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王子と王
「奥様は具合が悪そうですので、代わりに私がお式には参列いたします」
五条家の執事田所はそう言って助手席に乗った。五条家の当主薫は五条グループの総帥だ。年中多忙でほとんど家に居なかった。耀の父薫が多忙を極めるにつれて母親の未央はふさぎ込みがちなり、今では殆ど外出することはなかった。そのため今では執事の田所が全て世話をしている。
「香織が式に参列させてほしいって駄々をこねてさ、本当にあいつは碧べったりでウザいわ」車に乗り込むなり耀が碧に言った。
「それにしても誓いの言葉を他の奴が言うなんてな。てっきりお前だと思っていたよ。お前が1番を抜かれるとはね。驚きだ」
碧はそれに答えず一週間前の校長室での出来事を思い返した。校長室では校長がこんなことを言っていた。
「本来なら入学式での誓いの言葉も代表の言葉も入学試験で1位をとった生徒にお願いするのだけどね。今年の子は……。なんと言うかね。恥ずかしがり屋というか、コミュ力に難があると言うか…、短い言葉だけなら話せそうだからそれだけお願いしたのだよ。そこでね、参列者に向けての挨拶は君がしてくれないかな。よろしくね」
校長は一方的に話を終わらせて代表生徒の役割を碧に押し付けたのだった。
「変人…なのかもしれないな」碧が呟いた。
「変人?誰が?」
「…」
「いや、すぐにわかる」そう言って碧は外の景色を眺めた。
高校の周辺は送迎の車で渋滞していた。二人は高校のかなり手前で車を降りた。道中で中等部からの友人と挨拶を交わした。歩いている二人に周りからの視線が集まる。碧と耀は中等部で王子とオウ様と呼ばれていた。彼らは同級生のみならず上級生からも一目置かれる存在であった。特に耀は破天荒極まりなく自由人だ。いわゆる悪ガキの総大将。耀にまつわる逸話は数多くある。
「あっ、オウ様と王子だ」
「王子は今日も麗しいね」
「あらっ、オウ様ちょっと背が伸びた?やっぱ私はオウ様派だな」
「あの二人と同じクラスになるのは誰だろ」
「どっちでもいいから同じクラスになりたいな」
遠巻きに見ていた女子達が二人の話で盛り上がる。耀はその我がままぶりが正に暴君であるが、悪気はない。突拍子もないところが男子にも女子にも人気がある。女子は何とかして耀の彼女になりたいと懸命だ。だが当の本人は全く女っ気がない。片や碧はその完璧さ故に近づき難い雰囲気があり、碧に告白する女子は皆無であった。
時間になり講堂で式が始まった。クラスの発表はその後に校庭に掲示される。講堂での席は自由であった。式は厳かに進められ、ついに新入生誓いの言葉の場面になった。
「新入生誓いの言葉、安藤和佳奈」
教頭が名前を読んだ瞬間、生徒の間でザワつきがおきた。
「嘘…王子じゃないんだ」
「えっ!碧様じゃないの?」
名前を呼ばれた安藤和佳奈という女生徒は力なくゴソゴソと立ち上がり、蚊の泣くような返事をした。
「…はい…」
壇上にあがろうとしている安藤和佳奈の身長は150cmほどで、酷くやせていた。生気が全くなく、髪は二つのお下げにしていてとても高校生には見えない。誓いの言葉も声が小さすぎて何を言っているのかわからない。参列者は唖然としていた。ヒソヒソ話をしている者も多かった。
碧も戸惑っていた。コミュ力に問題があると聞いていたから、てっきり機械じみた人物だと思っていた…しかし、彼女は制服がぶかぶかで、まるで小学生のようだ。
校長室でのやり取りは覚えている。
「彼女はね、本校始まって以来の天才かもしれん。試験は全て満点だったのだよ、碧くん」
「新入生代表、加藤碧」
碧が登壇すると会場はしんと静まった。皆碧に集中している。黙っていても伝わる碧の高貴さはこれぞ本校に相応しいと言わんばかりである。奥深い内容の挨拶に会場は拍手で湧いた。それまでハラハラしていた校長はその様子に安堵した。
式が終わり生徒は校庭に出て掲示されたクラスを確認した。碧と耀も校庭に出た。
「いや、驚いたよ。そりゃあれでは校長がお前に代表挨拶を頼むよな」耀が言った。
「見るからに栄養失調の小学生だが、聞くところによれば天才らしい。変人なのか?はわからんが」と碧が答える。
「耀、彼女お前と同じクラスだ」
「マジか。俺はA組。碧、お前H組じゃないか」
「離されるのは想定内だ。お前と俺が一緒のクラスになったら担任の荷が重すぎるだろ。お前が2階で俺が3階か、じゃあ後でな」
二人はそれぞれの教室に向かった。
H組に入るとほぼ全員の生徒が教室にいた。座っている者、立ち話をしている者。クラスを見回すと知った顔がチラホラいた。中等部で一緒だった遠藤が碧に気が付き近づいてきた。
「碧、同じクラスだな。一年間ヨロ」
「こちらこそ。そういえば式に島崎の姿がなかったな。島崎もH組だよな?」
「碧知らんの?」遠藤は驚いた顔をした。
「何を?」碧は自分の席に着きながら聞いた。
遠藤は碧に顔を近づけて声のトーンを落とした。
「島崎、2月くらいから学校来てないよ。お前クラス違っていたしな。でも結構噂になっていたぜ」
「そうなのか、何があったんだ?」
「永山だよ。いじめさ」
「いじめ?」
「永山は島崎にカンニングの手伝いをさせていたんだ。永山はさ、進級ちょっとヤバかっただろ。だから学年末のテストの答案を見せろって脅したらしい」
「見せろってテスト中にか?どうやって見せるんだよ」
「島崎は机が永山の斜め前だ。ちょっと紙をずらせば丸見えさ」
「ふーん。でそれがバレたのか?」
「流石に全教科カンニングはヤバいだろ。気づいた担任が島崎に問い詰めたらしい」
「島崎白状しちゃったのか」
「そうそれで大問題になっちゃってさ」
「そんなの始めから断ればいいだろ。言いなりになっているからだ」
「そーゆー訳にはいかなかったのさ。島崎ん家は町工場だ。去年から業績が急激に悪くなったらしい。永山の父さんは八菱銀行本店の支店長だからね」
「島崎ん家の主要銀行が八菱なのか」
「そう。追加融資頼んでいたらしい。融資がされなければ倒産だ。だから島崎の忖度だよ。永山に逆らうと会社が困ることになるんじゃないかと」
「はっ、バカバカしい。子どものカンニングに忖度もへったくれもないだろ」
「そうとも言えないぜ。あそこの親はキチオヤだから、尋常じゃないぜ。現にカンニング件は島崎の妄想だと噛み付いて学校に夫婦ともども乗り込んで来たらしい」
「で学校側はどう対応したんだ?」
「回答用紙のコピーを見せて永山が写した証拠も見せて説明した。ところが親は逆切れして島崎がカンニングしたんだろうって言い出したらしい。息子は濡れ衣着せられて精神的苦痛を受けたとか。担任変えろとか。まあ、言いたい放題だな。結局お咎めなしになってさ。そこから島崎に対するいじめが始まった」
「その話本当か?」
「永山が自慢げにラインに流していたよ。『倒産間近のゴミクズ町工場悲哀物語ww』ってタイトルまでつけていたぞ」
「虫酸が走る話だな。親も親なら子も子だ。そもそも親の職業とか関係ないだろ」
「そんなこと言えるのはお前くらいさ。お前は五条グループだ。お前にマウントとれる奴はそうそういない。家柄の格とか、あんまり考えたことないだろ」
「俺は五条の人間じゃない。本家でもなければ分家でもない。ただの遠縁に過ぎない。どちらかといえば雇われの身だろう」
「誰がそんなこと思うかよ。五条家に住んでいるし。頭のてっぺんからつま先までどう見てもおぼっちゃまくんだ」
碧が反論しようとしたとその時チャイムが鳴った。同時に担任が教室に入って来た。「じゃあな」遠藤は自分の席に戻って行った。
応慶寺高等学校は恵まれた家庭の生徒が多い。その中で家柄の格式や資産などの序列をつけてマウントを取る傾向は確かにある。幼稚舎からの生徒しか入れない応慶寺会というコミュニティも存在する。
碧自身はマウント取りなどくだらないと考えているし興味はない。寧ろ親の傘にいながら自慢げにする奴らはゴミくらいに思う。五条グループだって10年前は存亡の危機に陥った。それを何とか建て直して日本を代表する一大企業になったのだ。時代は常に変容する。2世3世と浮かれていてもいつまでも続くことではない。ここの奴らはどうしてそう思わないのか。碧には不思議に感じた。
一方A組では生徒同士で自己紹介が行われていた。耀は安藤和佳奈を注視していた。耀だけではなくクラス全員が首席で合格した彼女に注意を向けていた。安藤和佳奈は式の時と同じように小さな声で自己紹介をした。出身中学校は公立の無名な学校であった。趣味や特技について触れることはなく、そそくさと自己紹介を終えて席に戻った。顔は始終うつむいていた。
「加藤碧を抜いた生徒ってどんな奴なんだ?」そんな噂が行き交っていた。先程までクラスの生徒は彼女に興味津々であったが今は一気にテンションが下がり、微妙な空気が漂っていた。興味は呆れに変わった。帰り際、彼女のみずぼらしい筆記用具を見てクラスの数人の女子が冷笑した。耀は嫌な予感を覚えていた。
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