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 明くる日。ようやくこの行軍に体が慣れはじめたところで、いよいよ目的地が近づいてきた。  雲もなく澄み切った空は、薄い紅色へと染め上げられている。  現在のように、体が仰け反ってしまう程の高さを持つ建築物など、ほぼ存在していない。まして、道脇に生えている木でさえまだらにしかない道のりは、空を覆い隠すものが何も無い。    目を奪われるほどに大きな太陽を、真人はじっと見つめていた。ゆっくり沈んでいく姿は、地上から目を逸らして逃げてゆくようにも見える。 「おい、どうするんだ真人。もう目の前だぞ」  ゆらゆらと馬の背で揺れている真人に、少しだけ先を進んでいた鉄が話しかけた。その言葉通り、既にちらほらと人や家が見え始めている。 「どうするも何も、とりあえず行くしかないでしょ。考えたってどうせ思いつかないし、なら正面突破で」 「いいのか? それで」 「まあ、しょうがないし。早速だけど、こっちを見てるあの男の人に偉い人を呼んで来てもらうように頼もう」 「あいつだな? 俺が行くからお前はここに居ろ」 「わかった。よろしく」  頷いた真人にその場を任せ、鉄はこちらを凝視している男の元へと近づいていった。残された真人は、後ろでそわそわしている五十人の兵達に向き直った。  突然里帰りできたことに浮き足だつ気持ちはわかるが、怖いので武器をがちゃがちゃと鳴らさないで欲しい。  迷いながらも口を開こうとすると、左側に立っていた兵の一人が話しかけてきた。 「柴田様に、お二人は何か村長に話があるって聞いたけれど、儂等はもう家に帰ってもいいですかい? 子等の顔を早く見たくて」 「俺も早くかかあに会いてえなあ」  一人が言い始めるともう止まらない。一応この隊を率いているので、直接真人に向かって文句を言う人はいないが、いかんせん圧がすごい。  この後の話し合いで味方になってもらうため、もう少し親交を深めたかったが時間がないようだ。  自分より年上の人達からこんなに懇願されて無下にできるほど真人の心臓は強くない。  鉄が戻ってくるまでここに居て欲しいが仕方がない。母親に宥められているけど、遠くで子供が飛び跳ねているのが見える。  戦や警備からやっと帰って来た父親でも見つけたのだろう。 「あー…………」  一人になってしまって心細いのに、ちらほらと村人が増え始めている。前に村人、後ろは兵達に挟まれてしまった。 「結局策なんて思いつかなかったし……。別に平気だよな……?」  まだまだ鉄は帰ってきそうにない。結局兵達が居ても居なくても、そこまで変わらないんじゃないかという考えが真人の頭を占め始めていた。 「皆さんは織田家に雇われてるんですよね……?」 「そうですが?」 「もし俺達と村長で意見が割れても、村長さん側について攻撃してくるとかしないですよね……?」 「そりゃあ、もちろん」  訝しげに頷く男達。心から信じることは出来ないが、そうなったら鉄と逃げよう。斎賀もとっくの昔に、騒ぎは収まっているはずだ。 「それじゃあ、皆さんを信じます。早く家族に顔を見せてあげて下さい。あ、でも武器はここに置いていって」 「ああ、ありがてえ」 「何か村長と話すときは呼んでくれや」  少し恩を売るような言い方だが、このくらいの方がいいだろう。  各々が武器を置きながら声を掛けてくる。半ば放り投げるように雑に集められているが、正直壊れてくれた方が安心である。  村の人達も、初めは怖そうにしていたが兵達の顔を見た途端に、駆け出し人を呼ぶという連鎖が生まれていた。今ではかなりの人数が集まっている。  ゆっくりと歩いて来た腰の曲がったお婆さんに兵の一人がたどり着いた。  泣きそうな顔で息子であろう兵の両手を硬く握りしめているお婆さん見ると、ここで解散してしまった罪悪感が薄れていく。  良いことをしたと頷きながらその光景を眺めている中、鉄が五十代くらいの人を連れて歩いて来た。農作業の影響なのかガタイがいい。  これ以上税を払えないと武力蜂起したとは聞いていたが、想像していた村長というイメージとは違った。  真人自身、この時代に来てお世話になっていた斎賀の村人達は女子供、お年寄りが殆どだった。  織田領のように兵農分離していたわけではなく、戦の時で男手があまり居なかったのだ。だから身元不明な真人でも歓迎されていたという事情もある。  村長にばかり気を取られていたが、ふと真人はその横を見た。  村人の中に兵が混ざっていることに驚き、その目で真人の後ろにいた兵が一人残らず居なくなったことを確認したのだろう。今まで見たことはないが、般若の顔とはこれを言うのではないのだろうか。  織田領に来てから鉄のストレスが心配だ。申し訳ない。  心の中で謝りながら、真人は愛想笑いを浮かべた。片手を上げてヒラヒラと労いの意を示す。 「ちゃんと連れて来てくれたんだ。ありがとな、鉄」 「どうして兵達を解散させた?」  お礼の言葉を無視して鉄が真人に詰め寄って来た。村長に聞こえないように、ぼそぼそと耳元で抗議の声を上げる。 「だって圧が凄かったし。武器を持った人達が五十人だからね? 後ろでいつ家に帰れるのか気になってソワソワされるのって地味に怖いからな?」 「だからって何も今しなくても良かっただろう? 俺が戻ってきてからでも十分だったはずだ。覚えてるか? あいつらは元々、威嚇目的、無理でも村人を人質に取れば言うことを聞かせられるんだ。それが皆ばらばらに散ったら何もできなくなるだろ?」 「だから人質とか言うなって。それに、武器は置いてってもらったじゃん。それで俺等が襲われたら困るから」 「そういうことじゃねえってのに。ったく、そんな考えで今までお前が無事に生きてこれたのが不思議だ。自分の危険を増やしてどうする。静かに待つことも出来ないのか」 「いや、無事というか、ここに来てからは矢を射られたり牢屋にぶち込まれたりしてるけど」  呆れた表情を浮かべる鉄にムッとして、真人も言い返す。  鉄だって、兵達がこの村出身だと知った途端に無気力だったじゃないか。  それに、威嚇とか人質とか本気で考えてるんだったら、既に動いていたはずだ。  ひそひそ二人で話していると、いい加減痺れを切らしたように村長が声を上げた。俺達を恐れているというより、やはり敵意の方が強く伝わってくる。 「ここで立ち話してもしょうがないですし、家に来ませんか?」  当初の計画だった威嚇作戦は、兵を解散させたことで完全に砕け散った。確かにここで話す意味はどこにもない。  せっかく村長に来てもらったが、真人達はここを移動することにした。 「あ、武器のことだが管理はこちらでやらせてもらう。悪いが、この槍を運ぶのだけお願いしたい。真人、全部で五十本あるな?」 「ああ。そのはずだけど」 「そしたら、俺達が泊まるところに運んでもらうが、念のために数えておく。今五十本あるか確認して、運ばれた後にもう一度数える」 「えー、そこまでする必要あるか?」 「武器の扱いに慎重すぎるという事はないからな」 「まあ、確かに」  鉄に言われて、重なっている武器を数えて村人に手渡す。村長を待たしてしまい申し訳なかったが、五十本なのですぐに確認し終わった。 「よし、ちゃんとあったな」  運ばれていく槍を見て、小さく頷いた。軽く待たせてしまったことを謝ってから、村長に先導されて村の中を歩いていく。  壊れた柵のような物や、裏に鎧に似たものを置いている家がちらほらと見える。    先程は家族と会えたことで二人を目に止めていなかった人達も、落ち着いてきたら疑心を抱く目で織田の使者を見ている。  また税を増やすのでは。いや、大軍を送り込むつもりなのでは?  ざわめきが大きくなってきたところで、周りより一回り大きな家に着いた。  母屋とは別に、離れだと思われる建物に案内される。鉄は出入り口を、真人はキョロキョロと首を動かして室内を見渡した。 「こちらにお掛けください」  村長に座るよう勧められ、床に腰を下ろす。お互いが向かい合って顔を合わすと、鉄がおもむろに口を開いた。 「蜂起したと聞いていたが、ずいぶん立派な家だな」 「いえ、見掛けだけの家です。近頃は備蓄も乏しく、毎日の生活をするのが精一杯なところです」 「そうか。それで、今日俺達がここにきた理由は……わかるな?」  体をグッと前に出して詰め寄る。横に座っている真人も鉄の雰囲気に圧迫されそうだ。 「ええ。もちろん承知しております。何度も蜂起していることについて、でしょう」  圧を蹴散らすように堂々と口上を述べる。丁寧な対応に見えて、その実、尊大な態度だ。  なぜこれ程までに余裕があるのか。首を捻ったのは真人だけではなかった。 「税を払えないという割には、これだけ織田に楯突く力はあるようだな。はっ、いっそのこと俺がこっちの陣営に居てえよ」 「鉄!!」  口を滑らした鉄に上から被さるようにして大声を出す。訝しげに俺達を見る村長に、慌てて鉄の話題にのった。 「確かにそうだ。この村はまだ村人達に活気があるように見えた。今年は気温の変動が大きくて、どこも不作だったはず」 「例年と変わらなかったのは斎賀くらいだろうな」 「え? 斎賀もいつもよりは不作気味だと……」 「いや、斎賀はほぼ例年通りだと敏之が言ってた。詳しいことは聞いてないが、試しにやった施策が成功したんだと」 「うそ、知らなかったんだけど! 敏之すごいじゃん! いつも何かしら忙しそうにしてたもんな」 「ああ。あいつの側にはいい人材が居るからな」 「家臣の人達、顔はおっかないけど気の良い人多いし」  鉄の言葉にうんうん言いながら頷く。ちらっと横を見ると俺を見てニヤっと口の端を上げていた。 「その通りです。隣の斎賀の噂はここまで聞こえます。近頃勢いがついてきたみたいで。羨ましい限りです」 「なんだ? 織田よりも斎賀に支配されたくて楯突いているのか?」 「まさか。そのような理由で蜂起してたら、こちらが持ちませんよ」 「じゃあ理由を教えてくれるか?」 「税を少なくしてもらうためです」 「見たところこの村はひどい不作には見えんがな」  二人の話は平行線だ。この村には何かある、と聞き出そうとしている鉄。それに対してのらりくらりとかわす村長。  こうなると真人は出来ることが何もない。同じ姿勢でいることにも疲れ始めていた。  あぐらをかき、後ろに両手をついていたのだが、凝った肩を動かしながら足の上に両手を置いた。  二人の空気から少しでも離れようと、無意識のうちに体を反っていた。態度悪かったな……。  少し反省をしながら再度二人のやりとりに耳を傾ける。  その時ふと、覚えのある香りが一瞬だけ鼻を掠めた。あまり嗅いだことはないけれど、どこか特徴的な匂い。  鼻をひくひく動かすが消えてしまった。 「あれ?」  気の所為だったかと手を顎に当てて思案する。確かに嗅いだことのある香りが……。  何だったのかと首を傾げた時、またあの香りがした。しかも今度は先程よりも強く鼻にきた。  何処だっ。キョロキョロと首を振るとたちまち消えてしまう。  正面に顔を固定し、手で目の前を仰ぐ。やはり香りは正面から漂ってきている。  正体を突き止めようと考え込む寸前、ひょいと右の手が顔に当たった。勢いよく仰ぎすぎたらしい。  それと同時に、真人は漂ってくる香りに気づいた。 「あ、俺の手じゃん!」  試しに手の平を鼻に近づけると、確かにここからだった。  変な物でも触ったか? 直前の動作を思い返すが何もしていない。ただ、座っていただけだ。  一人で手をにぎにぎ動かしてると鉄に話しかけられた。 「さっきから何やってるんだ、真人」 「なんか俺の手が匂いがするんだけど。ほら、嗅いでみて。どっかで嗅いだことのあるやつ」 「はあ? 手から?」  ほら、と勢いよく手を押し付けるが嫌そうな顔をされてしまう。  それでも粘って匂いを嗅がせようとしていると、鉄も気づいたようだ。眉を寄せて村長の顔を見る。  村長も静かに俺達を観察していた。お互い何も話さない。  そして、先に口を開いたのは鉄だった。納得がいったように頷いてから、にやりと笑った。 「もしかして、度重なる蜂起にはこの匂いの元が関係しているのか?」  問いただしているが質問ではない。これは、確信だ。 「村の奥に進むにつれてこの匂いがしていた。ただ、あまりにも微かすぎて見落としていた」 「何の匂いがすると?」  じっと目を見つめて村長が言い返した。元からなのか少し赤ら顔をしている。 「あ、わかった!」  この匂い。 「そうだ。真人も気づいたな。────酒だ」  醸造酒だ。
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