僕が贈るアイ

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 ようやく新しい作品を書き終えた。  気が付けば、八月ももう終わろうとしている。ただ、夏の余韻はひどく残っていた。  自分の思い出に近いものを描こうとすれば、何故か少し美化したものになってしまう。そんな作品だとしても彼女が(しの)ばれるのであればいい。言い方を変えれば、彼女に捧げるために書いたと言ってもいい作品なのだから。  今までどうして書かないでいたのか、何て言う疑問の答えはいまだに出ていない。躊躇(ためら)っていたのか、単に書けなかったのかは知らないが、どうしても言葉に詰まり、手が止まってしまっていた。  でも、これだけ時が経てば、ようやく彼女を描ける。物語に出来る。  データを会社の校閲部(こうえつぶ)に送り、一つ溜息をつくと、カプチーノを(あお)った。 「          」  と、不意に彼女の声がした気がする。それもハッキリと。  呼ばれたように立ち上がると、じっとなんてしていられず、声がした方へと車を走らせた。行き先なんて知ったことか。  今は影でも何でもいいから彼女の何かが欲しい。それこそ、思い出の淵にある残り香でもよかった。  無我夢中で、必死に追いかけた。  大分走って着いたのは母校である高校に近い海だった。しかも、ここは僕と彼女だけの秘密の場所。人が殆どこない場所と言うだけあり、綺麗なままだ。  ふと潮風が頬を掠める。この季節だからか、風は強く、少しひんやりとして気持ちがいい。  靴と靴下を脱ぎ捨て、タオルをその上に置くと、膝上まで裾をめくりあげる。そのまま、あの時と––––彼女がいなくなったことを知った時と同じように、膝下まで浸かる位の深さまで進む。  やっぱり海水は冷たい。  寒さに震えた体に追い打ちをかけてきたのは、突然の雨だった。 「雨かよ、ったく。着替え持ってきて正解だな」  ふと、雲間から差し込む陽光が見えた。が、雨は降っている。これもあの時と同じ。彼女の旅立ちを知ったあの時と。  天気雨か、本当に奇跡的なことが多く重なる。  どうやら聞こえたのはただの空耳なんかではなさそうだ。  少し背伸びをしてみる。少し高く手を伸ばしてみる。近いようで遠い世界にいる君に届くような気がして。  雲の合間から差し込む光は雨粒を通るたびに、ダイヤモンドよりも光り輝いていた。きっと空は幻想郷なんかよりもきっと美しいものなのだろう。  そして、今度は僕から君のところへ行って君を元気付けたい。恩返しとかではなくて、ただこの思いのままに。 「愛月(あいづき) 香織(かおり)に……僕の愛する人に贈ろう。好きだったよ。そして、ありがとう」  ずっと気付かなかったこの気持ち、抑え込んでいた本音、言えるはずもなかった言葉、その全てを着飾ることなく吐き出す。  僕の想いを。その全てを。  雨に打たれながら、その言葉を口にして手を空高くまで上げた。この手が、この言葉が伝わるように、届くように、願いを込めた。  出来る限り高く、少しでも近付けるように。  突然、砂浜から視線を感じた。が、振り返ってみても誰もいない。代わりに、砂に埋もれた何かがちょこんと出ているのを見つけた。  近づいて見れば、箱のようなものだった。意外な重さに手こずるも、なんとか取り出す。が、鍵付きか。 「アルファベット3桁?」  随分、珍しいタイプに驚く。誰かの名前? イニシャル? それとも単語? 考えても分からなかった。  それでも諦めきれない気持ちに、思いっきり持ち上げると、紙が出てくる。そこには、“Syota’s first story of theme”と書かれてあった。  成る程、これが僕を呼びかけていたのか。  S K Yと入れると案の定解錠され、開く。その中に入っているのは、二つの折りたたまれた紙と一枚の写真だ。  この写真……。ここに二人で遊んだ時に撮ったものだっけ。  写っている彼女はとても綺麗だ。  (つや)のある長い黒髪、日焼けを知らないかのような透き通った肌、折れそうでしなやかな細い手足、彼女らしい夏色のワンピースに麦わら帽、長い後ろ髪は風に(なび)いている。そんな彼女は良い笑顔をしていた。  一方で手を引っ張られ、頰をほんの少し赤く染める僕はぎこちない笑顔をしているものだ。  手紙は二折りになっていた。表には彼女の名前が書いてある。開くと、風で飛ばされぬよう慎重に読む。 「……あいつめ。やってくれるな、ほんと」  読み終えると箱に終い、鍵をかけ直すと、同じ場所に埋めておいた。  息を吸い込むと、声に音を乗せる。リズムを刻み、頭に反響する彼女の声に合わせた。  ただ、彼女には悪いのだが、歌詞は少し僕の言葉を混ぜさせてもらった。今はそれを歌う。  愛月 香織に、僕の言葉を贈る。  空に贈る詩を。
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