抱負を教えて

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 またか。美咲は内心で深くため息をついた。 あと5分で新人歓迎会と称した部署の飲み会が終わる。そこに美咲が指導を担当している新人の姿はなかった。  また辞めてしまうのだろうか。 新人が辞めていくのは自分のせいではない。間違っているのは自分ではない。そんな風に言い訳をすればするほど、気持ちは沈みこんでいく。 そしていつも同じ結論にたどり着く。自分は人を教えるのには向かないのだと。  そもそも、美咲が新人教育を任せられるようになったのは、2年前、前任の教育担当者の寿退社が決まったからだった。 小さいころから人見知りで人付き合いはあまり得意ではなかった。絵を描くのが好きで、昔はよく一人で絵を描いていたことを覚えている。それが高じてデザインの仕事に興味を持ち、広告会社に勤めることになった。今年で30歳。アルバイトも多いうちの会社ではベテランと呼ばれる年齢だ。前任者が担当していた新人教育業務は当然のように私に回ってきた。人好き合いが苦手な私は固辞したものの、課の経験年数や担当業務を考慮すると受けざるを得なかった。 しかしいざ、新人教育が始まるとその難しさは想像以上だった。 新人、佐倉麻衣は今時の女の子らしく華やかな顔立ちをしており、マスカラを付けた睫毛がキレイにカールしていた。派手なメイクと服装は職場の雰囲気から浮いていたが、彼女がそれを気にする様子はなかった。いつも始業ギリギリにやってきては、定時になると必ず帰ってしまう。たとえ同僚が残業を続けていても、それが佐倉がやらかしたミスのフォローによる残業だったとしてもだ。何度か言葉を選び注意はしたものの、1か月が経っても、彼女の勤務態度が改善する様子はなかった。事実、勤務時間中であるのにも関わらず今も彼女は机の下でスマフォをいじっていた。 「あなたの抱負は何?」 入社したからにはきっとやりたかった仕事があったはず。それを思い出してほしかった。今にして思えば、そんな質問で彼女の勤務態度が変わるはずはなかったのに。新人教育の担当者として、同僚からのプレッシャーを感じていたから、そのようなことを聞こうと思ったのかもしれない。 「なんでって、言われても。」彼女は艶のある髪にその指を絡ませながら、私の方を向いた。なぜ、今このタイミングでそんな質問を?怪訝そうな顔をしている。 「こういう仕事がしたい、とか、こんな努力をしてる、とかがあれば聞かせてもらえないかな。」 すると彼女はキッとこちらをにらむように見つめ、言い放ったのだ。 「先輩、何が言いたいんですか。私が努力していないとでも?私は正直会社なんてどこでも良かったんです。たまたま内定がここしかもらえなかっただけ。結婚するまで無職というのも体裁が悪いから勤めているんです。 それを、今時、会社一筋で熱心に働くなんて、流行らないですよ。先輩も私のこと気に食わないようですし、もう辞めます。来月正式に結婚が決まったので。いつ辞めるって言おうか迷ってたので調度良かったです。」 一気にしゃべり、呆気に取られている私や同僚をおいて、彼女は部屋を出て行った。そして、翌日から出社して来なかった。  新人の破天荒な言動に振り回されていたうちの課では同僚たちは同情的だった。部長から労いの言葉をかけられたくらいだ。しかし新人が入社間もなく辞めたという事実は瞬く間に社内に伝わり、その一因は教育担当者にもあるのではないかと密かに囁かれた。噂話に疎い私の耳にも届いてくるくらいなのだから、社の大半の人間はその噂を信じているのだろうと思う。お局職員が可愛い新人をいびってやめさせたのだ、と。  優しく、穏やかに、仕事には情熱を。自分が入社したばかりの時、上司に抱負を聞かれ、そう答えた。あまりにも勢い良く答えたため当時の上司には笑われたけれど、その気持ちに偽りはなかった。ずっとそう努めてきたのに。  私の優しくは新人の甘えを生み、成長を促さなかった。穏やかであるために、言葉を選んで伝えた彼女への注意は彼女になんの気づきも促さなかった。仕事への情熱を問いたかったけれど、彼女はそもそもそんなものを持ち合わせてはいなかった。ため息しか出なかった。  それから一年。今年、うちの課に配属されたのは大学を卒業したばかりだという男の子だった。去年のこともあり、今年は教育担当を外されるのではないかと半ば期待していたが、担当から外されることはなかった。大学でラグビーをやっていたという彼は体格が良く、二枚目ではないけれど元気に挨拶や返事をする様子が好ましかった。 「堀井進です。よろしくお願いします。」いかにも体育会系出身らしい威勢のいい挨拶に課の同僚たちもどこか嬉しそうだ。昨年はあんなことがあったが、やはり新人がいる職場というのは活気があっていい。  彼は不器用ではあるけれど、人当たりが良く、すぐに課の人間とも打ち解け、仕事の覚えも良かった。今年は大丈夫。きっと、一人前の戦力になって、人から感謝されるような仕事を一緒にできる日が来るはず。近い未来にそれは叶う気がして、私は熱心に新人教育に取り組んだ。自分に教えられることは全て教える。ミスをしてもいいから、一度はまずやらせてみる。新人には厳しい内容もあったかもしれないが、彼を一人前に育てるために。ミスのフォローは自分が全て行い、彼に経験を積ませた。教えれば教えるほど吸収し、知識や経験を自分のものとしていく彼の真剣な眼差しは教育担当者としてとても心地良かった。  しかし、入社してから二か月が経つ頃、堀井君が初めて会社を休んだ。翌日も、その次の日も。年休にはなっているけれど、入ったばかりの新人が三日続けて休むということに不安を感じずにいられない。きっと風邪でも引いたのかもしれない。体が丈夫なのがとりえだといっていた手前、病休がとりにくかっただけなのかも。そんな風に考え、嫌な方向に進もうとする思考をなんとか抑えた。  週末を挟み、月曜日から彼は普段と変わらない様子で出社してきた。 「急にお休み頂いてすみませんでした。これ皆さんで食べて下さい。」休憩室に菓子折りをおき、堀井君はすぐにその場を離れていった。私は休みの理由を聞くタイミングを逸した。  来週末には部署で新人歓迎会がある。そこでなら、打ち解けて、何か話してくれるかもしれない。そう思っていたのに。  新人歓迎会に彼は現れなかった。  結局、私の指導は独り善がりだった。勝手に期待して、新人には多すぎる知識を教え込んだ。彼はそれについていくのが苦しくなったのかもしれない。 2年連続で新人が辞めれば、自分のせいではないと言い聞かせてきたけれどさすがに認めざるを得ない。何より佐倉さんの時と違い、堀井君は部署でも期待のルーキーとしてみんなが有望していたから、彼が辞めれば私は新人教育を外されるだろう。それもいい。私には向いていなかったのだ。一人で自分の仕事を確実にこなす方が私の性に合っている。  新人歓迎会で主役であるはずの堀井君がいないという状況に参加者も白けているように見える。元々飲み会など人の集まりは得意ではなく、新人教育担当者としてこの歓迎会に参加した。堀井君が来ない以上、自分がいる意味はない。むしろ場を盛り下げてしまっているのかも。  そう思い、私が席を立とうとしたその時、 「遅れました!もう終わるってときにすみません!」いつもの威勢のよい挨拶が聞こえた。見ると、おそらく走ってきたのだろう。肩で息をし、額に汗を浮かべた堀井君が立っていた。 「遅いだろうが。全く主役がいないってどういうことだよ。」 「すみません、なんか事故があったみたいで電車が止まっちゃってて。」 「まさか家から歩いて来たのか?」 「いいえ。歩きじゃなくて走ってきました。」 ドッとみんなが笑った声が聞こえる。堀井君はどうやら向こうの席で部長たちに捕まったらしい。  私はぼんやりとその様子を眺めていた。  結局30分ほど延長し新人歓迎会はお開きになった。部長たちは二次会に堀井君も誘ったようだ。3日続けて休んだ理由も、彼が今の新人教育を負担に思っているのかどうかも聞いてみたかったけれど、今日はもういい気がした。  昼間は曇っていたが、今は雲の切れ間から月明かりが覗いていた。 「駅まで送ります」駅への道を歩き始めた私の後ろから、堀井君が追い付いてくる。 「二次会に行ったんじゃなかったの?」 「明日早いからって断ったんすよ。今日先輩と全然話せなかったから、少し話したかったんです。」まあ、遅れてきた自分が悪いんですけどね、そういって苦笑した。 「あの、いつもご指導ありがとうございます。俺、体力バカだから、なかなか要領よくできないこともあるけど、先輩自分の知ってるノウハウ総動員して俺に教えてくれてますよね。ミスしても必ずフォローに回ってくれるし。おかげで俺安心して仕事に挑戦できます。職場だと仕事で手一杯でなかなかちゃんとお礼言える機会もないから。ありがとうございます。」 堀井君は地声が大きい上に、往来のど真ん中で直立不動からの90度のお辞儀はさすがに目立つ。 「ちょっと、頭上げてよ。むしろお礼言わなきゃいけないのは私なのに。あの、辞めないでいてくれてありがとう。」 「なんで僕が辞めるんですか。もう少し、先輩の下で働かせて下さいよ。」そう言って口を尖らせた堀井君の表情が可愛かったので、止めようと思っていた質問が自然と口をついて出ていた。 「あ、あのさ、先週3日続けて休んだでしょ。理由聞いてもいいかな?」 「あー。忙しい時に急に休んですみませんでした。急に遠縁の親戚が亡くなって、遠くだから来なくていいって言われたんですけど、小さいとき一度だけだけど遊んでもらったこともある人だったからどうしても行きたくて。部長に相談したら年休使っていいって言って頂いたので。お言葉に甘えて休ませて頂きました。」  私の肩から一気に力が抜ける。 「それでは、月曜日また。」いつの間にか駅についていたようだ。別れの合図に手を挙げ、立ち去ろうとする彼の腕を反射的に掴み、私は思わず問いかけていた。 「あなたの抱負を教えて。」 昨年新人に問いかけて得られなかった答え。私は新人教育を今後も続けていけるのか、彼を育てていくことができるのか、その答えが欲しかった。  問いかけは周囲の雑踏の中、うまく聞き取れなったらしい。彼は大まじめな表情で聞き返し、答えた。 「ほーぷ? ホープになりたいです。」  私は笑い、彼もつられたように笑う。初夏の風が気持ち良く通り過ぎていく。  きっと大丈夫。そう感じた。
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