496人が本棚に入れています
本棚に追加
/25ページ
経理部には、鬼のお局さまがいる
「だから領収書は月末までに提出しなさいって、何度も言ってるでしょう!?」
手渡された領収書の束を握りしめ、深いため息をついた。
だけど言われた本人は、鼻をグズグズと擦りながら
「はぁ……申し訳ありません……」
と、暢気そうに答えるので、私の怒りはさらに増していく。
「あのね、西城くん。あなたにこれを言うのは一度や二度のことじゃないのよ。しかも以前あなたに出し忘れの領収書がないか、確認したとき『ない』って言ってたのに、それがなんでこんなに大量に出てくるわけ……って、これなんて半年前のものじゃない! なんですぐに出さなかったの!?」
「あーーー……なんかつい、忘れちゃうっていうか……」
「忘れちゃうじゃ済まないでしょうが!」
私の怒声に、オフィスがシン……と静まりかえった。
ん……ちょっとやりすぎたか?
コホンと咳払いをひとつして
「とにかく。領収書は月末までに必ず提出すること! わかったわね!?」
「はい、以後気を付けます……」
西城くんはガックリと肩を落としながら、自分の机に戻って行った。
それと同時に
「お局さま、相変わらず怖ぇー」
「西城さん可哀想……」
なんて呟きが聞こえてきたけど、それを全て無視して領収書の処理を始める。
別に、お局だの怖いだの言われることには慣れてるから平気。
相手の顔色を伺ったり、周囲との関係性を良好にするためになぁなぁで済ませると、あとあと自分の首を絞めることになるのは、目に見えているのだ。
だから職務上、厳しくする必要があるときは、鬼になる必要がある。
とは言え。
――さっきはちょっと言いすぎたかな……。
少し感情的になりすぎたのは否めない。
いくら毎度のことだったからとはいえ、別に声を張り上げるほどのことではなかったはず。
西城くんの前ではつい素を出しやすいからといって、さすがにあの言い方はないわ。
――うん、これが済んだら謝ってこよう。
手早く処理を終えると、私は席を立った。
西城くんのいるシステム部は社内の最奥にあって、私が在籍する経理部から一番遠いところにある。
さっきの気まずさを少しでも払拭できればと、社内にある自販でコーヒーを購入。それを手土産にすることにした。
彼の好きな無糖ブラック。
これで私の反省度合いも察してもらえるはず。……多分。
システム部の近くまで辿り着くと、パーテーションの向こうに見慣れた茶髪が見えた。もともとフワフワ猫っ毛の髪の一部が、寝癖でビヨンと跳ねている。
――全く……。会社に行く前は寝癖を直しなさいって、毎回まいかい言ってもやらないんだから……。
ビヨンビヨンと揺れる髪の毛を見て、思わずため息をついた。
「西じょ」
「それにしても、さっきは災難だったな、西城」
小さく呼びかけたとき、ほかの誰かの声が聞こえて、思わず足を止める。
さっきって……さっきのことよね、多分。
なんとなく声を出せる雰囲気じゃない気がして、思わず口を噤んだ。
「さっきって?」
「経理のお局さまだよ。さっき怒鳴られてたろ」
この声は……同じくシステム部の日比野くんだ。
「いや、あれは俺が悪いんですから、しょうがないですよ」
西城くんは少し困ったように笑ったけど
「えー、でも領収書の提出が遅れたくらいで酷いですよね」
と、やけに同情するような声も聞こえてきた。
……制作部の田辺さんね。
というかあなた、他部署でなにやってるの。勤務時間中でしょうが。
「それが結構前から溜めちゃってたから、怒られるのも当然で」
西城くんは私をフォローするようなことを言ってくれてるけど、それに反してふたりはどんどんヒートアップしていく。
「でもだからって怒鳴ることはないよな」
「そうですよ! 私前から気になってたんですけど、宮本さんって西城さんにだけ厳しくありません?」
「そんなことは」
「八つ当たりじゃないのか。若さに対する僻みってやつだ」
「宮本さんだって若いですよ」
「でも宮本さん、もうすぐアラフォーじゃないですか。しかも独身……」
「彼氏いないって話も、絶対本当だろ」
………………絶対って、一体なにが?
三十四歳にもなって、まだ独身で悪かったわね!
「え、宮本さん、彼氏はいますよね?」
西城くんはまたもフォローしてくれるけど、ふたりは全く聞く耳を持たないようすで、なおも言い募る。
「いやいや、いないよ。俺がISHIKAWA入ってからずっと、付き合ってる男の話なんて聞いたことないからな」
「西城さん八つ当たりされて可哀想ー! 辛いときは甘いものが一番ですよ! このマカロン、凄く美味しいんですよ。よかったらどうぞ」
「あぁ、ありがとう」
「それでも耐えられそうにないときは、いつでも言ってくださいね。私、お話を聞くことしかできないけど、西城さんの力になりたいんですぅ」
そういえば田辺さんって、西城くんを狙ってるらしいよ――いつか小耳に挟んだ噂話が脳裏を過る。
あのときは「ふぅん」で聞き流したけど、噂は案外本当ってとこかな。
「西城、遠慮すんなよ。たまにはみんなで飲みに行って日ごろのストレスをはらそうぜ」
「そうですよ! 私にいつでもグチってくださいね」
聞いてるだけで胃もたれしそうな甘い声。
男はこういうカワイゲのある女の子に弱いんだっけか。
私とはまるで真逆だわ。
西城くんに謝ろうと思ったけど、とてもそんな雰囲気じゃない。
買ったばかりの缶コーヒーも、少しずつその温もりを失っている。
ここはさっさと退散した方がよさそうだと踵を返したとき
「あれ、宮本さん」
……西城くんの声だ。
「どうしたんですか。さっきの領収書に不備がありました?」
立ち上がり、満面の笑みを浮かべてこちらに話しかける西城くん。
空気を読まないにもほどがあるでしょ。
「……いえ、特には」
「あれ、じゃあ別件ですか?」
にこやかに話しかける西城くんとは真逆に、残りふたりは押し黙ったまま姿ひとつ見せない。
まぁ……普通に考えて気まずいんだろう。今まで散々悪口言ってた相手がいたんだもの。
この状況で私に話しかけられる西城くんが、逆に凄いわ。
「別に、たまたま通りかかっただけで、用があるわけじゃないわよ」
「そうなんですか?」
「じゃあ私はまだ仕事が残ってるから」
立ち去ろうとして足を止め
「日比野くん、田辺さん。あなたたちも無駄口叩いてないで、きちんと仕事をしなさいね」
と釘を刺し、本当にその場をあとにした。
……こういうカワイゲのないところが嫌われて、「お局さま」なんて煙たがられるんだわ。
それは自分でもよくわかってる。
でも、しょうがないじゃない。私はこういう性格で、三十四年生きてきたんだもの。
今さら変えることなんて、私には無理だわ。
手にした缶の縁が、やけに冷たく感じる。
私は誰にも気取られぬよう小さく息を吐くと、足早に自分の席へと戻って行った。
**********
定時丁度に退社して、まっすぐスーパーへと向かう。
ムシャクシャしているときは、料理するに限る!
大量の挽き肉を買い込んで、意気揚々と帰宅した。
三年前に購入した2DKのマンション。リビングとベランダはそう広くないけど、どうせ家族が増える予定もないし、おひとりさまには手ごろな広さだろうと思って決めた物件だ。
着替えを済ませて早速調理開始。
挽き肉に塩、こしょう、ナツメグ少々を振り、酒と醤油と砂糖、それからチューブの生姜を入れたらよく混ぜる。
ぬるま湯で溶いておいた中華スープの素を入れ、さらにひたすら混ぜて、冷蔵庫で少し寝かせておく。
ちょっとタネが緩すぎない? と思うくらいスープを入れた方が美味しくなるよ――と、昔近所にあった中華料理店の店長、陳さん(46)に教えてもらって以来、私も肉ダネはスープでビタビタにしている。
肉ダネができたらお次は野菜。
キャベツと白菜はひたすらみじん切り。いつもはフードプロセッサーを使うんだけど、今日みたいにイライラしている日は、包丁を使った方がストレス解消になる。
さっきスーパーで買ったキャベツを真ん中からダンと切って、半分は冷蔵庫に。これは明日ポトフにでも使ってしまおう。
白菜は葉を一枚いちまいバリバリと毟っていく。
キャベツも普段は白菜同様、外側の葉から一枚いちまい剥いで使うんだけど、イライラしているときは丸ごとザクザク切り刻むに限る。
トトトトンとリズミカルに動く包丁と、いつもよりも細かく刻まれていくキャベツと白菜。
さっき感じた怒りの度合いが如実に表れているようで、少し苦笑した。
全て刻み終えたら、少量の塩で揉みしだく。十分ほど置いたあと、ギュッと絞って水分を切ったあと、肉ダネが入っているボウルに投入。
玉ネギも一個も、同じくみじん切りに。開始早々、鼻の奥がツンとして涙が滲んだ。
大量の涙をポロポロと零しつつ全て刻み終えたら、こちらはすぐに水を絞ってボウルに投入し、ワッシワッシと全体を混ぜたら餃子のタネの完成。
本来ならここでニラもいれるんだけど、明日も会社があるため、今回は敢えて抜いた。
ちなみに私の餃子には、ニンニクは入らない。
タネの中にニンニクを入れちゃだめよーという、陳さんの教えを以下略。
巨大なボウルにたっぷりと入ったタネを、黙々と包んでいく。ひとパック五十枚お徳用の餃子の皮は徐々に枚数を減らしていき、皿の上には餃子がひとつ、またひとつと増えていく。
包むときの極意は無になること。
怒りのままに包んではいけない。
なぜなら、ひだが大きくよれたり、力が入りすぎて皮が破れたりするからだ。
料理がストレス解消になるとはいえ、そこに怒りを込め過ぎるのはよくない。
心を空にし、和いだ気持ちで丁寧に包んでいく。
ちまちまちまちまと手を動かし続けること約三十分。
「できた」
大皿に整然と並んだ五十個の餃子。
「美しい……」
手を洗い、思わずスマホで写真を撮る。
別にTwitterもインスタもやってないけど、餃子を五十個も作るなんて滅多にないから、なんとなく記念に。
角度を変えて何枚か撮ったあと、再度手を洗って二十個は冷凍庫に。残りの三十個を焼くことにしたわけだけど。
「どうしよう。フライパンじゃ一気に焼けないわよね。……やっぱりここは、ホットプレートの出番?」
でもホットプレートは後片付けが……と考えていたとき、玄関のドアが開く音がした。
チラリと時計を見ると、まだ二十時ちょっと前。
今日は案外、早かったな。
「笙子さーーーん!」
リビングのドアを蹴倒さん勢いで、ひとりの男が入ってきた。
そのままガバッと私に抱きつくと
「笙子さん、今日はごめん、ほんとごめん! 全部俺が悪いのに、笙子さんが悪者みたいになっちゃって」
……ノンブレスでひたすら謝られる。
「どうでもいいけど煩いよ、西城くん」
「“西城”って他人行儀な!」
「他人でしょうが。いい加減重いから離れて」
無理やり引っぺがすと、西城は子どもみたいに口を尖らせて拗ねた。
「俺は結婚してって言ってるのに」
「私は別にしたくありません。アンタがどうしても結婚したい人だっていうなら、今すぐ別れてほかの子探してもいいのよ」
例えば田辺さんとか。
あの子だったら「結婚しよう」って言ったら、秒でOKしそうよね。
本人も前々から、二十五までには結婚したいって言ってたし。
あと一年? ってことは今二十四か。若っ!!
そんなことをぼんやりと考えていたら、西城がもう一度抱きついてきた。
「……別れたくない」
「じゃあ結婚したいっていうのは」
「もう言わない。だから、いつもみたいに名前で呼んで」
叱られた犬みたいな顔をして、私を見つめる。
まったく、こんな顔されたらもう怒れないじゃない。
「とにかく手洗いうがい。それからバッグを片付けてらっしゃい、大和」
「……っ! 笙子さぁんっ!!」
感激のあまり興奮した大和はそのまま私を押し倒し、愛の鉄拳制裁を喰らったのだった。
最初のコメントを投稿しよう!