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第1話(1)
思い返してみても、素晴らしい映画だった。
記憶を噛みしめつつ、俺は描き上げた感想レポ漫画をTwitterの投稿欄に貼り付け、送信ボタンを押した。
さすが、話題の映画だけあって、見る間にRTが増えていく。
漫画を描いていてよかったと思える瞬間だ。
実際に、万人受けするだろう映画だったし、特に俺のフォロワーの皆さんにはぜひ観てもらいたいと思う。
一仕事終えた達成感に浸りながら、TLをぼんやりと眺めていたときだった。
毒々しい色合いの1P漫画が流れてくるのが目にとまった。
投稿したアカウント名は、『ちくわぶ太郎』となっている。
この『ちくわぶ太郎』というフザけた名前の漫画家は、俺と同じくTwitter上によく作品をアップしている。
しかし、その作風は俺とはまるで違う。
絵柄こそ少しポップ調に寄せているが、基本的に勢いだけの低俗で下劣な内容で、ドギツいインパクトだけでRTを稼ぐ、ギャグと呼ぶのもおこがましいようなクソ漫画だ。
しかもなぜかこの『ちくわぶ太郎』は、以前からよく俺に絡んできて、『話がクサい』『女の子の言葉遣いが古い』だのクソリプを飛ばしてくる。俺のほうもたまに、周囲からぎりぎりネタに見える程度に煽り返したりして、なぜか相互フォローで相手の作品をdisりあうという、奇妙な関係なのだった。
「これ、まさか『雪穴2』の感想漫画か……?」
どこか見覚えのあるシルエット。悪意を感じるようなデフォルメを施されたそのキャラは、やはり『雪と王女の穴2』の主要人物らしかった。
最初はまた俺への嫌がらせかと思った。だがクソリプならともかく、漫画を描いて着色してアップするという工程をこのわずかな時間でできるわけがない。
確認してみると、その漫画は俺と全く同じ時刻に投稿されていた。
『今日は話題の雪穴2を見に来ました! 明らかに場違いな自分!』『そしてなんと、すぐ前のハゲオヤジが暗くなると同時にイビキかいて爆睡! 驚きの安眠作用!(※個人差があります)』
そうそう、そうだったよな。
試写会だというのに、左斜め前の席のこの男のせいで、せっかくの良い映画が……。
……ん?
……どうして『ちくわぶ太郎』が、同じ映画で俺と同じ体験をしているんだ?
このイビキをかいていた男の真後ろ、つまり俺の左隣に座っていたのは――
小奇麗な格好をした、華奢で可愛らしい女性だった。
(さすが、一流映画の試写に招待されるような人は、俺なんかとは住む世界が違うな)
モデルとか女優とか、芸能関係者なのだろうと思った。それぐらい印象的だった相手を、そうそう忘れるわけがない。
『右の奴は右の奴で、仕事場から出てきたばっかの漫画家みたいなカッコしてるし……それなりの服装で来いや! 王女の前やぞ!』
んん……? この汚らしい男のイラストも、あの日の俺の服装に似てるような……。
ポコンと通知がポップアップし、DMが届いたことを伝える。
『ちくわぶ太郎です。少しお話できませんか?』
* * *
急ぎで相談があるという『ちくわぶ太郎』としばらくメッセージを交わして、俺はようやく状況を理解した。
――早い話が、俺はステマ炎上騒動に巻き込まれてしまったわけだ。
同時刻に雪穴2の感想漫画を投稿したweb漫画家が他にも何名かいたらしく、すでにそこから火が付き始めていた。
ネットではまだるっこしいので直接会って話したいという『ちくわぶ太郎』に俺は呼び出されることになった。
住所を聞くと同じ沿線だったので、ちょうど中間の駅前で待ち合わせることになった。
ちなみに相手のほうが都心寄りだ。……いいとこに住んでやがんな。
目印として、俺は自分の漫画の単行本をさりげなく小脇に抱えている。これが真のステマというものだ。
「刹那漣先生ですか?」
そう声を掛けられるまでもない。数十m先からでも明らかにひときわ目立つ容姿の持ち主――試写会で隣にいた可愛らしい女性が、俺に近寄ってきた。
俺の目は節穴じゃない……少なくとも漫画に関しては。
食べたものやなんかの内容や、細かな部分の表現から、『ちくわぶ太郎』が若い女性だろうというのは、以前からうすうす見当がついていた。
しかしまさか、あのとき隣に座っていたこの美人が、あんなクソみたいな漫画の作者本人だとは……。
彼女も俺を見て、それに気づいたようだった。大きな目を見張って、俺の顔をまじまじと見つめる。
ここまで可愛い女性と間近で見つめ合ったことなどないので、少し動揺してしまう。
「え……あの時の……?」
と言うか、あの席では俺なんかまるで眼中にないかのように振る舞っていたのに、さりげなく容姿や服装を観察して覚えてやがったんだな。クソでも漫画家、あなどれない。
「どうも。原田俊哉と申します」
落ち着いた風をよそおって俺は本名を名乗る。
「刹那先生ですよね?」
彼女は、よく通る声で俺のハンドルネームを繰り返した。
「あのー、公共の場なんで本名にしませんか」
「……? なんでです?」
「なんでって……『ちくわぶ太郎』さん」
大きめに言ったつもりだったが、途中からどうしても声が小さくなってしまう。
くそっ、こっちのほうが恥ずかしいやつじゃねーか。不公平だ。
「まぁ、こんなところでする話じゃないですしね。……とりあえず、あそこで」
そう言って彼女は、駅前のコーヒーチェーンを指さした。
* * *
紙カップのカフェラテを片手に、彼女は窓際のカウンター席のスツールに腰掛ける。
……顔と手、小っさ。まるで俺が漫画の中で描いてる女の子みたいだ。
俺には何と呼べばいいのかもわからないような、ふわふわヒラヒラした服装は、俺の1900円のシャツの10倍はするだろうということだけは軽うじてわかる。
隣に並んで座ると、コーヒーの匂いを抑えて彼女の香水が鼻をくすぐる。俺の日頃の生活の中では決して嗅ぐことのない、不思議な香りだ。
「あんまジロジロ見ないでください。急いでて化粧とか手を抜いてますから」
さっきさんざんこっちをジロジロ見ていたくせに、そんなことを言う。
そう言われても、どこが手を抜いているのかわからない。これで手抜きだってんなら、俺なんか生まれた時から廃棄扱いの不良品だ。
「刹那先生は――」
「原田」
「――原田さんは、こういうところでネーム考えたりします?」
「俺はファミレスが多いかな」
「えー。騒がしくないですか?」
「俺はそれぐらいのほうが逆にいいかな。こういうとこに長居するほうが落ち着かない」
作品の印象とは違って、思いのほか普通に会話が成立していることに驚く。そのことを彼女に言うと、
「リアルで初対面の相手にあんな漫画みたいな態度取ってたらただの狂人でしょ。漫画はフィクションですよ、大丈夫ですか?」
……いや、リアルでもあんまり中身は変わらない気がしてきたぞ。
どれだけ見た目が可愛らしい女性でも、やっぱりこいつはあのクソ漫画家だ。
そう思った俺は、さっそく本題を切り出した。
「いちおう確認しておくけど、PR漫画の依頼をしてきたのって、○社の宮崎って人?」
「あーはい、その人です」
他の漫画家にも依頼しているとは思わなかったが、考えてみればそれ自体はじゅうぶんありえる話だ。問題はわざわざ同時刻に投稿させたことだ。
「なに考えてんだ……」
そもそも『ちくわぶ太郎』の漫画に至っては、寝てた人がいるとか、PRなのにそれ描いちゃダメだろ。通すほうも通すほうだ。いつもの作品に比べればそれでもおとなしめだったけど。
「なんかメールの対応もいいかげんで、ちょっと怪しいなとは思ったんですけど、天下の『雪穴』ですしね。試写会も本物だったし、提示されたギャラも良かったし……ちょうど欲しい冬物コートがあったんですよ」
その動機を責めることはできない。金目当てで漫画を描くことは悪いことではない。もちろん、一発大儲けして遊んで暮らしたいわけじゃない。普通に生活しながら漫画を描き続けるためには、それなりの金が必要なのだ。
「そういう刹那先生こそ……」
いちいち訂正するのも面倒だし、さいわい店内に客は少なかったので、もうスルーすることにする。
「刹那先生こそ、なんで引き受けたんですか? まさか……」
カフェラテを一口飲み、彼女はちらりと横目で俺を見て、言った。
「まさか本気で『雪穴』が大好きで、続編を一般の人より一足早く見れるのが嬉しくて、引き受けちゃったとか……?」
――その通りだよ、悪いか!
どちらにしろ自分で金を払って観に行くつもりでいたし、漫画に描いた内容はすべて偽りなく自分の本心で、たとえ依頼がなくても同じ内容の漫画を描いてアップしていただろう。ステマ呼ばわりされる筋合いはない。
「私、お金もらえなきゃ絶対に見ないですよ。タダでも見ません。その時間でお散歩でもしてたほうが健康にもいいし」
「なんでだよ、いい映画だろ! これまでのおとぎ話とは違う、現代的なテーマが……」
「あんなのただ、甘いおしるこにちょっと飽きた人たちが、塩昆布を添えてもらって喜んでるだけじゃないですか。ましてや味付けされた塩昆布をかじった程度で、それが海に生えてる昆布の本質だとか。そういうカンチガイした主張が透けて見えるのがイヤ」
なんだかどんどん『ちくわぶ太郎』の地が出てきている気がするが、それがこんなに可愛い女の子の口からとなると、少しドキッとしてしまう。
そんなこちらの気持ちにはまるでお構いなしで、彼女の毒舌は続いた。
「おとぎ話で何が悪いんです? 恋愛に頼らず生きるのなんて、誰だってやろうと思えば明日からでもできますよ。映画に応援なんかしてもらわなくったって」
口調にこそトゲはあるが、彼女は真剣な表情で、ガラス窓の外を行き交う通行人たちを見つめながら言う。
「……でも、運命的な出会いから素敵な恋に落ちるなんて経験、ほとんどの人には一生できないんです。みんながしたくても出来ない夢を描くのが、フィクションの意義じゃないですか。……私はそう思ってます」
とてもあのクソ漫画を描いている人間の言葉とは思えない。
「現実の一面を浮き彫りにするのだってフィクションの意義だろう」
「はぁ……あの刹那漣先生がそんなことを言うなんて、残念だなー」
「なんでだよ」
「だって刹那先生は、いつもこっちが小っ恥ずかしくなるような、クサい青春恋愛ものをアップしてるじゃないですか。フォロワーさんたちは、そんな恋愛は現実には体験できっこないって知ってるから、いいねを押すんですよ。そこに中途半端なリアルさなんて求めてません」
「恥ずかしくてクサい漫画で悪かったな」
「……なんでそこで拗ねるんですか? せっかく珍しく褒めたのに」
褒めてねーよ。
「まぁいいです。話がそれちゃいましたね」
そうだった。問題はこのステマ疑惑への対策だ。
「実は私の漫画、いま書籍化の話が出てて……この時期に炎上はぜったい避けたいんですよねー。そっちの編集さんとかにも迷惑かかっちゃいますし」
「そうか。そりゃ確かにちょっとマズいな」
出版不況のこのご時世だ。たとえそれがムカつく作者のものであっても、業界のためには無事に売れてほしいと思うのが正直なところ。
「幸い、私のはとてもお金もらってPRしてるようには見えない漫画ですし……」
やっぱり自覚はあるのかよ。
「刹那先生にしても、あのキモいぐらいの感情移入っぷりはステマではありえません。マジキモいです。だから、時刻がかぶったことだけたまたま偶然ってことで押し通せれば、何とか誤魔化せると思うんですよ」
「いや、それは無理があんだろ。これだけ何人もの漫画家が同時に投稿してたんじゃ……」
「それは、ぜんぶを否定しようとするからですよ。私と刹那先生の二人についてだけ、同時に投稿したのが偶然じゃないっていうちゃんとした理由を、別に作ってかぶせればいい」
そうして彼女は、そのやたらと整った顔には似合わない、ニヤリという悪そうな笑みを浮かべた。『ちくわぶ太郎』の漫画のキャラがよくするやつだ。
「だからですね、私と刹那先生との間に納得のいく『関係』を用意するんです。そうすれば残りの人たちは必然的に無関係ってことになるでしょ」
彼女は、少し俺のほうに顔を近づけて――髪と香水の匂いがふわっと鼻をくすぐる――小声になって言う。
「私と刹那先生が、実は裏では仲良くしてて、一緒に映画を観に行ってたってことにしましょう」
* * *
――という、一風変わった『打合せ』を経て、俺と彼女は『実は一緒に映画を観に行っていて、示し合わせて同時刻にアップしたのはそのネタばらしのため』という捏造漫画をお互いに描くことになった。
並んで一緒に観ていたのは半ば事実ではあるが、さすがにちょっと強引すぎやしないか。
「だいじょうぶですよ。こういうのって、白黒の証明なんて出来ないんですから。重要なのは、黒っぽいのをグレーに薄めることです」
と、天使のような顔をして真っ黒なセリフを口にする彼女。
原稿が上がったら投稿する前にまずそっちに送るから確認してくれ、と言って、Skypeと仕事用メールのアドレスを交換して別れた。
「別に私はどんな描かれ方しててもかまいませんけど……やっぱり刹那先生って、漫画の印象どおり、クソ真面目な人なんですね」
クソとか付けるんじゃない。クソ漫画家はお前だろ。
ともかくそういうわけで、俺は『舞台裏』の漫画を描いている。
(これはちょっと、美人に描きすぎか……?)
『ちくわぶ太郎』の下描きをしながら思う。しかし実際に彼女の外見イメージはこんな感じだった。
美化するならまだしも、わざと実物より不細工に描くというのは、絵描きのはしくれとしてのプライドが許さない。
けっきょく、いつも彼女が自画像として使っている魚に手足が生えたような生物(なんだこれ……)に服を着せ、少しかわいめにアレンジして描くことにした。
そんな試行錯誤をしていると、当の彼女のほうから先に原稿データが送られてきた。
意外と早いな、と思いながら自分の作業の手を止めて見てみる。まず目に飛び込んできたのは、だらしない格好をした、俺らしき男性の絵だった。
『というわけで、実はあの刹那漣先生とは、こうしてたまに映画を見に行ったりするんです』『このムサ苦しい男が、あんな繊細なマンガ描いてるんですよwwwウケるwwwww』『同じ時間に投稿しようって言ったら律義に守ってくれました。あっちのほうが作画カロリー高いのに、まんまと乗せられてやんのw』
ウケるじゃねーよ草生やしやがって。
いつものように全方位をdisり散らしながら、その漫画はなんだか妙に楽しそうに描かれているように見えた。
楽しそう? 俺と会ったことが?
……いや、もともと「仲が良いフリをする」のが目的だったんだから、そう描くに決まってるじゃないか。
しかしそうなると、勢いだけで描いていると思っていた彼女の漫画が、実はちゃんと考えて描かれているということになる。
まぁ、話してみて頭悪そうな感じもしなかったしな。
そう思って彼女の過去の漫画をあらためて見直してみると、タッチこそ少し乱雑に見えても、仕上げに手を抜いている様子はない。勢いがあるのは、テンポよく読みやすいようにコマ割りやセリフが構成されているからだ。
俺は少しだけ、『ちくわぶ太郎』の作品の評価を見直すことにした。
正直、フォロワーを騙すような形で隠ぺい工作をすることに後ろめたさのようなものがあったが、彼女の漫画を読んでいるとなんだかこちらも気合が入ってきた。その勢いで俺は自分のぶんのレポ漫画を一気に描き上げ、彼女に送った。
しばらくして、返信があった。
「これでOKですよ。発表前の刹那先生の作品に干渉したりしませんって。アップされたらイジりにいきますけど」
興味なさげな、そっけない返信と、いつもの毒舌。
それに加えて、少し間を置いてから、追加の一言が送信されてきた。
「私のこと、可愛いキャラで描いてくれてありがとうございますw」
どうやらアレで正解だったらしい。
やっぱり、彼女のセンスはよくわからない。
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