少女の母親である。いま少女がおばあちゃんと呼んでいるのは、いわゆる後妻だ。 「今年もおじいちゃんはいないの」 「ええ、どこへ行ったのかしらね」 「えー、つまらないの」  少女が畳の上で無意味に転がる。少女の祖父は数年前までこの家にいた。だが、あるとき、忽然とすがたを消してしまったのだ。近所のひとや警察にも知らせて、大規模な捜索を行なった。しかし、見つからなかった。おそらく、山のなかで迷ってしまったのだろう。そんな結論でこの行方不明事件は幕を閉じた。その後もさわぎたてるひとがいなかったので、いまも少女の祖父はどこへ行ったかわからない。 「セミってね、土から出てきてもすぐに死んじゃうんだって。かわいそうだよね」 「そうなのかい。それはかわいそうだね」 「土のなかでなにしてるんだろうね。おばあちゃん、知ってる」  少女の問いに、祖母が答える。 「さあ、わからないね。それよりも、宿題はちゃんとやっているのかい」 「宿題なんて知らない」  少女がうつぶせになる。しらを切りとおすつもりらしい。 「知らんぷりをしてもむだだよ。お母さんからちゃんと連絡をもらっているのだからね」 「なんで宿題やらなきゃいけないの。せっかくおばあちゃんちへ来たんだもの。もっと遊びたいわ」  少女がほおを膨らませた。知らないふりでは通せないと察したのだろう。だだをこねる作戦に方向転換したようだ。少女の目線の先には夏の光景が広がっている。日差しが降りそそぐなか、都会の家と同じようなうす暗い部屋で机に向かうのはごめんなのだろう。 「そうだ」  少女がいきおいよく立ちあがった。その瞳は真夏の太陽に負けないくらいかがやいている。なにやらいいことを思いついたらしい。 「どうしたんだい」 「わたし、おじいちゃんを探しに行くわ」 「やめておきな。見つかりっこないよ」  祖母が少女を止めにかかる。だが、思い立った少女の意志は固かった。 「どうして見つからないってわかるの。わたしなら見つかるかもしれないじゃない」  自信満々に少女が胸を張る。おさない子どもはへんなところで頑固なものだ。あまりの自信に祖母はすこしたじろいでしまう。しかし、祖母だって負けてはいない。大人の理論でぶつかっていく。 「だって、ねえ。たくさんのひとがおじいちゃんを探してくれたのよ。それでも見つからなかったの」 「それは大人だからよ。大人になると大切なものが見えなくなるってお母さんが言ってたわ」 「まあ、困ったわね」  祖母が弱った顔を見せる。セミの声が外の世界で鳴りひびいていた。 「そうだ、アイスがあるからそれを食べましょう。おいしいわよ」 「うーん」  少女の心が揺れる。祖母はたしかな手ごたえを感じていた。もので釣れれば安いものだ。少女にさらなる揺さぶりをかけるため、「新しいアイスを買ってあるのよ」そう言おうとした瞬間だった。  一匹のセミが庭先でけたたましく鳴きだした。わめきたてるような大声に祖母の台詞がかき消される。それと同時に、少女の心はあっという間に夏の世界へ解き放たれてしまった。 「わ、おばあちゃん見てよ。セミよ。やっぱりわたし行ってくるわ。なんだか楽しそうだもの。夕方になる前には帰るから」 「やれやれ、しかたない子ねえ」  祖母があきれたように言う。こうなっては止めるすべはない。なにごともなく少女が帰ってくるのを祈るだけだ。 「気をつけて行くんだよ。数日前に大雨が降ったからね。道がぬかるんでいるかもしれないよ」 「平気だよ、そんなの」  少女が玄関に走る。祖母がなんとか追いつくと、はやくも片方の足に靴を履かせていた。 「甘く見ちゃいけないよ。近くの山ではがけ崩れがあったって話だ。とにかく山には近づいちゃだめだからね」 「わかってるよ、おばあちゃん。じゃあ、行ってくるね」  あきらかにわかっていない笑顔を見せて、少女はまぶしい世界へ飛び出していく。そのうしろすがたを影から祖母が見つめていた。 「まったく、しかたないねえ。いったい、だれに似たのだか」  祖母はゆっくりとした足取りで部屋に戻り、少女の帰りを待つことにした。祖父がいなくなってから、家は前よりも広くなった。ただ、とくに困るようなことはない。田舎の生活はもとから不便なのだ。住人がふたりからひとりになった。それくらいのできごとである。  静かな部屋で時計の針が進むのを祖母はじっと眺めていた。
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