経理部には、鬼のお局さまがいる

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経理部には、鬼のお局さまがいる

「だから領収書は月末までに提出しなさいって、何度も言ってるでしょう!?」  手渡された領収書の束を握りしめ、深いため息をついた。  だけど言われた本人は、鼻をグズグズと擦りながら 「はぁ……申し訳ありません……」 と、暢気そうに答えるので、私の怒りはさらに増していく。 「あのね、西城くん。あなたにこれを言うのは一度や二度のことじゃないのよ。しかも以前あなたに出し忘れの領収書がないか、確認したとき『ない』って言ってたのに、それがなんでこんなに大量に出てくるわけ……って、これなんて半年前のものじゃない! なんですぐに出さなかったの!?」 「あーーー……なんかつい、忘れちゃうっていうか……」 「忘れちゃうじゃ済まないでしょうが!」  私の怒声に、オフィスがシン……と静まりかえった。  ん……ちょっとやりすぎたか?  コホンと咳払いをひとつして 「とにかく。領収書は月末までに必ず提出すること! わかったわね!?」 「はい、以後気を付けます……」  西城くんはガックリと肩を落としながら、自分の机に戻って行った。  それと同時に 「お局さま、相変わらず怖ぇー」 「西城さん可哀想……」 なんて呟きが聞こえてきたけど、それを全て無視して領収書の処理を始める。  別に、お局だの怖いだの言われることには慣れてるから平気。  相手の顔色を伺ったり、周囲との関係性を良好にするために()()()()で済ませると、あとあと自分の首を絞めることになるのは、目に見えているのだ。  だから職務上、厳しくする必要があるときは、鬼になる必要がある。  とは言え。 ――さっきはちょっと言いすぎたかな……。  少し感情的になりすぎたのは否めない。  いくら毎度のことだったからとはいえ、別に声を張り上げるほどのことではなかったはず。  西城くんの前ではつい素を出しやすいからといって、さすがにあの言い方はないわ。 ――うん、これが済んだら謝ってこよう。  手早く処理を終えると、私は席を立った。  西城くんのいるシステム部は社内の最奥にあって、私が在籍する経理部から一番遠いところにある。  さっきの気まずさを少しでも払拭できればと、社内にある自販でコーヒーを購入。それを手土産にすることにした。  彼の好きな無糖ブラック。  これで私の反省度合いも察してもらえるはず。……多分。  システム部の近くまで辿り着くと、パーテーションの向こうに見慣れた茶髪が見えた。もともとフワフワ猫っ毛の髪の一部が、寝癖でビヨンと跳ねている。 ――全く……。会社に行く前は寝癖を直しなさいって、毎回まいかい言ってもやらないんだから……。  ビヨンビヨンと揺れる髪の毛を見て、思わずため息をついた。 「西じょ」 「それにしても、さっきは災難だったな、西城」  小さく呼びかけたとき、ほかの誰かの声が聞こえて、思わず足を止める。  さっきって……さっきのことよね、多分。  なんとなく声を出せる雰囲気じゃない気がして、思わず口を噤んだ。 「さっきって?」  「経理のお局さまだよ。さっき怒鳴られてたろ」  この声は……同じくシステム部の日比野くんだ。 「いや、あれは俺が悪いんですから、しょうがないですよ」  西城くんは少し困ったように笑ったけど 「えー、でも領収書の提出が遅れたくらいで酷いですよね」 と、やけに同情するような声も聞こえてきた。  ……制作部の田辺さんね。  というかあなた、他部署でなにやってるの。勤務時間中でしょうが。 「それが結構前から溜めちゃってたから、怒られるのも当然で」  西城くんは私をフォローするようなことを言ってくれてるけど、それに反してふたりはどんどんヒートアップしていく。  「でもだからって怒鳴ることはないよな」 「そうですよ! 私前から気になってたんですけど、宮本さん(お局さま)って西城さんにだけ厳しくありません?」 「そんなことは」 「八つ当たりじゃないのか。若さに対する僻みってやつだ」 「宮本さんだって若いですよ」 「でも宮本さん、もうすぐアラフォーじゃないですか。しかも独身……」 「彼氏いないって話も、絶対本当だろ」  ………………絶対って、一体なにが?  三十四歳にもなって、まだ独身で悪かったわね! 「え、宮本さん、彼氏はいますよね?」  西城くんはまたもフォローしてくれるけど、ふたりは全く聞く耳を持たないようすで、なおも言い募る。 「いやいや、いないよ。俺がISHIKAWA(この会社)入ってからずっと、付き合ってる男の話なんて聞いたことないからな」 「西城さん八つ当たりされて可哀想ー! 辛いときは甘いものが一番ですよ! このマカロン、凄く美味しいんですよ。よかったらどうぞ」 「あぁ、ありがとう」 「それでも耐えられそうにないときは、いつでも言ってくださいね。私、お話を聞くことしかできないけど、西城さんの力になりたいんですぅ」  そういえば田辺さんって、西城くんを狙ってるらしいよ――いつか小耳に挟んだ噂話が脳裏を(よぎ)る。  あのときは「ふぅん」で聞き流したけど、噂は案外本当ってとこかな。 「西城、遠慮すんなよ。たまにはみんなで飲みに行って日ごろのストレスをはらそうぜ」 「そうですよ! 私にいつでもグチってくださいね」  聞いてるだけで胃もたれしそうな甘い声。  男はこういうカワイゲのある女の子に弱いんだっけか。  私とはまるで真逆だわ。  西城くんに謝ろうと思ったけど、とてもそんな雰囲気じゃない。  買ったばかりの缶コーヒーも、少しずつその温もりを失っている。  ここはさっさと退散した方がよさそうだと踵を返したとき 「あれ、宮本さん」  ……西城くんの声だ。 「どうしたんですか。さっきの領収書に不備がありました?」  立ち上がり、満面の笑みを浮かべてこちらに話しかける西城くん。  空気を読まないにもほどがあるでしょ。 「……いえ、特には」 「あれ、じゃあ別件ですか?」  にこやかに話しかける西城くんとは真逆に、残りふたりは押し黙ったまま姿ひとつ見せない。  まぁ……普通に考えて気まずいんだろう。今まで散々悪口言ってた相手がいたんだもの。  この状況で私に話しかけられる西城くんが、逆に凄いわ。 「別に、たまたま通りかかっただけで、用があるわけじゃないわよ」 「そうなんですか?」 「じゃあ私はまだ仕事が残ってるから」  立ち去ろうとして足を止め 「日比野くん、田辺さん。あなたたちも無駄口叩いてないで、きちんと仕事をしなさいね」 と釘を刺し、本当にその場をあとにした。  ……こういうカワイゲのないところが嫌われて、「お局さま」なんて煙たがられるんだわ。  それは自分でもよくわかってる。  でも、しょうがないじゃない。私はこういう性格で、三十四年生きてきたんだもの。  今さら変えることなんて、私には無理だわ。  手にした缶の縁が、やけに冷たく感じる。  私は誰にも気取られぬよう小さく息を吐くと、足早に自分の席へと戻って行った。 **********  定時丁度に退社して、まっすぐスーパーへと向かう。  ムシャクシャしているときは、料理するに限る!  大量の挽き肉を買い込んで、意気揚々と帰宅した。  三年前に購入した2DKのマンション。リビングとベランダはそう広くないけど、どうせ家族が増える予定もないし、おひとりさまには手ごろな広さだろうと思って決めた物件だ。  着替えを済ませて早速調理開始。  挽き肉に塩、こしょう、ナツメグ少々を振り、酒と醤油と砂糖、それからチューブの生姜を入れたらよく混ぜる。  ぬるま湯で溶いておいた中華スープの素を入れ、さらにひたすら混ぜて、冷蔵庫で少し寝かせておく。  ちょっとタネが緩すぎない? と思うくらいスープを入れた方が美味しくなるよ――と、昔近所にあった中華料理店の店長、陳さん(46)に教えてもらって以来、私も肉ダネはスープでビタビタにしている。  肉ダネができたらお次は野菜。  キャベツと白菜はひたすらみじん切り。いつもはフードプロセッサーを使うんだけど、今日みたいにイライラしている日は、包丁を使った方がストレス解消になる。  さっきスーパーで買ったキャベツを真ん中からダンと切って、半分は冷蔵庫に。これは明日ポトフにでも使ってしまおう。  白菜は葉を一枚いちまいバリバリと毟っていく。  キャベツも普段は白菜同様、外側の葉から一枚いちまい剥いで使うんだけど、イライラしているときは丸ごとザクザク切り刻むに限る。  トトトトンとリズミカルに動く包丁と、いつもよりも細かく刻まれていくキャベツと白菜。  さっき感じた怒りの度合いが如実に表れているようで、少し苦笑した。  全て刻み終えたら、少量の塩で揉みしだく。十分ほど置いたあと、ギュッと絞って水分を切ったあと、肉ダネが入っているボウルに投入。  玉ネギも一個も、同じくみじん切りに。開始早々、鼻の奥がツンとして涙が滲んだ。  大量の涙をポロポロと零しつつ全て刻み終えたら、こちらはすぐに水を絞ってボウルに投入し、ワッシワッシと全体を混ぜたら餃子のタネの完成。  本来ならここでニラもいれるんだけど、明日も会社があるため、今回は敢えて抜いた。  ちなみに私の餃子には、ニンニクは入らない。  タネの中にニンニクを入れちゃだめよーという、陳さんの教えを以下略。  巨大なボウルにたっぷりと入ったタネを、黙々と包んでいく。ひとパック五十枚お徳用の餃子の皮は徐々に枚数を減らしていき、皿の上には餃子がひとつ、またひとつと増えていく。  包むときの極意は無になること。  怒りのままに包んではいけない。  なぜなら、()()が大きくよれたり、力が入りすぎて皮が破れたりするからだ。  料理がストレス解消になるとはいえ、そこに怒りを込め過ぎるのはよくない。  心を(から)にし、()いだ気持ちで丁寧に包んでいく。  ちまちまちまちまと手を動かし続けること約三十分。 「できた」  大皿に整然と並んだ五十個の餃子。 「美しい……」  手を洗い、思わずスマホで写真を撮る。  別にTwitterもインスタもやってないけど、餃子を五十個も作るなんて滅多にないから、なんとなく記念に。  角度を変えて何枚か撮ったあと、再度手を洗って二十個は冷凍庫に。残りの三十個を焼くことにしたわけだけど。 「どうしよう。フライパンじゃ一気に焼けないわよね。……やっぱりここは、ホットプレートの出番?」  でもホットプレートは後片付けが……と考えていたとき、玄関のドアが開く音がした。  チラリと時計を見ると、まだ二十時ちょっと前。  今日は案外、早かったな。 「笙子さーーーん!」  リビングのドアを蹴倒さん勢いで、ひとりの男が入ってきた。  そのままガバッと私に抱きつくと 「笙子さん、今日はごめん、ほんとごめん! 全部俺が悪いのに、笙子さんが悪者みたいになっちゃって」  ……ノンブレスでひたすら謝られる。 「どうでもいいけど煩いよ、西城くん」 「“西城”って他人行儀な!」 「他人でしょうが。いい加減重いから離れて」  無理やり引っぺがすと、西城は子どもみたいに口を尖らせて拗ねた。 「俺は結婚してって言ってるのに」 「私は別にしたくありません。アンタがどうしても結婚したい人だっていうなら、今すぐ別れてほかの子探してもいいのよ」  例えば田辺さんとか。  あの子だったら「結婚しよう」って言ったら、秒でOKしそうよね。  本人も前々から、二十五までには結婚したいって言ってたし。  あと一年? ってことは今二十四か。若っ!!  そんなことをぼんやりと考えていたら、西城がもう一度抱きついてきた。 「……別れたくない」 「じゃあ結婚したいっていうのは」 「もう言わない。だから、いつもみたいに名前で呼んで」  叱られた犬みたいな顔をして、私を見つめる。  まったく、こんな顔されたらもう怒れないじゃない。 「とにかく手洗いうがい。それからバッグを片付けてらっしゃい、大和(ヤマト)」 「……っ! 笙子さぁんっ!!」  感激のあまり興奮した大和はそのまま私を押し倒し、愛の鉄拳制裁を喰らったのだった。
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