君がくれたアイ

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「ねね、ちょっと待って」  進級してからのオリエンテーション期間も終わり、退屈な授業を受ける日々が始まっていた。  軽い憂鬱な気分に見舞われたある日、いつも通り一番乗りで下校しようと廊下に出る。 「ちょっと、待ってよ」  後ろから飛んできた声は自分に対してのものだとは思わず、足を止めることはなかった。ただ、肩を掴まれ、ようやく自分が呼ばれていることに気づき、足を止め、「何か用?」なんて言いながら振り返ると、そこには彼女がいたのだ。  この当時は関わりなんて一切なかった上、彼女は僕でも知っているほどの有名人だった。ある種、驚きに似た戸惑いはあったと思う。 「えっと、君が秋月(あきづき) 翔太(しょうた)君だよね?」  更に、会ったこともない人に名前を知られていると言う事実に困惑を覚え、声を詰まらせてしまう。が、瞬時に落ち着きを取り戻すと、振り返った。 「何か用? 部活があるんだけど」 「ごめん。ちょっと来て」  腕を強く掴まれると、強引に引っ張られ、屋上まで連れて来られた。初対面の人間にする行動ではないだろ、普通。そんな不満は一旦心の奥底へとしまい込んでおく。  冬も明けたばかりだと言うのに、目を細めてしまう程の眩い夕焼け。時折、強く吹きつけてくる風に、彼女の少し長い髪が靡く。聞こえて来るのは、賑やかな笑い声ばかりだった。 「ねぇ、一つ聞いてくれない?」 「何をだよ」  あえての不愛想だが、致し方が無い。出来る限り不機嫌を装いながら、声のトーンを低めにして喋る。 「君が好きな歌をね」 「はぁ?」 「じゃあ聴いててくれる?」 「いや、ちょっ……」  そうして彼女はいきなり歌い出した。こっちは必要最低限すらも喋ってことがないのに、いきなり歌い出したのだ。それも、とびっきりの笑顔と半端じゃない声量で。  ただ、堂々としたその姿に惹かれなかった訳でもない。何と言うか、言葉には出来ない感動が全身を走った気がする。正直なところ、歌い終わるまで、彼女に釘付けになってしまったのだ。 「どう?元気になった?」 「えっ、あ、えっと」  もう唖然としてしまう。それに、三つ、気に食わないところがあった。 一、何でこんなにも歌が上手い? 二、何で僕の好きな曲を知っている? 三、わざわざこれを聞かせた理由は?  パニックにやられた頭の整理に、適当なナレーションを脳内に流し込んでいると、彼女は驚くべき行動をとっていた。 「––––ねぇ、ねぇってば。聞いているの?」 「っ! ……あの、ちょ、顔が……」  気が付いた瞬間、視界の半分以上が彼女の顔だった。  ち、近い。これ、何の関係もない異性間の距離じゃないだろ。 「何? 顔に何かついているの?」 「い、いや、ちょっと後ろに下がって貰える?」 「何で?」  いや、そこは何も言わずに下がるべきだろう。なんてツッコミは口に出せるはずもない。それに、相手は女子。いくら興味がないとはいえ、思春期真っ只中の男子が動揺の一つもしない筈もないのだ。  パーソナルスペースを気にしない女子は、この年代にいない。どっかの有名雑誌にそう書かれてあったのは嘘かよ。やっぱり、田舎と都会じゃ空気感やら距離感が大きく違うな、なんて痛感した。 「ま、元気になってくれたみたいだし、これで良し」  何が良しなのかさっぱりだ。 「それじゃあね。元気にしなよ」  全く意味の分からない出会いはこんな感じだった。
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