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この話をされた翌日、ぼくはお姉さんの家へと案内された。家と言うよりは古き良き昭和の木造の平屋建ての診療所みたいな外見をしていた。看板の字はかすれてて読めない。
「家、じゃなくて、あたしの入院先なんだ」
「にゅ、入院?」
「生まれた時からずっと体弱くてね、ずっと入院生活」
「お父さんは? お母さんは? 学校は?」
「両親は…… あたしのこと諦めてるんだと思う。忘れてるのかもしれない、都会の空気が駄目だからって空気の綺麗な田舎の診療所に入院させたはいいんだけど、こんな陸の孤島みたいなところに足繁く来られるわけがないじゃない? 一週間に一回の面会が一ヶ月に一回の面会になって…… 最終的には一年に一回の面会になっちゃった。今年はまだこない。学校は行ったことがない。最近まではあたしと同じような子供の患者さんがいっぱい入院してたから学校みたいなものだったけどね」
ぼくは「いっぱいいた」と過去形になったことが引っ掛かかっていた。おそらくは他の子供たちは皆…… 案の定、入院患者はお姉さん一人だった。杉の匂い芳しい木造の廊下を歩いていても人の気配がしない。お姉さんの部屋も白いパイプベッドが四脚の大部屋だったが、お姉さんが使っているベッド以外は使われた形跡がなく、シーツも布団も綺麗に折りたたまれているのであった。
お姉さんは重い動きでベッドに横たわった。最近になって気がついたのだが、お姉さんの動きは明らかに遅く鈍重なものとなっていた。おそらくだが、朝の涼しい時間のうちの散歩も辛くなりはじめているのだろう。それを察したぼくは「大丈夫? 最近辛そうだよ」と、心配するが、お姉さんは決まって満面の笑みで「大丈夫」と言う。大丈夫じゃない人間が決まって言う常套句だ。
おそらくだが、今日は家に呼ばれたのは「横になりたい」からだろう。流石にあんな林の奥じゃあ横になることができない。
ぼくはサイドテーブルの下に置かれていた椅子を出そうとした。椅子の足を引っ掛けてしまいドンと鈍い音が病室内に響き渡った。サイドテーブルの上に積まれていた本が崩れ落ちる。
「ご、ごめん」
「気にしなくていいのよ」
ぼくは床に落ちた本を拾い集めた。源氏物語、枕草子、竹取物語、御伽草子…… どうやらお姉さんは平安時代の文学が好きなようだ。
「本は読む?」
正直、漫画しか読まない。ぼくは水に濡れた犬のようにぶんぶんと首を横に振った。
「少し前までは平安文学のお話が出来る子もいたんだけど…… 月に帰っちゃった」
お姉さんは窓の向こうに広がる蝉時雨を携えた木を眺め、遠い目をしていた。ぼくはその遠い目を見ただけで今までこんな別れを何回もしているんだろうなと言うことを察するのだった。
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