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「つい最近、名古屋に出張に行くことになってさ。ご他聞にももれず、俺は自分のスーツを探しまわったんだよ。妻に全て任せきりだったから、どこに何があるかまるでわからなくて。」
そこまで言うと部長がビールを一口あおった。
「ようやくスーツを見つけて、ほっとして眠り、出張の朝、そのスーツを着ようとして気付いたんだ。ワイシャツに大きなしみがついてたんだ。」
「染み、ですか?
「何だか分からないが、どす黒い、血のようなしみが。ハンガーに掛かっていたときは気付かなくて。他のワイシャツも、朝一番急いでる時だったから見つけられなくて。結構目立つ位置だったから、上着でも隠せない。俺は仕方なく、そのしみを抜こうと、必死に濡れタオルで叩いたりした。」
「汚れたまま、仕舞い込んじゃったんですかね、奥さん。」
「だから、あり得ないんだ。あの妻が、ワイシャツを汚れたまま、クローゼットに仕舞いこむなんて。」
「そ、それもそうですね。奥様は、潔癖症ですもんね。」
「そうなんだ。一度来たワイシャツは、妻は必ずすぐにクリーニングに出すんだよ。だから、俺のシャツは、いつもパリっと皺一つなかった。」
「ああ、それでだったんですね。いつも部長のワイシャツがきちんとしていたのは。」
「ところがあの日、急ぐ時に限って汚れたワイシャツしか見つからない。ワイシャツなら、たくさんあるはずなのにどうしても見つからずに、刻々と時間だけが過ぎていく。ようやく、自分なりに目立たない程度にシミを抜いて、あわてて着込んで、自分の車に飛び乗った。」
「間に合ったんですか?」
「結局、間に合わなかった。」
「あちゃー。」
俺は大袈裟に額に手を当てた。
「間に合わなくて良かったんだ。」
「えっ?」
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