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モカ・ウィッチ様が『砕魂の魔女』と呼ばれるのは、終わってしまった命を小さく砕くことからそう呼ばれるそうです。そして、彼女は砕いた命をパンの中へ注ぎ込み心残りを晴らさせるために『動くパン』として働かせるのです。
なぜ砕魂の魔女は命を砕くのでしょうか。
彼女はパンに命を注ぐとき、どんな心残りがあるのか大まかに感じとります。死ぬ瞬間抱える願いが誰しも優しいものとは限らないのです。深い憎しみや燃える怒りに染まった命は真っ黒に染まっているのだと彼女は言います。それをそのままパンに注げば、たちまち不死の魔物へと姿を変えると言うのです。
既に生きていない命が生き物ではないパンに入り込めば、それはただの動く人形です。更にその中に、憎しみという燃料を入れれば。パンはたちまち燃え上がり、黒炭のバケモノと化して生きているものを襲うのでしょう。
それに気づいた彼女は、黒く染まった命を砕いてからパンに注ぐようにしたのです。少しでもその憎しみが小さくなるように、小さく小さく彼女は命を砕きます。
それを見ていた霧の館の庭師は聞きました。
「どうしてそこまでするのですか?」
死んでも復讐を望むのならばそうさせておけばいいのでは? と。
魔女は答えました。
「復讐をしてもね、心残りは晴れないのよ。晴れない限り命は復讐を続ける。
終わりがないの」
そして、魔女は続けます。
私が死んだら、あのクソガキ魔女を殺しに行くわ。
殺しても殺しても殺しても殺しても殺しても殺しても殺しても殺しても殺しても殺しても。
きっと足りない。
私のあの子をあんな目に合わせて、小さな箱に押し積めて、寒い外に放置したのよ?
私はきっと、世界が終わるまで呪い続ける。
魔女は涙をその焦げ茶の目に溜め、静かに言います。
ずっとずっと昔、彼女がパンを焼くようになる前に拐われた黒猫。
魔女の大切だった唯一の家族。
その彼は、
ワガママ魔女によって拐われた後、反抗して顔を引っ掻きました。それに激怒したワガママ魔女は、彼を縛りました。
柔らかい体は縛りにくく、まずは首に紐を巻き付け思いきり引っ張りました。長い尻尾を掴んで千切れるまで何度も石に叩きつけました。
低い唸り声が耳障りだと、土を口から詰め込み喉まで膨れました。睨む眼が鬱陶しいと、尖った枝で何度も抉られ最後には焼かれました。
痛みに足掻き、爪は赤く染まって剥がれました。三角の耳だけは無事で、心臓が止まるまで彼自身が受けていた音を拾い続けました。
動かなくなった黒猫をワガママ魔女は適当な箱へ放り込みました。すぐに流れた血で溢れ返った箱の中身を重いという理由でほとんど捨てました。黒猫の体はカラカラに渇き、それでも持ちにくいと言い小さく丸め、紙袋へ入れました。それは一見何が入っているか分からない普通の袋でした。
ワガママ魔女はそれを元の持ち主へ送り返しました。記録の森に住む、今ではパンを焼くようになった魔女の元へ。
寒い寒い氷の張る冷たい冬の真夜中のことでした。
家の中にいる魔女は一晩気づくことができませんでした。
次の日、彼女が扉を開いたときに目にした物は変わり果てた黒猫だったものが入った小さな紙袋。
彼女は彼を袋から出し、箱から出し、紐をほどき、土を口から掻き出し、泣きながら「おかえり」と言って抱き締めました。
彼女は幾夜も幾夜も哭き続け、声も涙も出ないほどになりました。
魔女の異常に気づいたのか、霧の館から友人らが家に駆け付けました。その時には、黒猫は腐りかけていました。それでもまだ彼を手離そうとしない彼女に、友人である霧の館の吸血鬼お嬢様は言います。
「大切なものならそんな姿見られたくないでしょう?」
綺麗にして弔ってやろうと。
そうして、やっと彼も彼女も一息着くことができたのでした。
魔女は霧の館の庭師に問い掛けます。
ねえ。死んでもそんな姿大切な人に見せたいと思う?
本当に心残りなのは、その大切な人のことなのに。
死んでも憎むその命たちが可哀想だと魔女は言います。
本当の心残りである優しい願いでさえ遠退かせてしまう黒い感情。誰しもが抱くであろうその黒い感情は、大切なものにさえ黒い膜を張って見えなくしてしまいます。
魔女は黒い命を砕きながら言います。
自分は本当の願いも黒い憎しみも理解できるから、こうするの。
砕けば砕くほど小さく細かくなる黒い塊。どんなに醜い憎しみも、どんなに猛烈な怒りも、どんなに冷たい悲しみでさえも砕いてしまえば些細なもの。
ハロウィンの日には可愛らしい悪戯をするだけで満足する、小さな小さな黒の欠片。
今年のハロウィンにも、魔女はそのような命にさえ最期の機会を与えます。黒く染まった中に沈められた本当の願いを叶える機会を。
どうか、本当の願いに辿り着くことができるようにと。
毎年、あのワガママ魔女の家に押し掛けるパンはみんな、真っ黒だった命を砕かれ注がれたものばかり。今年ここへ悪戯しに来ても、来年こそは本当の願いにたどり着けることでしょう。
だって、彼らはあんなにも楽しそうに悪戯しているのですから。
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