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そんな想い出を脳裏で読み進めていた間に一日の授業は全て終わっていた。放課後は昼休に約束通り、彼女の教室に向かう。
斜陽に染められた廊下をゆっくりと歩いていく。と、何処からか歌が聞こえて来た。勿論、聞き覚えしかない声で。
歌の方に向かっていくと、案の定、彼女の教室からだった。
ほんの少しの間、聞き惚れているとうっかりドアに触れてしまい、物音を立ててしまった。
「お、お待たせ」
「あ、来た!さ、行こう」
「何処に?」
「いつものとこ」
ドアを開け、部室に入った途端にこれか。どうしてこんなにいきなりの展開が多いんだろう。呆れながらも、彼女の後ろを歩いて行く。人目に晒されながらも、移動した先は屋上だった。
今日は潮風が心地いい具合に吹き付けてくる。と、突然に彼女は口を開いた。そして、深みのある声で喋り始める。
「少し聞いて欲しい話があるんだ」
「どした?」
「聞いても驚かない?」
いや、もう今更すぎる。それこそ相当酷い事くらいじゃないともう驚かない自信がある程だ。でも、彼女の表情は違った。いつも見せる笑顔とは別物。何処か陰りがあるような気がしてならない。
大きく息を吸い込んだ彼女は、そっと口を開いた。
「……あのね、翔太君。実はね、もうちょっとで死んじゃうみたいなんだ、私」
––––は? 何を言っているんだ?
一瞬、その言葉の意味を理解出来なかった。微笑みながら唐突に告げられた自らの死を、何をどうしたら真に受けられるのか。
「小さい頃から持病があってね。それが悪化したみたいでさ。もう明日にはここを出て、遠くの大きい病院に入院するの。まぁ、転校ってことで学校には言ってるけど」
病気? そんな素振りは一度も見たことはない。どころか、ピンピンし過ぎてうざったいくらいだった。なのに、どうして。ただただ困惑ばかりが頭を埋め尽くす。しかし、脳裏を過ぎったのは、よく体育の時に端っこで休んでいる姿。
途端、視界に入った空に一等星すら見えないことに気が付き、分厚い雲に覆われていることが分かった。
「……本当、なのか?」
彼女がこんな嘘をつかないことなんて分かりきっている筈なのに、信じたくない想いは口から漏れ出す。
「うん。私も信じられないけどね。本当に元気だったのに」
その顔は笑顔のくせに笑っていなかった。
そんな事を突然言われたって整理がつくはずもないではないか。側にいた人が居なくなるなんて。
心地良かった風も今やうざったく思えるほど強くなっていた。
「なぁ、何で僕にそんなことを?」
「そんなの決まってるじゃん。最後くらいはさ、お別れは好きな人にしておきたいの」
動揺が隠しきれなく、心の中がめちゃくちゃになっている。どうしたらいいのか、どう答えればいいのか、その答えは出てこない。
打ち明けられた心は只々混乱を招く一方だ。
「翔太君の事を考えるだけで、とても嬉しくなってね。翔太君と話しているだけでも楽しくてさ。でも、もう側に居れなくなるって考えると胸が痛くなって」
「なぁ、何、言っているんだ?」
「ねぇ。あのさ、私の作った歌、覚えてる?」
絞り出されたような彼女の声に、息が苦しくなる。もう止めてくれ。誰か、これが夢であると、嘘であると言ってくれ。それを願うばかりだった。
「……あぁ」
「あれ、歌うから聞いてくれない?」
その言葉がどんなことを意味するかはもう知っていた。彼女が決心したのだと、それでも戻っては来れないのだと。
「…………」
言葉もまともに出ない。歯を思いっ切り食い縛る。
思えば、とっくに気づいていたのかも知れない。別れが近いことも。彼女は僕が好きだってことも。僕が彼女を好きだってことも。そんな思考が巡った途端、悔しさや無力さが立ち込めてしまう。それに耐え切れないのは僕の弱さだ。
空は暗く分厚い雲で顔を隠し、雨なんか降っていないのに、僕と彼女の足元は濡れた跡があった。
「ほら、泣かないでよ。私まで悲しくなっちゃうじゃん」
「ごめん、分かった。お願い」
「うん、じゃあ……」
大きく息を吸い込むと、漣、木の葉の掠れる音、流れる風を伴奏に歌い出す。その歌声は見えるような気がする。純透明で澄んだ歌声。でも、どこか悲しみの影が隠れ潜んでいた。
こんなのが運命だというのなら、憎んでしまいたい。
『空のその向こう 誰も知らない世界』
俯くしかない僕の耳に届いてきたのは、あの時の詩だった。
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