もしもの話

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もしもの話

もしも、あの日に戻れたら。 きっと、誰だって1度はこの「もしも」を考えたことがあるのではないだろうか。 あの日は、もう一度繰り返したい大切な日かもしれないし、もう今後出会うことのない奇跡のような日かもしれないし、ある日ふと思い出して泣き出したくなるようなそんな後悔をうんだ日かもしれない。 もしも、だから。その人の思うように変えられるし。 もしも、だから。本当には変えられない。 曖昧で、切実で、真実で、虚実。 誰だってそういったもしもをいくつか抱えて生きている。 これはそんなもしもの物語。 「ねぇ、私ってどんな人?」 トタン屋根に雨水が跳ねる音がやけに静かな部屋に反響した。 「んー、猫かな。」 トン、トンと軽快にリズムを刻んでは、二人きりの部屋に余韻を残していく雨音。 薄暗い部屋に、ほんのりと灯るオレンジ色の非常灯。以前まで、1人では少し広くて、2人では少し狭かった部屋が、今日は2人でも広く感じた。 まるで、世界に二人きり。 使い古されたそんな言葉が頭を過ぎる。 何も無い部屋の中央に、真っ白なベット。使い古したタオルケットと、大人一人が寝れるくらいの狭くて薄っぺらい敷布団が1つ。 私たちはそんな布団に互いを抱き締めるように、何かを確かめるようにして身を寄せあっていた。 「そーか。私は猫なのか、じゃあ前世は猫だったのかな、」 私がそう言うと、少しの沈黙のあと 「どれだけ、前世で徳を積めば人間になれるの。」 と笑いながら彼はいう。 笑う度彼の伸びすぎた横髪が私の頬をかすめた。 それが少しくすぐったくて私は身を捩ると、彼は少し腕に力を入れて私の体を抱き締める。 これが彼のくせだった。私を離したくないのか、単なる意地悪なのか、はたまたま両方なのか、私が離れようとすると彼は無意識に腕に力を入れてしまうようだった。 「ふふふ」 私はそれが可笑しくて少し、わらってしまう。 「なんで笑うの。」 彼にはバレないように笑ったはずなのに、やはり彼の腕の中ではなんでもお見通しらしい。 「なんでもないよ。」 私は少しはにかんだように笑って、彼の頭を撫でる。少し距離が近すぎるからだろうか、撫でる手が少し歪なリズムで彼の頭を反復する。 トンと、二人きりの世界にたまに入り込んで来る雨音がここは世界の片隅なのだと自覚させる。 外は夕暮れ時だというのに、どんよりと重々しい分厚い雲が漂っていて、今日もまた雨は止みそうにない。 「ふーん。ならいいけど。」 彼は少し不満そうな顔をしたが、頭を撫でられたことが嬉しいのか、幸せそうに目をつぶって笑った。 「私さ、前世は私が望む私だったと思うんだ。」 「どういうこと?」 「さっきの話だよ。ほら、前世がって話。」 「ああ、それか。」 ふと、思い出したようにあいずちをうつ彼は少し瞼が落ちかけていて、眠たそうに目をこする。少し目元が赤く腫れているのが見えた。 「で、それがどうしたの?」 「うん、だからね。今の私は前世の私が望んだ私で、今の私が望む私は来世でなる私ってこと。」 「輪廻転生ってやつだね。」 「ああ、そうだね。それに似てるかも。」 「なら、僕らは来世でも会えるのかな。」 「どうしてそう思うの?」 「だって、僕は来世でも君と出会いたいと思うし。」 「でも、私はそうは思ってないかもよ?」 「え、そうなの?」 彼は意外そうな顔をして、こちらをみる。 「ふふふ、冗談だよ。私も同じ。そう思ってる。」 「からかったな。」 「いつものことでしょ。」 「まぁそうか。」 穏やかで、ちょっとした幸せに溢れる毎日。 このまま私が何を言わなければきっと続く平穏な日々。 けれど、私はもうここには居られない。 いや、もう既に知られてしまってるから。 嘘は虚実で。真実が現実。 「ねぇ、もしも。」 「もしも、私がこの世から居なくなるって言ったら。」 「君はそれでも私と一緒にいてくれる?」 震えた声が空気を揺らす。私から放たれた言葉が、辺りの音を吸い込んでしまったかのように。 二人の間にゆっくりと降りかかった。 「君は嘘つきだ。」 きっと5分にも満たないその沈黙の後、彼はゆっくりと口を開く。 「うん」 「ずっとそばに居てくれるっていったのに」 「ごめんね」 彼の言葉に、ありふれた言葉しか返せなくて。 「君のこと、こんなにも好きにさせたのに」 「私から告白したのにね」 私だってもっと一緒に居たかった。 「ああ、でも。」 そう、でも。 「僕の望みはいつだって1つなんだ。」 知ってるよ。 「君に幸せになって欲しい。」 彼のその言葉は酷く優しくて。まるで雨音のように、私の心をトンと優しくノックする。 「もうここへはきてはだめだよ。」 ああ、知っていた。彼はこういう人なのだと。 誰よりもお人好しで、優しくて、暖かくて、どんなに頑張っても叶わない。 「もう、僕のことは」 その後に続く言葉は、知っていた。 「忘れて。」 『本日未明、○○市の路上で、男女二人の乗った車とトラックによる交通事故にあいました。どちらも意識不明の重体で搬送されましたが、女性は先程意識を取り戻し、男性は死亡した模様です。なお、現場からは…』 真っ白なベットの上。使い古したタオルケットと、大人一人が寝れるくらいの狭くて薄っぺらい敷布団が1つ。 先程までとはちがって、薄暗い部屋に、ほんのりと灯るオレンジ色の非常灯。以前まで、1人では少し広くて、2人では少し狭かった部屋が、今日は1人でとても広く寂しく感じた。 どうやら、私達は交通事故にあったらしい。 2人とも意識不明の重体で運ばれてきたらしく、彼の体は私を守るようにして、覆いかぶさった状態だったらしい。彼の左手には携帯電話が握られており、その携帯から救急車が呼ばれていたらしく、後5分遅ければ2人とも助からなかっただろうとのことだった。 そのおかげもあって、私は一命を取り留め、今この病室にいるというわけらしい。 意識が戻ったあと、私は順調に回復した。 あの時、もしもあの時。 彼が私の質問に、イエスと答えたら。 もしも、あの時。 私が彼を庇っていたら。 もしも、あの時。 彼が電話をかけてくれていなかったら。 たくさんのもしもを考えた。 その中には彼と私がまだ一緒にいられる未来もあった。 でも、その未来も全部もしもだ。 もしも、だから。その人の思うように変えられるし。 もしも、だから。本当には変えられない。 曖昧で、切実で、真実で、虚実。 誰だってそういったもしもをいくつか抱えて生きている。 これから私はそういったもしもをいくつも抱えて生きていく。 彼が望んだように、生きるという道歩きながら。 でも私は嘘つきだから、彼の言う事を破ることにした。 それは彼を忘れないこと。ずっと彼ともしもを抱えて生きていくこと。 そうしていつか、そう来世では。 彼ともう一度巡り会って今度こそずっと一緒にいるという約束を果たすのだ。 だから、そんなもしもを夢抱えて私は今日も生きていく。
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