闇金

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闇金

 お母さんまた出ていった。安藤和佳奈は母親が脱いで散らかした服を洗濯機に入れて回した。ふと小さかった頃の思い出が蘇ってきた。    その日は雨が降っていた。いつもは夕方には帰ってくるのに母親は夜になっても帰ってこなかった。部屋は真っ暗だった。和佳奈は心細くなり泣いた。しかし何時まで立っても母親は帰ってこなかった。家には菓子パンが2つだけ机の上に置いてあった。和佳奈は菓子パンを食べた。次の日も次の日も母親は帰ってこなかった。家には水と僅かな調味料しかなかった。お腹がすいた。何か食べたい。独りは怖い。お母さん早く帰ってきて。ずっとずっと心の中で祈った。  ドアには鍵がかけてあった。幼い和佳奈は外には出ることができない。誰も助けには来てくれなかった。1週間になろうとしていた。和佳奈は意識がなくなりかけていた。喉が乾いた。水がほしい。息ができない。苦しい。幼いながらも死を意識した。  和佳奈が気付いた時は病院のベッドの上だった。保育園に欠席連絡が入らないので心配した園長が様子を見に来たのであった。管理人に鍵を開けてもらって入った時には和佳奈は意識がなく危ない状態であった。  母親は児童相談所に二度と外泊はしないと約束した。外泊しないかわりに母親のボーイフレンドが家に来た。男は和佳奈に冷淡だった。あまり食べ物を与えてもらえなかった。和佳奈が冷蔵庫の物を食べようとすると躾と称して男は和佳奈を殴った。大泣きする和佳奈に「うるせぇ!」と怒鳴り背中にタバコの火を押し付けた。熱かった。そして猛烈な痛みが和佳奈を襲った。痛い。痛い。しかし苦しんでいる和佳奈を母親は無言で見ているだけだった。  学校では古びた洋服を来ている和佳奈に「バイキン」と男子が名付けた。皆目を合わせなくなり、和佳奈を避けるようになった。和佳奈が触れたものには汚いと言って誰も触ろうとはしなかった。 「お前の母さん男好きなんだって?」 「お母さんが和佳奈ちゃんとは遊んではいけないって言うのよね」  同じ都営住宅の子どもにまで言われた。学校ではいつも独りだった。  和佳奈の頬に涙が伝った。きゅっと涙をぬぐい、和佳奈は数学オリンピックの問題に取り掛かった。  安藤ゆりは畑中裕二と東京競馬場に向かっていた。日曜は大抵そこで過ごす。夜は畑中のアパートに泊まり翌朝自宅に帰るのがおきまりのパターンだった。  安藤ゆりは無職だ。生活保護を受けている。求人の多くは接客業だ。人と話すのは苦手だ、だから介護や飲食店は自分には無理だと思っている。建設現場は重労働すぎてとても働く気にはなれない。事務職の募集はほとんどないから結局仕事につけずにいる。だから平日はパチンコ店に行く。  パチンコ代がなくなるとサンファイナンスでお金を借りる。電話一本で口座に金が入金されるので便利だ。和佳奈の支援金も入るので返済ができなくなることはない。それにパチンコも勝つときは勝つ。  娘の和佳奈は天才だと和佳奈の中学の担任は言った。世の中子育て子育てとうるさすぎ。勉強だの、スポーツだの、習い事だの大騒ぎしている。子どものことで一喜一憂しているバカ親ばかりだ。放任でも子どもは育つ。私を見ろ。トンビが鷹を生だ。ザマァ見ろ。散々私をけなした奴らはどうなった。娘はあの応慶寺高校に通っている。雑魚には一生縁がないところだ。それを考えると気分がいい。  碧は耀に言った。「これから大日本国民生活支援センターに行く」 「支援センター....怪しいNGOのことか?」 「畑中と安井に接触したい」 「支援センターにいないかもしれないぜ?」 「かもな、でも手がかりは掴めると思う」 「掴んでどうする?」 「安藤の母親から手を引けと言う」 「畑中と別れさせるつもりか?」 「それだけじゃない、母親の闇金からの借り入れをストップさせる、他にも気になっていることがある」 「簡単にできることじゃないだろう」 「考えはある」 「怪しい事務所に単独で乗り込むなんて危険すぎる。ガキの喧嘩じゃない」 「当然だ。勝算はある。俺たちがどれほど訓練を受けてきたと思っている。常に命のリスクにさらされてきたんだ。対策は十分取れている。こんなことは何でもないさ」 「確かにそうかもしれないが、ただの同級生にそこまで肩入れしなくてもいいんじゃないのか」 「安藤和佳奈は使える。ぜひとも欲しい」 「実は俺もそれは考えていた。コマにしたら便利だ。ただ彼女結構面倒を抱えている、躊躇はするよ」 「その面倒を消滅させる」碧が言った。 「NGOの事務所には俺一人で行く。お前はここで様子を見るか、引き上げるか好きにしてくれ。また、連絡する」碧はそう言い残して部屋を出ていった。  大日本生活支援センターは渋谷の雑居ビルの4階にあった。他にもネイルサロンやマッサージ、店舗などが入っていた。扉を開けて入ってみた。中は小綺麗で接客カウンターがあり、女性従業員が接客をしていた。怪しい雰囲気はない、健全な支援センターという感じであった。  店舗に入るなり碧は女性従業員に話しかけた。「サンファイナンスのことで話があるのですが」女性従業員は訝気(いぶかしげ)な顔をした。すると奥から30代後半の男性が出てきた。 「お客様こちらへ」碧を奥の応接室へと案内した。入ると扉が閉められた。応接室では40代から50代のスーツ姿の男がソファに腰掛けていた。キッチンには30代手前くらいのジャージを着た男が立っていた。どちらもカタギには見えない。すると男がいきなり胸ぐらを掴んできた。 「てめぇどういうつもりだ!ここはガキが来るとこじゃねぇ?わかってんのか!」  碧は男には抵抗せず、冷静に言った。 「お願いがあり来ました。安藤ゆりさんのことです。縁を切ってもらえませんか?畑中さん」 碧は男の顔をまっすぐに見た。  なぜ俺のことを知っているんだ?畑中は驚いた。そして思わず手が緩んだ。そのスキを碧は見逃さず、さっと畑中の手を振りほどいた。 「それから彼女にサンファイナンスからお金を借りさせることも金輪際止めてもらいたい」 「はっ?」  その瞬間ボールペンが碧をめがけて飛んできた。碧はそれを避けた。 「来るなり、エラソーな態度やな、にーちゃん」スーツ姿の男が言った。それには答えず碧はジャージ姿の若い男に言った。 「Sさんから伝言もらっています。金曜の会食には行くなと。竜胴会が絡んでいると」ジャージ姿の男は意外な顔をした。そして碧をじっと見つめ沈黙を保っていた。 「それから畑中さん。安藤さんに覚醒剤を渡すのを止めてもらえませんか?覚醒剤は犯罪ですよね?闇金もそうですけどね。畑中さんどこから覚醒剤を入手しているんですか?」  覚醒剤と聞いてジャージ姿の男とスーツ姿の男が反応した。碧はジャージ姿の男を見て言った。 「安井さん、僕は加藤碧と言います。僕に連絡したいなら、これを使って下さい」碧は携帯電話を机において、そしてサッサと事務所を出ていった。  突然の出来事に三人は唖然としていた。安井が畑中に言った。 「おい、何してる!早く後を追え!」畑中は我に返りすぐに部屋から出ていった。  応接室では安井と腹心の部下の丸山が話をしていた。 「妙なガキが来ましたね、あのガキ俺らのことも安井さんのことも最初から知っていた。ハッタリじゃない。誰が見ても責任者はスーツの俺だと思うはずでしょ?だが、あのガキはまっすぐ安井さんを見ていた。ここがサンファイナンスのフロント事業だということもわかって来てたんでしょうね?しかもSさんのこと知っているなんて普通のガキじゃありませんね。育ちが良さそうにしか見えなかったですが、一体....」    丸山は安井の返事を待った。丸山には事情が掴めない、ただ困惑しているだけだ。安井なら何か知っているのかもしれない。丸山はそう考えていた。安井は暫く考え込んいた。 「丸山、覚醒剤のこと知っていたか?」 「いいえ、うちは薬物は御法度ですから」 「畑中の奴、怪しいな」 「金曜のメシも畑中が言い出したことでしたね」 「あのガキ何を知ってる。竜胴会の動きも。ここへ来た目的は畑中の女の件だったな。本当にそれが目的か、あるいは何か企んでいるのか」そう言って安井は碧が残した携帯電話を見つめた。  その時安井の携帯が鳴った。畑中からだった。 「見失いました。俺がビルを出たときにはガキの姿はありませんでした。今辺りを探してはいるんですが....」 「それなら、もういい、戻れ」安井は言った。  先ずはお前に聞きたいことがある。安井は心の中で呟いた。  畑中に竜胴会との繋がりを尋問しなければならない。安井グループは決してヤクザに与しはしない。たとえ竜胴会の若頭がうるさく言ってきてもだ。安井グループはヤクザの傘下には入らない。 次の金曜日の闇金グループの会合はそのための会合だ。しかし裏で竜胴会が動いていたのか。しーさんはそれを俺に伝えくれた。超重要メッセージだ。それにしてもあのガキは何者だ。見た目は坊っちゃんだが、ずいぶんと腹の座ったガキだ。あんなのは、初めて見た。畑中の件が済んだら電話をしてみるか。安井はそう思案していた。  
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