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1949年(昭和24年)、原爆で多大な被害を受けた広島の復興の象徴として、新しいプロ野球チーム・広島カープが誕生した(当初は「カープス」という名前だったが、「Carp=鯉」は単複両形の英単語であり、「s」が付くのはおかしいという理由で「カープ」になった。)。地元企業の著名人達が資金を出し合い、監督には広島出身の名将・石本秀一を据えた。
しかし、この時点で既に球団の経営には暗雲が立ち込めていた。開幕まで後三ヶ月の時点で、選手が一人も居なかったのだ。何しろ、創始者達は皆、野球に関してはズブの素人で、資金と設備は最低限の物は整えられても、選手は石本を頼るしかなかった。
石本はかつての教え子や既に引退した選手を、限られた資金の中でスカウトした。更に巨人が「新球団には、一人くらいはスター選手がいるべき」という温情のもと、強打と攻守が武器である広島出身の遊撃手、白石勝己を無償トレードでカープに「プレゼント」した。彼は助監督として、カープを支える事になる。
それでも選手が足りず、入団テストを実施した。その結果、のちにカープの初代エースとなる、長谷川良平を獲得した。
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